赤は喉に、黒は腹に、黄色は歌に

「お二人さん、おいで! いいものがあるんだよ」

 そんな声が、バトルコートから戻ったばかりの私達に掛けられた。手招きされるままにキッチンへ向かうと、ミツバさんがガラスのボウルに盛り付けた綺麗な赤をテーブルへ置くところだった。あの特徴的な黒と緑の皮から離れてしまうと分かりにくいけれど、これはきっとスイカだろう。ウォーターメロンと呼ぶ人の方が多いかもしれない。ガラルでは緑や黄色の果肉を有するメロンの方が圧倒的に有名で、こちらを食べる機会は滅多にない。どんな味だったっけ、とじっくり考えなければ思い出せない程度には、それを食べるのは久しぶりだった。
 そして、それはテーブルに歩み寄ってその背中を折り、まじまじとその、小さな丸い赤達を見つめるセイボリーも同じだったようで、水色の目を子供のように大きく見開き首を捻っている。皮から綺麗にくり抜かれた一口サイズの状態だから、あの果実と結びつかないのかもしれない。きっとスイカだよ、と耳打ちすれば、彼は我に返ったかのように背筋を正し、コホンと咳払いをする。

「……ええ、ええ勿論! ワタクシ存じておりました!」

 などと慌てて口にしながら、それでも「では有難く頂戴します、ミセスおかみ」としっかり告げてから椅子を引く。彼なりの「いただきます」を欠かすことは決してない。その折り目正しさは素直に、素敵だと思う。

「カントー地方からの輸入品が手に入ってね。あっちのスイカは種が大きいからそのままだと食べにくいだろうと思って、見える分は全部取っておいたよ」

 アイスを救い取る時に用いるような丸いくり抜き器、メロンポーラーと呼ばれるものらしいそれをヒラヒラと振りながらミツバさんがそう付け足す。ガラルで流通する数少ない楕円形のスイカであれば種は白くて小さくて、そこまで気にならないけれど、確か別地方のスイカの種は黒くて存在感があり、随分と硬いのではなかったか。それに種の配置だって、メロンのように中央へと集中しているのではなく、その果肉全体に点在しているはずで、それらを取り除くとなると正直かなり面倒そうだ。その工程をさらりとやってのけ、なんてことのないように口にして微笑むミツバさんには、やはり一流の「おかみさん」の空気が漂っている。

「ありがとうミツバさん、いただきます」
「はーい、召し上がれ! その器の分は二人で全部食べちゃっていいから、ごゆっくりどうぞ」

 至極楽しそうにそう告げるミツバさんの笑顔を見て、私はこのガラスの器が一つしかないことの理由にようやく思い至った。どうも彼女は普段から、私とセイボリーをまとめて扱いたがっている。今回のこれも「二人で仲良く分けて食べなさい」という趣旨で、ガラスの器が不足している訳でもないのに、敢えて一つしか用意しなかったのだろう。
 セイボリーとはいつも隣の席で食事をし、毎日のようにバトルを交わし、オフの日には一緒に島を散策したりブラッシータウンに買い物に出かけたりさえする間柄だ。当然、憎からず思っているし、家族のように兄弟子と慕う心地を私はたいへん気に入っている。でもミツバさんの「意図」は、それとは少し違うところに置かれているようだった。つまり、私とセイボリーを、家族ないし弟子兄弟としてひとまとめに見ている訳ではない、ということだ。

「綺麗だね。ほとんど水みたいなものなのに、キラキラしていて、宝石みたいだ」
「ええ、流石はミセスおかみ。フルーツをエレガントに見せる術を心得ています。ワタクシではこうはいかないでしょうね」

