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「レイブンクロー2年、首席で進級したコトネさんはいらっしゃいませんかー?」

そんな大きな声が教室中に響き渡った。初めての練習試合を明日に控え、私の心臓は朝から落ち着かなかった。
そんな中、いきなり知らない声に大声で名前を呼ばれ、私の顔は赤くなったり青くなったりを繰り返した。
ドアのところで教室中を見渡していた彼女は、私と目が合うなり「見つけた!」と声を上げて駆け寄ってきた。

目元がクリスさんにそっくりだから、直ぐに解ったわ。
そう言って笑う彼女はおそらく先輩だろう。私は彼女の顔を直視することが出来なかった。
彼女の肩にいる真っ黒なポケモンに目が釘付けになっていたからだ。

「ゼクロムですか……?」

確か、イッシュ地方の神話に登場する伝説のポケモンだ。初めて見た。
威厳あるそのドラゴンポケモンが、チコリータよりも小さなサイズになって人間の肩に乗っている様子がおかしくて、私はつい吹き出してしまった。
初めこそきょとんとしていた彼女は、私が何に笑ったのかを把握するや否や、持っていたノートを丸めて私の頭を軽く叩いた。

「こら!ゼクロムのプライドを汚すようなことをしちゃいけません!」

「ご、ごめんなさい。」

謝りながら私は笑った。笑っている自分にひどく驚いた。
シルバー以外の人の前で笑ったのはひどく久しぶりで、長らく使われていない表情が軋む音を立てているような気さえした。

「私はトウコ、スリザリンの4年よ。首席繋がりってことで、まあ仲良くやりましょう。」

差し出された手に、私は恐る恐る触れた。
トウコさんの手はとても温かく、慌ただしく血が流れているんだろうな、だなんて、そんなことを思った。
何か言わなければと思い、私は言葉を探した。

「首席、凄いですね。」

「いやいや、あんただってそうでしょう。」

面白い子だね。トウコさんは豪快に笑ってそう言った。
そんなことを言われたのは初めてで面食らった。変な子、おかしな子だという認識はあっても、面白いと評されたことは未だかつてなかったのだ。
笑いの収まったトウコさんは、それじゃあ本題に入るわね、と肩を竦めた。

「明日の練習試合、コトネも出るんでしょう?いきなりだと緊張するだろうから、今日の放課後にでも一回飛んでみない?」

トウコさんも、メンバーなんですか?」

「そうよ、キーパーをやっているの。私は連れと一緒に来るから、コトネのボーイフレンドも一緒に連れて来なさい。」

グリーンさんと似たようなことを言って、彼女は嵐のように去って行った。
トウコさんだ。ゼクロム、相変わらず小さかったね。あの二人、付き合ってたんだ。そういえば練習試合、明日だね。見に行くの?そのつもり。一緒に行こうよ。
教室のざわめきからそんな言葉を拾い上げる。ボーイフレンド、という言葉に赤くなった頬が完全に治まってから、私は自分の席に戻った。
嵐のような人だったね。隣のシルバーにそう言うと、彼はとても面白そうに笑ったのだ。

「……どうしたの?」

「いや、何でもない。」

そんな彼の顔を、私は本当に久しぶりに見た気がしたのだ。

……まさかゼクロムを見たその日の放課後に、レシラムまで見ることになるとは予想だにしていなかった。
私はトウコさんに紹介された、グリフィンドール4年のNさんの顔をまたしても直視することが出来ずにいた。
何故なら彼の肩に、ゼクロムと対になる伝説のポケモン、レシラムが乗っていたからである。
こちらもゼクロム同様、かなりの縮小呪文が掛けられており、チコリータと同じくらいの大きさになってしまっている。
私はあまりの衝撃に言葉を失ったが、その隣でシルバーは平然としていた。

「シルバー、驚かないの?」

「レシラムとゼクロムがホグワーツに現れたことは、去年あちこちで噂になっていたからな。」

その噂すら知らなかった私が、伝説の2匹が生徒のパートナーとなったことなど知る筈もない。
世間知らずでごめんなさいと謝れば、トウコさんは豪快に笑ってくれた。
まさか私の名前を知らない人がいるなんて思わなかったわ。からかうようなその言葉に恥ずかしくなったが、そこに嫌味は込められていなかった。
寧ろ、私の世間知らずを歓迎するような態度だと感じられたのだ。こんなことを思うなんてどうかしているのだろうか。

Nさんはそんな私達のやり取りを眺めていたが、やがて私に歩み寄り、私の帽子の上に乗っているチコリータをそっと撫でて笑った。

「君のことをスキだと言っているよ。だから進化したくないんだね。」

それはよくあるお世辞ではなく、ただ事実を語るように淡々と紡がれた。
しかしその言葉を私はどうしても受け入れることが出来なくて、どういうことですか、と尋ね返していた。
脳内を掠めた強烈な違和感に心が震えた。共有されない世界がすれ違う音を聞いた気がしたのだ。私は彼に詰め寄った。

「君の頭の上に乗っていたいそうだよ。」

「チコリータが、そう言ったんですか?」

「Nはポケモンの声が聞こえるのよ。」

Nさんの返答を遮って、トウコさんがそう教えてくれた。
ポケモンの声が聞こえる。
それが単なる比喩ではないことを私は即座に理解した。つまりこの人は私達とは違う世界を持っているのだ。
私達にはポケモンの声など聞こえない。私達の世界は共有されない。

「便利な能力よね、羨ましいわ。」

「残念だけど、譲るつもりはないよ。」

それなのに、彼はなんてことないように笑ってみせるのだ。

「……。」

私の世界は共有されない。
それは私が一人であることを証明するための絶対の命題である筈だった。
誰も私の世界を知らなくて、誰も私の世界を信ずる術を持たなくて、だからこそ私は、冷たい世界の中で見つけた冷たい羽に縋ってしまったのだと思っていた。
種類こそ違えど、普通の人には持ちえない不思議な能力を持っている彼が、こんなにも自由に笑っていることは私に大きな衝撃を与えた。

それは彼の持っている元来の性格が故だろうか。それとも彼の傍にいる豪胆なトウコさんの存在が一因しているのだろうか。
彼の周りが恵まれていたのだろうか。あるいはその全てだろうか。
解らないことが多すぎる中で、しかし私には彼を縛っているものを捉えることがどうしても出来なかった。

では、彼と非常に似た境遇である私は、どうしてこんなにも苦しんでいるのだろう。何にこんなにも怯えているのだろう。
彼が騙された経験を持たないからだろうか。1年に渡る裏切りを知らないからだろうか。
しかし「私が騙されさえしなければ、Nさんのように普通でいられた」とはどうしても思えなかったのだ。
それはあまりにも傍若無人な思考であったし、そう断言するには私の自信はあまりにも欠け過ぎていた。
私は何処か歪んでいる。そのことに気付き始めていた。

「あ、そうだ。」

トウコさんは思い出したように、呆然と立ち竦む私の前で口を開いた。

「私やNに敬語は要らないから。そんな風に敬われてもちっとも嬉しくないのよ。」

そして彼女は信じられないことを言う。

「だって、友達に敬語だなんておかしいでしょう。」

「!」

「私は先輩としてコトネの指導に来たんじゃないわ。あんたと空を飛んで遊ぶ為に来たの。」

ねえ、だってそういうものでしょう。

2014.2.18
6話と重ねてみると面白いかもしれない。

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