14

私は××の部屋に向かっていた。
いつもと違うのは、今の時間がもう消灯時間を過ぎていることと、それ故にパジャマ姿にロープを羽織った状態で廊下を歩いているということだ。
お気に入りのピンク色のパジャマは、少し裾が余っている。それを踏みつけて転んでしまわないように私は慎重に歩いた。
罪悪感はなかった。今日は全てが許される日だからだ。

全寮制の学校にはよくあることだが、ホグワーツでも例外なく、寮対抗で様々なことを競う。
バトルやクディッチを含んだ学業成績もそうだが、それらに日頃の生活態度などを加味して総合的に点数換算したものを、この学校では「寮点」と呼ぶ。
各寮の生徒達はその点を求めて競い合う。というのも、最も寮点の高い寮には輝かしい名誉の証である寮杯が贈られるからだ。
故に学業成績が優れた者、素行の良い生徒は歓迎される。逆に寮の足を引っ張るような生徒は嫌煙される。それはホグワーツの風紀を保つことにも一役買っていた。

そんな寮杯だが、今年はなんとレイブンクローが手にした。それだけでもレイブンクローの生徒としては喜ばしいことだが、他の生徒達まで浮かれている理由は別にある。
夏休みを明日に控えた今夜は、どんな行動をしても寮点に響かない。校則を破っても教師に無礼な物言いをしても、自分の寮点が減ることはない。
それを利用してか、終業式が終わった後のホグワーツはお祭りのように賑やかだった。そして、それは夜になっても続いている。

「××、起きている?」

私は他の生徒が夢中になっていたような、廊下を箒に乗ってフルスピードで走り抜けたり、教師の頭にチョークの粉を落としたりといったことに興味はなかった。
普段から「校則に縛られている」などと感じたことはなかったし、だからこれといってしたいことも思いつかなかった。
しかし、部屋の窓から飛び出して行った同室の女の子を見送った時、私の頭の中に悪い考えが浮かんだ。

「…ふふ。コトネ、校則違反よ。普段なら寮点が30点減っちゃうわ。」

「普段なら、ね。」

彼女はいきなり部屋を訪ねた私に驚くこともなく、寧ろその訪れを予想していたかのように、何の躊躇いもなく私を部屋に通してくれた。
彼女の好きな白一色のパジャマは、白いカーペットや天井に輪郭を溶かしていた。裾から見える
、針金細工のように細い手足が危なっかしい。
私の登場に気付いたエーフィがゆっくりと歩いて来て、足元をくるくると回った。部屋の隅にいるもう一匹に気付いて、私はその黒い身体をそっと撫でた。

「ブラッキーも来ていたんだね。こんばんは。」

このブラッキーも××の手持ちだ。普段はホグワーツの校舎の中や、クディッチの練習場を徘徊している。
しかし自分のパートナー以外のポケモンを捕まえられるのは3年生からだ。故に彼女はブラッキーのトレーナーではない。
野生のポケモンが一人のトレーナーに懐くことは稀だ。早く3年生になって、この子のボールを用意してあげられるようになるといいのに。
そう思ったが、そんなものがなくとも、このブラッキーは××の元へ帰って来るのだろう。何より彼女がそれでいいと笑ったのだ。
「たまにふらりと戻ってくるの。」特に気にする風でもなく、そう言ったのだ。

「ごめんね、私にもっと体力があれば、コトネと一緒にホグワーツを探検出来たんだけど。」

彼女は申し訳無さそうに謝るので、私はそれを慌てて否定した。
此処に来たのは、彼女を外に誘うためではない。私の目的は別にあった。

「そんなの、いいよ。ただお喋りして、この部屋に泊めてくれればいいだけ。」

お泊り会みたいでしょう、と笑えば、彼女は数拍置いた後に頷いてくれた。
じゃあ、今日はコーヒーは止めようかと呟き、振られた杖は紅茶を呼び寄せる。
ミルクを多めに加えたそれを私に差し出して、彼女は自分のマグカップにもそれを注いだ。

「…××がミルクを入れているところ、初めて見た。」

「そうだね、柄にもなくはしゃいでいるのかも。」

それと紅茶にミルクを加えることと、どういう関係があるのか解らなかった。しかし彼女は元来そうした不思議な発言が目立つ人間だった。
だから私は「はしゃいでいる」という単語だけ拾って笑うことにした。少なくともその言葉からは拒絶は感じられなかったからだ。
ベッドに二人で腰掛け、マグカップの中身を少しずつ飲む。私の為に用意されたピンクのマグカップは、彼女が用意してくれたものらしい。
白を基調とした(というか、殆どのものが白)部屋の中で、ピンク色のそれは異彩を放っていた。だからこそ、私の為のものだと確信を持つことが出来たのだ。

ごちそうさま。お粗末様でした。
そんな冗談を交わし合った私達は、そのままベッドに倒れ込んだ。
××は枕元に置いてあった杖を取り、軽く宙を撫でると、部屋を照らしていた明かりがゆっくりとほの暗いものに変わっていった。

「ふふ、本当にお泊り会みたい。」

××の声は弾んでいた。それに釣られて私も笑った。

「レイブンクロー、寮杯を取れたね。」

コトネが学年一位を取ったからね。」

「そんなことないよ、××の方が頭は良いもの。」

「評価されなければ貢献は出来ないわ。コトネは私なんかよりずっと素敵よ。」

いつものように穏やかに、しかし屹然とした態度で紡ぐ××の様子は、それでも何所か違って見えた。
空気のように軽い布団を被り、その中に潜る。暗闇の中で彼女の細い手を探した。
見つけた。力を加え過ぎれば壊れてしまいそうなその指に私の指を絡めた。彼女の息が不自然に止まる気配がした。息を飲んだのだと気付くのに時間が掛かった。
人のものではないような冷たさだ。ぞっとする程の温度を秘めたその手を、私は握り潰さないように、しかし出来るだけ強く握り絞めた。

「××の手は冷たいね。」

「…そうかな。」


「私の温度を分けてあげられたらいいのに。」


とうとう××は黙ってしまった。
その沈黙は私に不安の類の感情を呼び起こさせるに十分だった。しかしごめんねと原因も解らずに謝るのはどうしても躊躇われて、だから私は尋ねることにした。

「どうしたの?」

すると空気が動いた。暗闇の中で彼女が微笑む気配がした。

「ありがとう。」

私の天使に、私の温度を差し出せたなら。そしてその温度を私が感じられたなら。
しかしそれらは希望論に過ぎなかった。それでも彼女はありがとうと言ってくれた。
私は全てに気付いていないまま、愚かな子供のままで居続けていた。
私は希望と現実とを混同していたのだ。私の天使が泣いていたことにも気付かないまま、愚直にも、この温度を彼女に捧げられると信じていたのだ。

羽は冷たいままだったというのに。

2013.12.11

© 2025 雨袱紗