パーティの華やかな空気に酔ってしまった私は、外に出ようとシルバーを誘った。
彼は頷き、ドアの方へ歩みを進めたが、その間も繋がれた手が解かれることはなかった。
そしてその歩幅はいつもよりも更に小さい。私が履きなれないヒールに苦戦していることに気付いているらしい。
彼はとても繊細な気遣いが出来る人だ。女の子である筈の私ですら思わず感心してしまう程の。
大広間を出る際に、ランス先生と目が合った。片手をひらひらと振って送り出してくれる。
アポロ先生は?と声に出さずに尋ねれば、彼は顎でとある一角を指した。
明らかに対になっている真っ白のドレスとスーツが踊っている。お似合いのカップルだと羨む声と、双方を狙っていた生徒達の落胆の声があちこちから聞こえる。
随分と大胆なことをするのね、と、何の事情も知らない私は、自分のことを棚に上げてそんなことを思った。
廊下をゆっくりと歩いて、中庭に出た。雲一つない空には星が確認出来る筈なのだが、この華やかなホグワーツの下ではそれも叶わない。
星、見えないね。そう呟くと、彼は黙って私の手を引いた。
そのまま外に出て、芝生の上をゆっくりと歩く。寒かったような気もするが、正直、気温を感じる余裕などなかった。
「…ねえシルバー、私、そんなに見苦しい恰好をしている?」
は、という素っ頓狂な声が返ってきたが私は真面目だった。
そんな驚きの声に誤魔化して握った手の力を緩めることだって出来た筈なのに、それを選ばない彼の姿勢に救われていた。
「気のせいかな?私を見てくれない。」
「…気のせいじゃない。だが理由が違う。」
振り返った彼はいつもの不機嫌そうな顔をしていた。黒いスーツは闇に溶けていた。
もうホグワーツの明かりから随分遠く離れてしまっていた。
「見ないんじゃない。見られないんだ。」
「…。」
「どうしていいか、解らなくなる。コトネが、コトネじゃないみたいだからな。」
彼にとんでもなく恥ずかしいことを言わせようとしている。そう気付いた時には遅かった。私は顔を真っ赤にして謝っていた。
ごめんね、変なことを言わせてごめんね。そういうことじゃないの。ただちょっと気になっただけなの。
そんな風に何度も何度も謝罪する私に、シルバーはとうとう笑ってくれた。
「なんだ、いつものコトネじゃないか。」
そして、そんなことを言うのだ。
だから私はそのお礼も兼ねて、私の本音をそっと差し出してみることにした。
「シルバー、かっこいいよ。とっても似合ってる。」
すると彼は私に背中を向けなかった。
いつもなら足早に歩きだす筈だった。彼の隣に私が並んだことを認知して、その歩幅を少しだけ緩めてくれる筈だった。彼はそうした気遣いが出来る優しい人だった。
しかし彼は私をじっと見ていた。暗闇だからなのか、それとも別の要因が絡んでいるのかは解らないが、その目が私から逸らされることはなかった。
「コトネだって、そうだろ。」
言いにくそうに発せられたそんな言葉に私は沈黙した。シルバーは慌てて、先程の私のように早口で言葉を並べた。
なんでお前からそういうことを言うんだよ、とか、俺が言わざるを得なくなったじゃないか、とか。その大半が私への八つ当たりだったので思わず笑ってしまった。
いつものような砕けた応酬の中に、それでも普段とは違う何かを拾い上げることが出来た。
それはお洒落なドレスのせいだろうか。普段より近い顔のせいだろうか。いつまで経っても放されない手のせいだろうか。
どれでもいい気がした。重要なのはその拾い上げた内容であって、そこに至る過程の純度は問題ではない。
このパーティの空気に浮かされたのだとしても、姉が選んでくれたドレスがそんなうれしい言葉を引き出してくれたのだとしても、彼は嘘を吐かない。私を一人にしない。
そして、私も彼には嘘を吐きたくないと思った。彼を一人にしたくないと思った。彼の傍にいたいと思った。
拙い思いだが、それは紛れもない真実だった。それで十分だと思った。
*
禁じられた森のギリギリまでやって来た私達は、同時に上を見上げた。
ホグワーツの敷地内で、ホグワーツから最も離れた場所。この近辺で最も暗い場所。だからこそ、星の明るさが目に染みた。
ジョウトのプラネタリウムなど比べものにならない程の絶景だ。
「ドレスだから、芝生に寝転がれないね。」
「別に良いんじゃないか?どうせクリーニングに出すんだ。」
そう言ってシルバーは仰向けに寝転がった。私の手を握ったまま。
わ、と小さな悲鳴を上げて視界が反転する。吐く息の白さが夜空を濁らせていた。
ああ、髪が乱れてしまったと思いながら、どうせもうシルバーしかいないし、いいやと思い直して私も仰向けになった。
先程よりも物理的には遠くにある筈の星空が、何故かとても迫って見えた。その荘厳な圧迫感に息を飲む。感動のメーターが振り切った私は無性に泣きたくなった。
「ねえシルバー、ありがとう。」
「…何がだ。」
「全部。」
そんな戯言を彼は拒否しない。いつだって、彼は私を拒まない。一人にしない。彼は残酷なまでに優しい。
「私に話し掛けてくれてありがとう。私を大切に思ってくれてありがとう。私を一人にしないでくれてありがとう。」
彼は何も言わなかったが、握った手に込められた力が強くなった。私も強く強く握り返した。それで十分だと思った。
風が膝上のスカートを煽いで通り過ぎた。私の体温が彼女のように冷たくなっていくような気がしていた。
しかし繋いだ彼の手は熱くも冷たくもなかった。私の温度と彼の温度は同じように移行していた。
同じ場所にいるのだから当たり前だとも思ったが、そんな当たり前すら愛おしいと思えたのだ。その理由を探る程野暮ではなかった。
「ありがとう。」
すると彼からもそんな言葉が返ってきて、私は思わず笑ってしまった。
「…何が?」
「さあな。お前のそれと似たようなものだろ。」
さあ帰るぞ、と言って彼は私の言葉を掻き消した。それが照れ隠しの類だと知っていたから、だから私はそれに甘んじることにした。
彼は立ち上がる為に手を離した。しかし上体を起こした私に、当たり前のようにもう一度その手を差し出してくれた。
その手を取り、歩き出す。
禁じられた森の方を振り返る。この場所は外に出られるゴースト達の溜まり場でもあった。
彼等も同様にドレスやスーツを身に纏っていて、普段なら嫌悪の対象でしかない彼等すらをも優しく見送ることが出来た。
宙を踊る白い影の中に、見慣れすぎた顔が混ざっていた気がしたけれど、気のせいだったのかもしれない。
2013.12.9