ホグワーツにGhostとして存在している間は、生前の記憶を有することができる。
けれども次の命として生まれてくる赤ん坊には、当然のことながらそのような記憶などない。
肉体、記憶、頭脳、その他諸々をリセットして生まれてくる命は、けれども不思議な程に以前の命と似た育ち方をする。
永くホグワーツに留まるGhostが、初対面であるはずの新1年生を見て懐かしそうな、嬉しそうな顔をすることがあるのは、そうした理由である。
……そう、これも書き記しておかねばならない。
Ghostがホグワーツに留まることのできる期間に、制限はないのだ。
*
「あんたは誰でも良いんだと思っていたわ」
Kは私の隣をふわふわと漂いながらそう呟いた。隣にはシルバーがいるにもかかわらず、むしろ彼に自身の体を重ねるようにしてそう紡ぐ。
このGhostは礼儀を弁えていると思っていたのに、そんな、他のGhostと同じような低俗な悪戯をするなんて、などと勝手に落胆したりもしつつ、
けれども彼女の言葉が何を指しているのかが妙に気になったため、私はその無礼を指摘することができなかった。
「……どうした、何か俺の傍にいるのか?」
シルバーも私の不自然な視線に気付いたのか、怪訝な顔をしてそう尋ねてきた。
××と友達になって以来、他のGhostが私にちょっかいを出すことはほとんどなくなったが、彼女だけは相変わらず私に構い続けている。
私のことを「面白くない」人間だと言った癖に、彼女は私から目を離さない。私を忘れてはくれない。それは私が彼女に「同情出来る程度には気に入」られているからだ。
Ghostは例外なく私の敵で、いなくなってほしいとばかりと思っていたのだけれど、私もこの稀有なGhostに毒されてきているのかもしれなかった。
このGhostがいなくなれば、きっと私は悲しんでしまうのだろうなとさえ思えてしまっていたのだ。
「うん、レイブンクローの制服を着たGhostが、シルバーの頭から顔を出しているよ」
「……それは嫌だな」
「ほら、シルバーもこう言っているから、K、話なら後でしようよ」
そう言うと、Kは面白くなさそうな顔をしてすうっと彼から離れていった。
離れたのか? と尋ねるシルバーの霊感が、私のお姉ちゃんと同じくらい皆無であり、Ghostの類を見たことがないのだと話してくれたのはつい最近のことだった。
「誰でもいいんだと思っていたのにやけに執着するし、おかげで疲弊するばかりだし、あんたはちっとも似ていないし、うんざりするわね」
去り際に彼女はそう呟いた。
壁の方へ顔を向けて呟いたその声はそれなりに大きく、私に聞かせる意図を持って発されたものであることは容易に想像が付いたけれど、
だからと言ってその呟きが何のことを指しているのかまでは、あの程度の情報では分かるはずもなかったのだ。
*
いつもの席に彼女は座っていた。私は足音を立てないようにしてその背中に忍び寄る。
ぽん、とその華奢な肩を叩けば、鐘を叩くようなソプラノの悲鳴になって帰ってきた。彼女は驚くと、声が少し高くなる。
「足音がないから気付かなかったよ」
「びっくりした?」
「勿論。ほら、ここが煩いでしょう?」
針金細工のように細い腕が私の手をそっと掴み、ゆっくりと彼女の左胸に誘導した。
彼女の心臓は忙しなく鼓動を続けていた。こんなに驚かれるなんて思わなかった。
ちょっとした悪戯に反省して「ごめんね」と紡げば、彼女は相変わらず、私の全てを許すような「いいよ」を返して、笑ってくれた。
「××。私ね、ずっと考えていたの」
首を傾げる彼女に、私は本題を切り出した。
「私達は、離れてしまわなきゃいけないのかな?」
彼女の顔が強張った。私は彼女の左胸に当てた手に、本当に僅かな力を込めた。
××の心臓は忙しなく動き続けている。もう彼女は私の手首から手を放していたけれど、私はまだこの手を引っ込めるつもりはなかった。
「どうして××がそんなことを言ったのか、私は××にとってその程度だったのか、××は何に怯えていて、私は何を失くしたくないのか、ずっと考えていたの」
彼女は独りに慣れ過ぎていた。孤独への恐れはどう考えても私の方が強くて、だから私が彼女に縋るのは必然だった。
それでも独りが好きな人間などいない筈だった。一人の時間を望むことはあっても、ずっと一人で生きていくには世界はあまりにも冷たい。
人は一人では生きていけないのだ。それは私も彼女も同じ筈だった。
『私はずっと××と一緒にいたいよ。』
それは殆ど懇願に近いものだった。どうしても彼女に解って欲しかった。
彼女が他の人間との接触を拒むのなら、尚更私が離れていく訳にはいかない。彼女を一人にはしたくなかった。
彼女には私しかいなかった。それは倒錯的な幸福にも思えたが、同時にそれは責任を伴った。それでも私は寄り添うと誓いたい。
「大切な人と離れることが大人になることだなんて、私は信じない。私はきっと、みっともなく足掻いてしまうから、だから、その時は私を助けてほしい」
彼女は長い長い沈黙の後に、そっと私の左胸に手を当てた。
それまで気付いていなかったが、私の心臓も彼女に負けない程の鼓動を立てていたのだ。
「コトネの音は綺麗だね」
「……心臓の音?」
不思議なことを言った彼女は、私と同じようにそっとその手に力を込めた。
ねえコトネ。そう囁いた彼女は、消え入るようなメゾソプラノで歌うように紡いだ。
「もっと世界の広さを知って」
それはとても優しくて、しかしとても残酷な言葉だった。
「コトネがくれる言葉はとても好きだよ。でもね、そればかりに囚われないで」
「でも、でもね××。その世界の広さに、新しい出会いに気を取られて、本当に大切なものを取り零してしまったらどうするの?」
「それがきっと大人になるってことだよ。大切なものもその優先順位も変わってしまうの」
彼女の主張は変わらなかった。私は××の左胸に添えたままの手を強く握った。
「××は、この時間が嫌い? 私のことが、嫌い?」
どうしてこんなに醜く成り下がってしまったのだろう。言いようのない悔しさが胸を満たした。
私の心臓の音が綺麗だなんて嘘だ。私の音は濁っている。
今だって、優しい彼女がどう答えてくれるかを私は予想している。予想していながら、確信が欲しくて、私は残酷な質問をしたのだ。
そんなことないよと笑ってくれるのだ。彼女はそういう人だった。
しかしその予想を××は裏切る。
「好きだよ」
私は言葉を失った。彼女は照れたように笑った。
「だから、少し酷いことを言ってしまうの。コトネが大切だから。でもね、コトネが私を選んでくれたこと、本当に嬉しいんだよ。ありがとう」
だからそんな顔をしないで。と彼女は言ったが、私は自分がどんな顔をしているのか解らなかった。それすらも彼女の拒絶だと感じてしまう程に私は歪み始めていた。
彼女が本当に私を案じてくれていることに、彼女が私の未来を案じなければならない理由を有していることに、この時の私はまだ気付かなかったのだ。
2013.12.5