 勿論、その意図により差し出された一つの器、この中身をセイボリーと分け合って食べることに抵抗がある訳ではない。むしろ、そういう親しげなことを彼女の計らいによってできるのは素直に嬉しい。懸念は、その相手がこの状況を嫌に思わないか、というところにあるけれど、ニコニコとしながらスプーンでそれを掬い取り、果汁が落ちないよう左手で受け皿を作りながら上品な仕草で口に運ぶ彼を見ていると、それさえも杞憂だったのだと確信できる。
 色の白い彼の手元に咲くスイカの赤は、私のところへやって来たそれよりも随分と鮮やかに、綺麗に見えて、私は思わず食べる手を止めてしまった。そうして夢中になっていく。他の誰でもない彼と一緒にスイカを食べているという、この至福に。

「君の場合は『できない』じゃなくて『しない』だろう? タマネギを切っているときに誤って怪我をして以来、一度も食事の手伝いをしたことがないと聞いたよ」
「なっ……ち、違います! 確かにその不名誉な失態を犯したことは認めますが、その役目からワタクシが逃げていると思われるのは心外だ! ワタクシが『手伝わない』のではなく『手伝わせてくれない』のですよ、危険だと言われてしまって」
「ふふっ、どうせタマネギの催涙成分に泣かされてしまって手元が狂ったんだろう。それで怪我をしたことに焦って、心配して近寄って来た人の前でナイフを振り回したに違いないね。泣き顔を見られたくないからって刃物を浮かせるのはよくないよ、セイボリー」

 ピタリ、と彼のスプーンも止まる。眼鏡が瞬時にぱっと曇る。相変わらず見事な一芸だ、などと感心していると、その奥の目が恨めしげに私を睨み付けてくる。勿論、ちっとも恐ろしくなどないし、彼だってその睨みの効果が「いまひとつ」であることくらい心得ているはずだ。分かっていて、それでも睨み付けずにはいられないのだろう。だから甘んじて受け入れる。この睨みに限ったことではなく、相手が彼であれば大抵のことは許せる。

「まるで見てきたかのように言うじゃありませんか」
「間違っている?」
「いいえ、お見事ですよ名探偵さん」

 皮肉めいた称賛の中に「探偵」という単語が入っていたことは私を素直に喜ばせた。詮索好きな質の悪さをそのように形容されるのは悪い気分ではない。ことに彼からの評価であれば、そんなもの、嬉しくならないはずがなかったのだ。そうだろう、と得意気に同意しつつスプーンでまた一つ、丸くくり抜かれた可愛い形のスイカを一粒取り上げて、口に運ぶ。セイボリーも同じようにそれを口に運び、……次の瞬間、カシャンとスプーンを取り落として大きく背中を折った。
 シルクハットをいつものように旋回していたボール達が、統率を失いポロポロと落ちてダイニングの床を転がっていく。左手で首元を締めるように押さえつけながら、肺を潰さんとする勢いで激しく咳き込んでいる。あまりの変化にさっと血の気が引き、椅子を引き倒さんとする勢いで私は立ち上がったのだけれど、彼の背に手を置く寸でのところで気が付いた。成る程、もてなしのプロであるミツバさんの手をもってしても、流石に全ての種を取り出すことは不可能であったらしい。

「ねえ、大丈夫?」
「かはっ……ふっ、う、どうしましょうユウリ。何か硬いものを、飲み込んでしまって」

 え、種を知らない? まさか君、生まれてこの方スイカを食べたことがなかったとでもいうのか? この果実が「スイカ」であることを、本当に分かっていなかったとでも?
 確認しようとするより先に、道場の門下生である男の子二人が、彼の悲壮感に溢れた咳き込む声を聞きつけてダイニングへと飛び込んできた。私達に先んじてスイカを食べていたと思しき彼等は、涙目で顔を上げるセイボリーを見て、何が起こったかを瞬時に察したらしい。一人は「大丈夫?」と私と同じように彼を案じる声をかけた。けれどももう一人はにやりと笑って、とんでもない爆弾を落としたのだ。

