14

私は初めて、ゼクロムの瞳を直視することができた。
トランクを取り返したときには、こいつがどんな目で私を見ているのかを知ることが怖くて、顔を上げることができなかったのだ。

……その赤は、やはりというかなんというか、レシラムの青い瞳がNに向けていた眼差しよりも少しだけ鋭い心地で、
けれども確かに私を認めているかのような、そうした、穏やかさと恭しさとを混ぜこぜにした色が、その赤にはしっかりと溶けていたのだった。

ウツギ先生から貰ったモンスターボールを取り出す。先程までポケットの中に入れていたダークストーンよりも、少しだけ小さい球体だ。
こんなところに閉じ込めていては窮屈だろうなあ、と思う。
でもこの大きな体躯を野放しにしていては、それはそれで周りにも迷惑な話だ、とも思う。

「レデュシオ!」

そういう訳で、私がこの大きなポケモンを前にして最初にしたことは、丁寧に挨拶をすることでも、ボールにゼクロムを収めることでもなく、
使い慣れた杖をロープから取り出して、縮小呪文をかけることであった。

3mほどの体躯はあっという間に私よりも小さくなった。
伝説と呼ばれるポケモンが、私なんかに呪文をかけられるがままになっている様がおかしくて、
調子に乗ってしまった私はその後も、さてどこまで小さくできるのかしら、と杖をかざし続けてみた。
1m、50cm、まだ小さくできる。まだきっと大丈夫。

そうして私がすっかり満足した頃には、ゼクロムは私が片腕で抱きかかえられる程の、30cm程度の可愛らしい存在に成り下がってしまっていた。
そんなゼクロムを前にして、私はお腹を抱えて豪快に笑った。「なんて可愛いんだろう!」という、最大の侮辱とともにゼクロムを抱き上げた。

「……トウコ、一応言っておくけれど、ゼクロムはとても気分を害しているよ」

「あはは、そんなこと勿論知っているわ!解っていて、やっているのよ」

Nはそのままの大きさのレシラムを撫でながら「それはとても悪質だね」と告げつつ苦笑する。
私が夢中で縮小呪文をかけている間に、Nはレシラムとの挨拶を済ませてしまったらしく、
Nが差し出したボールにレシラムの翼がそっと触れることで、その白い身体はあっという間に小さくなり、ボールの中へと吸い込まれてしまった。

「ボールの中に閉じ込めておくのと、縮小呪文で可愛くするのと、どちらが伝説のポケモンにとって屈辱的かしら?」

「屈辱の少ない方を選ぶための、ゼクロムのための質問かい?」

「違うわ、より屈辱的にさせるための、私のための質問よ」

私はこういう奴なのだと、私はこの場であらん限りに見せつけてやろうと思った。
Nは早々にレシラムをボールの中へと収めたけれど、レシラムは何の迷いもなくNを選んだようだけれど、
少なくともゼクロムに関しては、「引き返すなら今のうちだ」ということを、しっかりと示しておく必要がある気がした。

「私はこういう人間よ。あんたが思うような聖人君子じゃないし、あんたを敬おうなんて気持ちも更々ない。
あんたの力をもっと上手く使える人間も、あんたをもっと大事に扱ってくれる生徒も、あんたがその気になって探せばきっとすぐに見つかる」

「……」

「あんたが私を選ばなきゃいけない理由なんて、きっと何処にもない。
それでもあんたは此処に入るの?小さくて大きな30cmの屈辱に、あんたは耐えられる?」

ボールを差し出した。その手が震えていることに、きっとNもゼクロムも気付いていた。
「引き返すなら今のうちだ」と警告したのだって、ゼクロムへの配慮であるように見えて、きっと本当は私のためなのだ。

でも、一呼吸さえ置かずに、私の手の平ほどの小さな黒い翼がモンスターボールの開閉スイッチを叩いたから、
ゼクロムは本当に何の迷いもなく、私のポケモンになることを選んでしまったから、

『まさか、信じているよ。』
その信頼が、出会った頃のNを思わせる、あまりにも無垢で純粋で、危なっかしいものだったから、
ああこれは、私がしっかりしなければいけないのだと、私はこのポケモンの信頼に相応しい人になってやると、おのずから誓えてしまったのだった。

空を飛べるポケモンが欲しいと思っていた。
3年生になれば、パートナーポケモンとは別に、新しくポケモンを捕まえることが許されるから、
グリーンのピジョットのような、美しい翼を持ったポケモンを、禁じられた森の近くでこっそり探すつもりだった。
でも、その必要がなくなってしまった。そういう点において、ゼクロムが私のポケモンになったというのは、とても喜ばしいことであった。

中庭を出て、図書館に入り、秘密の通路を通って外へ出た。Nはレシラムをボールから出して、私はゼクロムの縮小呪文を解いた。
白い翼は真夜中の暗闇においても煌びやかな眩しさを湛えていて、黒い翼は満月の淡い光を吸い込んで煌々と瞬いていた。
レシラムもゼクロムも、凄まじい速さでホグワーツの敷地内を飛んだ。
息ができなくなるのではないかと思う程に速いその飛行に、もしかしてこれは、ゼクロムを可愛く縮めた私への仕返しかしら、とさえ思った。

スリザリンの寮を抜け出した際には真上にあった満月も、今では西の空に移動していた。
時計を見れば、短針が3を示していて、随分と長い時間遊んでいたのだということに気付かされた。
でもあっという間だったようにも思えて、楽しい時間ほどすぐに消えてしまうものだと知って、時間の不条理性をNと一緒に少しばかり恨んだ。

Nとの別れ際、私はゼクロムに縮小呪文を掛けた。そして私の「レデュシオ」を真似るように、Nもレシラムに縮小呪文をかけ始めた。
やはり縮小呪文で可愛くされるという屈辱よりも、ボールの中に閉じ込められる屈辱の方が上だったのだろうか、と考えたのだけれど、
Nは「どちらの屈辱も、カレ等にとっては大差ないようだよ」と、困ったように笑いながら説明してくれた。

「ただ「ゼクロムにだけ小さくなる屈辱を負わせる訳にはいかない」という風に考えているみたいだから、同じ大きさにしてみたんだ」

「へえ、レシラムは優しいのね。私ならNが小さくなっても、自分まで小さくなろうなんてこと、絶対に考えないわ。
……「可哀想に」とは、思うかもしれないけれど」

「……おや、キミは案外根に持つヒトなんだね」

彼のそんな指摘は、果たして正しかったのだろうか、それとも間違っていたのだろうか。よく、分からなかった。
私は彼の言う通り、根に持つタイプであったのかもしれないけれど、
「可哀想に」という、2年前のNの発言をずっと覚えていたことを理由に、私を「根に持つ」とするのはきっと間違いであった。
最初こそ、その憐れみに憤りしか感じていなかったけれど、今となってはあの始まりの言葉は、Nへの怒りを呼び起こさせるものではなくなっていたからだ。
私は、Nを叱責する意図で「可哀想に」をずっと覚え続けていた訳ではなかったからだ。
だってあの言葉から、あの無礼極まりない彼の一言から、私は、彼は、私達は。

「そうよ、この先何があっても、あんたのあの言葉だけはずっと忘れてやらないわ」

右腕に抱えたゼクロムが、ふっと笑ったように思われて、私は腕の中の赤い瞳を睨み付けた。
私の視線に気付いたゼクロムは、くいと首をこちらに向けて、私を挑発的に見上げてみせた。
成る程、とてもいい目じゃないの。


2013.9.11

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