17

夜中、部屋の中に吹き込む風で目が覚めた。私はベッドから起き上がり、そして息を飲む。
バルコニーに続く扉が、開いていたのだ。ネグリジェのままで靴を履き、私はバルコニーへと足を運ぶ。
雲一つない空に、星が散りばめられていた。私は思わず歓声を上げて手すりに駆け寄る。あまりの輝きに飲まれてしまいそうだ。

「……綺麗」

星には、色がある。こうして無数の星を見ていると、その大きさや色の違いがよく解る。
黄色っぽいもの、青白いもの、燃えるようなオレンジ色をしているもの。
大きさも、目を凝らさなければ隣の星の輝きに埋もれて見えなくなってしまいそうな小さいものから、強い輝きでその存在を主張している大きなものまで、様々だ。
その中でも月は一際大きく、眩い輝きを保っている。けれどそれは、月があの星々よりも大きいことを意味している訳ではないらしい。
月は、私達が住んでいるこの星にずっと近い場所に在るのだ。逆に、小さな星は月よりもかなり遠くにある。
遠くにあるから小さく見えるだけで、本当にあの小さな星が、月よりも小さいわけでは決してないのだ。

本で読んだその知識を思い出しながら、私はその星たちをずっと見上げていた。
夜の闇に浮かぶその輝きに夢中になっていた私は、隣に並んだ「彼」の影に気付かなかった。

「そんなに星を見ていて、飽きないか?」

私は驚きに肩を跳ねさせ、慌てて彼の方を向く。
鮮やかな緑の髪に、血のように鮮やかな赤い隻眼。あの時と同じ彼が、私が本の中で何度も思い描いた彼が、私の隣でくつくつと笑っていた。
このお城にかけられた魔法の一つに過ぎないのか、それとも私が生み出した幻覚なのかは解らないけれど、確かに彼は目の前にいる。
私はそれが嬉しくて、ぱっと弾けるように笑ってみせた。

そう、この人は私が微笑むことを禁じない。私の言葉を馬鹿にしない。それだけで十分だった。
そして何よりも、この人しかいなかったのだ。「人」の形をした生き物は、私を除けば、私の空想が生んだ彼しか、もう、何処にもいないのだ。
だから私は、夢中になって言葉を重ねた。彼はそんな私を呆れたように見ながら、けれどその目を絶えずこちらに向けて、私の声を聞いていてくれた。

「だって、とても綺麗でしょう?それにずっと空を見ていると、私が地面にいることを忘れてしまうの。空を飛んでいるような気分になるのよ」

彼はそんな私の言葉に、くつくつと喉を鳴らすように笑った。
その特徴的なテノールの笑い声は心地良く、私の鼓膜を温かく揺らした。彼は穏やかな表情で目を伏せ、肩を竦めた。

「随分と大仰な言葉を使うんだな。空を飛んでいる、だなんて、僕たちのような人間には勿体ない言葉だ」

「そんなことないわ。だってこんなにも綺麗なのよ。少しくらい大きな言葉を使ったって許されるんじゃないかしら」

おどけたようにそう言ってみせれば、彼は呆気に取られた顔で私を見つめた。
やがて、その華奢な肩を震わせ、声を上げて笑い始める。そんな彼に釣られるようにして私も笑った。
星はそんな私達を包むように瞬いていて、一瞬が永遠に感じられた。

シア

何か硬いもので叩かれたような気がして、私はゆっくりと頭をあげた。
トウコさんが私を呆れたように見下ろしている。どうやらその鏡台の角で頭を叩かれたらしい。
あの時のように、私はテーブルに突っ伏して眠っていた。頭が冴えてくるにつれ、私は昨日の夜のことを思い出していた。
……確か、あの人に酷いことを言って、逃げるようにこの部屋に戻って来て、泣き疲れて眠って、それから……。

「あ……」

「どうしてこんなところで寝ているのよ。そんなにあのベッドは居心地が悪かったかしら?」

大きな溜め息を吐いた彼女とは対照的に、私は勢いよく立ち上がって、朝日の差し込む大きな窓へと手を掛けた。
けれど、思った以上にその窓は重く、私の力ではびくともしない。もう一度力を込めようとしたその時、トウコさんから制止の声が掛かった。

「何をしているの、その窓は開かないわよ」

開かない?
そんな筈はない。だって私は昨日、この窓から外に出て、バルコニーで「彼」と話をしたのだ。
私はバルコニーで感じた冷たい風を、そこから見上げた満天の星空を、はっきりと覚えている。
あの風を、星を、夢の中のことと片付けてしまうには、それらはあまりにも鮮やかに私の心に残り過ぎていたのだ。
けれどそれを彼女に説明することはどうしても憚られて、私はもう一度、確認するように尋ねてみた。