「ねえセイボリー、スイカの種ってね、飲み込んじゃうとお腹の中で芽を出して、そのまま放っておくとお腹を食い破っちゃうんだよ!」
「ちょ、ちょっと!」

 言うまでもないことだけれど、迷信だ。はったりだ。普段から高飛車な態度を崩さない彼に対しての、子供らしい、ささやかな報復の手段としてその嘘っぱちな情報が使われただけの話だ。実に微笑ましいことである。大いに結構。でも相手が悪すぎる。この男を誰だと心得る。そう、セイボリーだ。その綺麗な長い指一本であらゆるものを浮かせ動かせ思いのままに指揮できる超人だ。そんな彼に告げるはったりとして、これ以上の効果を発揮するものがあるだろうか。きっと、ないはずだ。

「……」

 彼はしばらく絶句していた。ただでさえ白い肌が更に色素を失い冷たい色へと変わっていく。無理もないことだと思う。私もその迷信を聞いたときは少なからず青ざめたものだ。少し考えれば「そんなことがあるものか」と笑い飛ばせるような内容には違いないのだけれど、彼にその冷静な対応を期待するのは酷というものだろう。
 案の定、彼は青ざめた表情のままに、右手の人差し指を自らの胃に差し向けた。自らの体内に入ったものにその力を使ったことは彼の人生でも初めてであったらしく、その手はひどい震え方をしている。彼にしか制御できないテレキネシスで、彼自身がとてつもない害を被ることになってしまっては大変だ。ああなんて厄介なことを!

「何をするのです! 早く手を離しなさいなユウリ、事は一刻を争うのですよ!」
「あのね! 一度飲み込んだものをテレキネシスで出せてしまえるはずがないだろう!」

 慌ててその手を掴みテレキネシスを阻止しようとする私、振り払おうと抵抗するセイボリー。ダイニングは一気に戦場と化した。誰も争いなど望んでいないにもかかわらず、こうして要らぬ火花が散ることは往々にしてある。それが人の性、とりわけ質の悪い私達の間ではよくあること。でも、これほどまでに下らなく、これほどまでに面白い戦争は経験したことがなかった。故に私は笑いながら、けれども全力で彼を抑え込もうと必死になった。彼は勿論、涙目で抵抗した。

「君は人の消化管の構造なんて分かっちゃいないんだろう。中で種をむやみやたらに暴れさせたところで君の胃や食道が余計な傷を負うだけだ。そんな負傷の仕方をされても、この場にいる誰も君を治療できないんだよ!」
「多少の傷など知ったことですか! 命が掛かっているんですよ!? ワタクシは! こんなところで死ぬわけにはいかないんだ!」
「ああもう、だから迷信なんだよあれは! 本当に種が芽を出すはずがないだろう、いい加減にしないかセイボリー!」

 彼を押し倒し、無力化できるだけの腕力があればよかったのだけれど、そもそもの体格差、そして彼がそれなりに鍛えているということもあり、私はその右手首を両手で掴み、腕相撲をするかのような要領でテーブルへ押さえつけておくことしかできなかった。それだって、彼が火事場の馬鹿力などを発揮すれば一発で振りほどかれてしまうだろう。
 私も一緒に筋力トレーニングをする必要があるかもしれない、などと反省していると、セイボリーの左腕がぐいと掴まれ、くるりと、まるで紙縒りを作るかのような軽さで捻り上げられていった。救世主、ミツバさんの登場である。騒ぎを聞きつけてやって来てくれたらしい。洗濯物を取り込んでいる途中だったのだろう、その左脇にはバスタオルの山を抱えている。圧倒的な「実力」の差で鎮圧され、身動きが取れなくなった彼は甲高い喚き声の一切を絶やし、沈黙する。ダイニングに穏やかな時間が戻ってくる。にっこりとひとつ微笑むだけで、彼女はこの場を見事に収めてみせた。素晴らしい手腕だ。私もいつかああなりたい。

