「私、ゴーストのお友達がいるの。」
ホグワーツに向かう汽車の中で、姉が唐突にそんなことを言った。
コンパートメントには私とシルバーと姉とで同席しており、縮小呪文を掛けたメガニウムと、チコリータとヒノアラシが座席の下ではしゃいでいた。
ぽとり、と私が落としたいかりまんじゅうを、ヒノアラシが取り上げて返してくれた。未開封で良かったと安心する余裕すらなかった。私は姉に詰め寄っていた。
「どうやって?」
「?」
「だって、お姉ちゃん、見えないのに。」
「見えなくてもお話は出来るでしょう?筆談とか、ね。」
早朝、昼休み、放課後と図書館にこもっている彼女は、そこで知り合ったゴーストの友達がいるらしい。
そのゴーストが書いた本を姉が読んでいたのをきっかけに、向こうからノートとペンを使って話し掛けてくれたのだと教えてくれた。
以来、時々図書館で筆談をしたり、部屋のメモ帳を使って世間話をしたりしているという。
「気味悪がられない?」
「うーん。私はゴーストとお喋りできる訳じゃないからなあ。筆談ならそんなに目立たないし、きっと皆、気付いていないと思うけれど。」
そうだ、授業中でも気兼ねなく出来る筆談と、声を出してのお喋りとでは天と地ほどの差があるのだ。
私は落胆を気付かれないように、そっか、と相槌を打った。
私が疲弊しきってワカバに帰り、ホグワーツを辞めたいとまで言った直接の原因を、結局私は母や姉、ヒビキには言えなかったのだ。
ヒビキはシルバーから聞いてある程度は知っているが、姉はまだ何も知らない筈だった。
話さなくて良かった、と私は思った。自分の友達がゴーストにいるという姉が、私のゴーストに対する毛嫌いの程を知ったら悲しくなるだろうから。
すると彼女は「その友達から借りてきたものなんだけどね。」と言って、鞄から不思議な布を取り出した。
「……それは?」
「透明マントって、聞いたことない?」
透明マント!私は驚きのあまり座席から勢いよく立ち上がった。
色んな絵本や教科書にはその存在が載っているが、とても珍しいものだ。透明マントという名前の通り、身に纏った主体が回りから完全にその姿を消すことが出来る。
昔は怪盗、盗賊の間で使われていたようで、現在では使用目的というよりも収集品としての人気が高い。コレクターの間で非常に高い値段で取引されているらしい。
実際に見たのは初めてで、私は目を輝かせてその貴重なものを眺めていた。
すると姉はあろうことか、そのとんでもないマントを私の手にそっと乗せたのだ。
「シルバー君、これで良いのかな。」
「はい、ありがとうございます。」
「ねえ待って、話が見えないよ。どういうこと?」
彼女とシルバーは顔を見合わせて笑った。
私はシルバー君に頼まれただけで、透明マントを持っている知り合いがいれば貸してほしいと言われたと姉は説明してくれた。
「そのゴーストの友達が持っていたの?」
「ううん、持っている人は解っているの。その人はゴーストじゃなくて、普通の人間よ。でも私じゃその人が誰か解らないから。」
よく解らないことを言って姉は笑った。持っている人の目星は付いていたのにその人が誰か解らない、とは一体どういうことなのだろう。
マイペースな姉は、普段から私には理解の及ばないことを歌うように紡ぐことがよくあったが、今回の謎かけのような言葉もそれと同じなのだろうか。
更に質問を重ねようとして、しかしそれは叶わなかった。汽車がホグワーツへの到着を知らせたからだ。
「それじゃあシルバー君、コトネをお願いね。」
「はい、クリスさんもお気を付けて。」
先に立ち上がってコンパートメントを出ようとした姉は、振り返って私の頭をそっと撫でた。
「たまには私のことも呼んでね。こんなのだけれど、何の力もないかもしれないけれど、私はコトネのお姉ちゃんなんだから。」
その瞬間、私は彼女に本当のことを言えなかったという罪悪感に囚われた。
姉にゴーストの友達がいると聞いた時、私は姉を軽蔑したい衝動に駆られたのだ。
同時に、ゴーストが見えないから、ゴーストのことを何も知らないからそんな綺麗なお付き合いが出来るのだと姉を妬む気持ちも脳裏を掠めた。
そして、そんなゴーストの友人から借りたものなど、それがいくら珍しい透明マントであろうと持つ気になれないとさえ思ったのだ。
更に、それが人間の所有物で、又貸しによるものだと知って、とても安心したのだ。
私はこんなにも薄情な人間なのに、それでも姉は私を守ってくれようとしてくれる。そのことがとても悲しかった。
姉の厚意に相応しい人間になりたくて、しかしその道は果てしなく遠い気がしていた。
「……さて、お前はこれを被っていろ。」
そう言うや否や、シルバーは透明マントを広げて私にすっぽりと被せた。
いきなり何をするの。そう責め立てた私に、シルバーは申し訳なさそうな顔をした。
「その透明マントは誰にも見えない。」
「あ……。」
「ホグワーツにどれだけのゴーストがいるのかは解らないが、気休めにはなるだろう。
荷物は俺が窓から放り込んでおくから、お前は後からゆっくり来るといい。」
それは「視線」を恐れる私にとって、これ以上ないプレゼントだった。
これでもう、ゴーストにちょっかいを出されることはなくなる。クラスメイトの奇異の視線を浴びる時間も最小限で済む。何より、これを身に纏っていればあの子やKも気付かない。
彼はいつから、透明マントの所持者を調べていてくれたのだろうか。こんな道具を借りてくれるまでに、どれ程の苦労があったのだろうか。
彼は私がホグワーツに戻って来られるようにする為に、こうして準備をしていてくれたのだ。
私は怯え、怖がっていただけだったのに、彼は動き始めていた。私の為に、ここまでしてくれていたのだ。
「これ、私が持っていていいの?本当にいいの?」
当たり前だろう、と返した彼は、少しだけ驚いた顔をした。
どうしたの、と尋ねる前に彼の手が伸びてきた。姉が先程そうしてくれたように、私の頭をそっと撫でで肩を竦めた。
「なんだ、笑えるじゃないか。」
その言葉で私は自分の頬に手を当てた。僅かに温かくなったそれに少しだけ恥ずかしくなる。
じゃあ、お先に。そう言って彼はコンパートメントを出て行った。
私はチコリータを透明マントの中に入れて、廊下の足音が消えた頃を見計らって扉を開けた。
少なくなったとはいえ、ホームはホグワーツに向かう人で溢れていた。そこにはレイブンクローの寮生や、魔法薬学を一緒に受けるクラスメイトの姿もあった。
大丈夫、見られていない。皆には私が見えない。私の大切な人が、私の為に守ってくれた生活だ。絶対に逃げたりしない。逃げる訳にはいかない。
何の解決にもなっていないことは解っていた。
本当ならば、私は皆からの奇異の目や、ゴーストからのちょっかいに耐えて、人混みの中で生きていかなければならないのだ。
それらを全て遮断したところで、私が全てを恐れている不器用な人間であることに変わりはない。
しかし、それらを一度に背負うには私は疲れ過ぎていた。今再びその荷物を背負えば、今度こそ私は此処へ戻れなくなってしまうだろう。
だから今だけ、甘えさせて。
私は大きく一歩を踏み出した。見えない何かが微笑む気配がした。
2014.2.17
クリスの「よく解らない」発言は本編の「夏休み」19~20話辺りと「約束の魔法」を見ると解るかもしれない。