「どうしました?」
プラズマフリゲートに設けられたアクロマの自室で、つい先程まで寝ていた筈の少女が泣いている。
嗚咽を噛み殺すようにして、その肩だけが小さく震えている。
コーヒーを入れに席を外した、僅か数分の間に何があったというのか。動揺を隠すようにアクロマは笑った。
ソファに身を投げ出した、その少女と視線を合わせるようにして屈んだ。
「シアさん、どうしました?」
「……」
「何処か具合が悪いのですか?」
二度目の問いにふるふると首を振った少女は、顔を上げないまま、手探りで何かを探している。
自惚れでないと良い。アクロマはその手をそっと握った。
「此処に居ますよ」
すると、その伏せられた顔から蚊の鳴くような声が聞こえて来る。
「……良かった」
……それはこちらの台詞だ。アクロマは苦笑した。
差し出した手は自惚れではなかったのだと、確認出来た真実を大事に抱くようにして、もう片方の手で少女の頭を撫でた。
「どうして、アクロマさんは居なくなっちゃったのかなって、思ってたんです」
しかし続けられた言葉に愕然とする。噛み合わない前後の会話に頭が捩れる思いがする。
どういうことだ。この少女は何を言っているんだ。しかし疑問は直ぐに氷解した。
「ゲーチスさんと戦って、Nさんと別れて、それでヒュウがやって来て、やっぱり言うんです。
プラズマ団の船は飛んで行ったって。もうあの場所にアクロマさんは居ないんだって」
その言葉はそう遠くはないあの出来事を思い出させた。
この少女が自分の未来を示してくれたあの日、自分の望む答えを笑顔で差し出してくれたあの時。
そこまで思い出してアクロマは唖然とする。少女はこの自分を責めているのだ。
行かないで欲しかった、何故消えてしまったのか、残された側の気持ちを貴方は考えたことがあるのか、と。
そう糾弾してくれた方が遥かに楽になれたのに、少女はただ嗚咽を零している。
それは少女の優しさだろうか、それとも厳しさだろうか。
「ポケモンリーグになんて行きたくなかった。チャンピオンなんて要らなかった」
「……」
「でも、そんなことをアクロマさんは許さないだろうなって、もう会えない筈なのにそんなことを思っていました」
徐々に雄弁になる少女を相手に、アクロマは何も言うことができなかった。代わりに脳内で自問してみる。
自分は何故あの時、直ぐにあの場を離れたのだろう?何故直ぐに船を出したのだろう?
簡単なことだ、自分は少女から逃げたかった。この恐ろしく強い、そして優しい少女から離れたかった。
自分と必要以上に関わった過去は少女の足枷になるだろうと予測し、また自分も少女と関わることで袋小路に追い込まれるのではないかと考えていた。
しかし、そのどちらも外れていた。
要するに、もう手遅れだったのだから。
「……貴方に会いたくなかったのですよ」
その言葉は自然に、極自然に紡がれた。アクロマは驚いていた。しかし自分の意図に反して意味のある音は一人歩きをする。
「貴方をわたくしと会わせたくなかった。わたくしは逃げたんです。貴方から。
それが貴方の為だと思っていた。……どうしようもない自惚れですね」
しかし少女はふるふると首を横に振った。
「いいんです。だってもう会えたから」
そしてようやく少女は顔を上げた。涙で濡れた頬はそのままに、その海のような目がアクロマを見据えた。
ああそうだ。自分は恐れていたのだ。この美しい少女の末路を。
自分が誘導を掛けておきながら、無責任にもそれを見届けることをしなかった。
信頼などという綺麗な装飾は役に立たなかった。
この少女を巻き込んでしまった罪悪感に苛まれながら、それでも自分はこの少女を離したくなかった。
だから、逃げたのだ。
「会えない夢を見たんです。でも、目が覚めたらアクロマさんが居ました」
だからいいんですと少女は笑う。その目には深く隈が彫られていた。
アクロマさんをずっと探していたから。ふらつきながらそう言った少女を無理矢理ソファに寝かせたのがつい1時間前。
もう一眠りなさいと紡いで、落ちていた毛布を拾って被せた。
「また、夢を見るかもしれない」
怯えるように言った少女の口を、優しく片手で塞いだ。
「ええ、ではわたくしが貴方の夢にお邪魔しましょう」
「!」
「夢の中なら、もしかするとポケモンバトルで勝てるかもしれない」
少女は何も言わなかった。音を発することなくその唇は弧を描き、その青い目はゆらゆらと揺れた。手を握る力が一層強くなった。
「もう一回、泣いてからでもいいですか?」
アクロマは一瞬考え込み、シアの身体を起こして笑った。
徐に両手を広げる。
「では、此処でどうぞ」
今度こそ声をあげて泣き出した少女をあやすように抱き締めて、もう二度と逃げまいとアクロマは誓いを立てた。
2013.6.23
BW2発売一周年記念。