「……すみません、取り乱しました」
「分かればよろしい! こら、あんたも変なことをセイボリーに吹き込んじゃ駄目よ。何でもすぐ鵜呑みにしちゃうんだから、この子」

 はったりの出どころである男の子をしっかりと咎めつつ、そしてスイカの種を取り切れていなかったことへの謝罪まで丁寧に重ねたのち、彼女は私達にスイカを差し出したのと全く同じ笑顔でニコニコと立ち去っていった。男の子はセイボリーへと駆け寄り「ごめんね」と謝罪することを忘れなかった。道場に集う「家族」は基本的に心根の優しい人ばかりである。ただ、ちょっとした質の悪さが暴走することがあるだけの話だ。

 男の子二人が立ち去ってから、私はセイボリーと共に改めて席に着いた。彼は自らの犯した失態に深く項垂れていた。いつものことだ。彼の反省会、もとい懺悔大会に付き合うのはやぶさかではない。私からは口を開くことなく、ただ彼の話に相槌を打つ。その穏やかな時間は嫌いではなかった。ただ今回は、穏やかな心地ではいられなかった。私は、笑いを堪えながら彼の懺悔を聞く羽目になっていたからだ。だって、ねえ、あまりにも面白すぎはしないか。
 けれども彼にとっては一大事であったことは、先程の取り乱し様から察して余りある。「本当に死んでしまうかと思った」「まだあなたに一勝もできていないのに」「ワタクシが急逝などすればエレガントさんたちはどうなる」「兎にも角にもこの身が惜しいのだ」そうした趣旨の内容をぽつりぽつりと零していく彼の言葉の切実さに、私は笑いを削がれていく。この人はいつだって懸命でいつだって必死だ。そんな彼が、……まあ在り得ないことであるとはいえ、スイカの種の侵食にも負けず、生きていてくれてよかったと心から思う。

「君が無事でいてくれて本当によかったよ」
「……それは流石に、からかっているでしょう。ワタクシにだってそれくらい分かるのですよ」
「ふふ、君にも探偵の素質があるね。でも君が大きく体を折って咳き込み始めたとき、怖くなったのは本当だよ。どうやら私も君の命が惜しいらしい」

 先程の騒動を経て、少し温くなってしまったスイカをスプーンで掬い上げる。まだ不安そうにそれを見つめる彼がおかしくてクスクスと笑いながら、「大丈夫だよ」と私は歌うように告げてみる。ほら、とそれを彼の眼前へと差し出せば、長い、随分と長い躊躇のあとでぱくりと口を開けた。白い肌を持つ彼の口に真っ赤な果実が吸い込まれていく様は、やはりとても綺麗だった。

「ね、大丈夫だったろう」
「ええそうですね、命に別状はない。でも本当に『大丈夫』であるのかどうかは……あなたもその身で確かめてみては?」

 どういう意味だろう、と思いながら最後のスイカに伸ばしたスプーン、それがふいに奪い取られ、宙に浮いた。スプーンの周りを覆う淡い水色の光は、先程、彼が腹の中の種に向けて使おうとしていたもの、テレキネシスの加護を受けていることをはっきりと示している。食器に対してそれを使うことを、彼は「ノン・エレガント」として好んでいなかったはずなのに、今日に限ってどうしたことだろう。
 などと考えている余裕は瞬時に失われた。彼はその食器を自らの手に持ち替えて、最後のスイカの一粒を掬い上げ、先程私がしたように「大丈夫ですよ」などと歌うように、……そう、その歌めいた抑揚までぴったり私のそれと揃えるように紡ぎつつ、私の眼前に持ってきたのだ。心臓が勢いよく跳ねてしまう。顔が赤くなっているのが自分でもよく分かる。成る程これは実に質の悪い「ミラーコート」に違いない!
 私は降参の意味を込めて口を開ける。舌へと転がり落ちてきたスイカはとびきり甘い。シャリシャリと咀嚼して、喉へ通してから私は笑う。僅かに頬を染めた彼の腹、黒い種の沈むそこに若干の睨みをきかせつつ。ああそういえばスイカは黄色い花を咲かせるのだったか、などと思いながら。

「成る程確かに、全然、大丈夫じゃない!」

2020.7.3
(ジャパンでは「野菜」の分類ですが、イギリスでは「果物」として認識されているようです)

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