「本当に、開かないんですか?」

「ええ、だって鍵が掛かっているでしょう?鍵はダークトリニティが持っているから、あいつ等じゃないと開けられない筈よ」

彼女の言う通り、その大きな窓には鍵が掛かっていて、その鍵の持ち主である3人のダークさんしか開けることはできないようになっているらしい。
……ではどうして、私はバルコニーへと出ることができたのか。あの「彼」との2度の邂逅は、何を意味していたのか。
解らないことが多すぎたけれど、それでいいのかもしれなかった。だって、現実にそんなことがある筈がないのだ。
本の中に住んでいる筈の少年が飛び出してきて、私の目の前に現れた、なんて。

「どうしたの?」

「……いいえ、私の気のせいだったみたい」

私は大きく伸びをして、今日着る分のエプロンドレスを手に取った。このクローゼットの中には、同じデザインのエプロンドレスが何着もあるのだ。
きっと、このお屋敷に人が住んでいた頃の、かつての使用人が着ていたものなのだろう。
他にも美しいドレスは沢山あったけれど、あんな堅苦しいものに袖を通すのは夕食の時だけで十分だった。

そうしていつものように、バーベナさんが朝食を持ってきてくれる。その後で、羽箒のヘレナさんが掃除をしに来てくれる。
至れり尽くせりの生活にも、そろそろ居心地が悪くなってきた。
かといって彼等の仕事を取り上げてしまう訳にもいかず、私にできることは何かないかしらと、お城の中を歩き回りながら考えていた。

料理も掃除も洗濯も、全て彼等がやってくれる。ドレスの裾上げも、それはそれは見事な速さで仕上げてくれた。
彼等はその道のプロだ。私がそこへ介入することは寧ろ、彼等の仕事を邪魔することになるような気がしていた。
結局、何も思いつかなくて、私は楽器の部屋で一日の大半を過ごした。Nさんや他の楽器たちの指導の元、私は何とか両手を使ってピアノを弾けるようになっていた。

シア、何か不自由はしていないかい?」

Nさんは私のことをよく気にかけてくれる。この部屋の中央に置かれたグランドピアノを、周りの弦楽器や管楽器は「N様」と呼び、慕っていた。
彼の心遣いがとても嬉しくて、私は少しだけ甘えてみることにした。

「私、ずっと此処で暮らすことになるのに、いつまでもこうやって何もせずにいる訳にはいかないと思うんです。何かお城のために、できることはありませんか?」

「キミが此処にいてくれるだけで、十分、このお城にとっては有難いことなんだけどね」

彼は困ったように笑いながら、クスクスと笑うかのようにハ長調の明るい曲を奏で始めた。
これはNさんに限ったことではなく、誰に聞いても、同じ答えが返って来る。シアさんは此処にいてくれるだけでいいのだと、彼等は口を揃えて言うのだ。
私は彼等の主に、とんでもない言葉を投げてしまったというのに。この城の役に立っていないどころか、あの人の機嫌を損ねることしかできない人間だというのに。

「けれど、何もしない生活に馴染めないのなら、何か見つけてみるのもいいかもしれないね。
キミができること、ではなくて、ボク等にできないことを探すんだ。案外、沢山あるものだよ」

「……貴方達にできないこと?」

そこまで考えて私ははっと気付く。私はNさんとごく自然に話をしているけれど、彼は人間ではないのだ。
人間の言葉を話し、人間らしい仕草や行動をしているけれど、彼等の形は紛れもなく人ならざるもののそれだった。
彼等も口に出さないだけで、色々と不自由をしているのかもしれなかった。

Nさんに有益なアドバイスを貰い、意気揚々と自分の部屋に戻ると、約束の時間が迫っていることを時計が告げていた。
予め丈を短くしてもらった(そうしないと裾を引きずってしまう)ドレスを身に纏い、ダークさんが迎えに来てくれるのを待つ。
そうして夜の7時、私は再び、あの人と同じ食卓に着くのだ。
眩暈がする程に美しい料理を口に運び、燭台のダークさんに「次はこの食器だ」と教わりながら、ぎこちなくも少しずつテーブルマナーを覚えていく。
そうしてデザートのプディングが運ばれた頃、私は深く息を吸い込み、口を開いた。

「ゲーチスさん」

彼はテーブルの向かいで、驚いたようにその隻眼を見開く。
そういえば、彼の名前を呼んだのは初めてだったかもしれない。


2015.5.16

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