※「次の沈黙」の続き
この人混みだ。通り過ぎる見知らぬ人、人、人。
点在する自動販売機、日の光をも遮る高層ビル、華やかな電光掲示板、大きな船。
私の故郷がそこにあった。歓声を上げずしてどうするのだ。
「ただいま、イッシュ地方!」
海に向かってそう叫んでみる。彼は隣で苦笑した。
「目立つことが嫌いな君らしくないね」と言った彼は、イッシュを全くといっていい程に理解していない。
ここでは誰も私達を見たり、馬鹿なことをしていると笑ったりしない。ましてや彼等が何か悪口を言うことも、その言葉を私が拾えないこともない。
ここはイッシュなのだ。それもイッシュで一番人の多いヒウンシティだ。
誰も私達のことなんか見ていない。皆、自分のことしか頭にない。
こんなにも人が居るのに、この場所は一人になりたい時、何度も私を呼んだ。ここでなら一人になれるのだ。
「君の故郷は賑やかだね」
「私の町はもっと静かな場所です」
私は肩を竦めて笑った。こんな豪華な場所に住める程、私の家は裕福ではなかった。
この人混みは、人混みの中の私を妨げはしないが、一人で静かに物事を考えたい時などは、数々の騒音となって邪魔をする。
その点、人も少なく、静かなあの町は私の理想郷だった。静かな町で、けれども皆が自由に暮らしていた。
カロスの美しさは時に息苦しさに転ずる。
一人の力で保てる程、美しさは頑丈なものではない。そこには大勢の協力が必要だった。
妥協と合意とを繰り返して、ようやく今のカロスが出来上がったのだと、私はプラターヌ博士から聞いて知っていた。
そんな美しいカロスには、表出こそしないものの、何処か警戒心が溢れている。
その美しさは、「これ以上の介入を許さない」という風に、新しいものを拒絶しているようにも見える。
かくいう私もその一人だ。だからあの人を止めたのだ。私もカロスの美しさに絆された人間の一人だった。
その点、イッシュは自由だ。町を、人を、ポケモンを縛るものは何もない。
人が分け入れる花畑も、美しい宮殿や景観もない。町には自動販売機が溢れているし、閉鎖された道路は荒れている。
皆が自由に手を加え、自由にイッシュを変えてきた。私の親友も、そのイッシュという土地に大きな変化を成し遂げた一人である。
美しくはない。けれどそこには一人一人の体温を感じることが出来た。私もここの一員なのだと思うことが出来た。
「博士、冷たくて甘いものは好きですか?」
「何か名物があるのかい?」
「はい、行きましょう。こっちです」
人混みの中、彼を急かすようにその手を取った。彼は一瞬、その目を見開いたが、私は気付かない振りをした。
大丈夫、ここでは誰も私達を見ない。
人混みは背景となり、私達を溶かしてくれた。
「……これ、買えるの?」
「大丈夫ですよ」
ヒウンアイスの屋台には行列が出来ていた。以前と全く変わっていない繁盛の様子に思わず笑みが零れる。
ミアレガレットでもこんなに並んだことはないよ、と彼は笑った。
焼きたてで販売されるそのお菓子を、私は一度だけ食べたことがある。その時も、無償にイッシュのアイスが恋しくなった。
レギュラーを二つ、と頼むと、店員さんが笑顔で応じてくれた。
ご旅行ですか?と尋ねられたので頷いたが、何故解ったのだろう。不思議に思っていると、彼女は笑って紡いだ。
「だって、カロスのお言葉を喋っていらっしゃるでしょう?」
「!」
今、アイスを渡されたなら、私は受け取った傍から落としていただろう。
それ程の衝撃だった。その事実を指摘されて初めて気付いたのだ。
あれ程懐かしんだイッシュに戻ってきて尚、私はカロスの言葉を使っている。あれ程コンプレックスを抱いていたカロスの言葉を使いこなしている。
その事実に優しい眩暈がした。
しかしそれは私だけではなかったようで、プラターヌ博士の方を見上げると、彼は慌てて視線を明後日の方向に逸らした。
「はい、どうぞ。溶けない内に召し上がって下さいね」
今日のヒウンシティは暖かいですから、と付け足し、店員さんは笑って私達を見送った。
久し振りのヒウンアイスだ。私は目を輝かせてソフト部分を舐め取った。……変わらない。
味覚や香りは人の心を刺激するというが、どうやらそれは本当らしい。懐かしさが込み上げるのを、私は実感として感じることができた。
「美味しい」
彼はそんな私の一口目を見届けて、自分のアイスを食べ始めた。
「そうだね、美味しいね」
「お口に合って良かったです。私、ここのアイスが大好きだったんです。
でもアイスだからお土産にも出来ないでしょう?本当に久し振りの味で、だから凄く嬉しいです」
「うん、ボクもこのアイスは好きだよ。……美味しいね」
そんな言葉を交わして、笑い合う。
それでも紡ぐのはやはりカロスの言葉だ。それでいいと思えた。
2013.11.15
まだもう少し続きます。