「このお部屋に何もないことなんて気にしないって言いましたけどね! まな板と包丁くらいは流石にあると思ってましたよ! 作ろうと思ってた料理、何にもできなかった!」
「そら堪忍なぁ。次までに用意しとくさかい」
翌朝。解熱してスッキリとした顔になったカラスバに文句を言いながら、彼女は調理を前提に持ってきていた食材たちを、冷蔵庫から取り出して紙袋にせっせと詰めていた。調理器具の一切がないこの家に生鮮食材があったところで宝の持ち腐れだ。ちゃんと空にして帰るんやでと告げれば、分かってますよと少し尖った声が返ってきて、少し面白い。
「急な依頼だったにもかかわらず、引き受けてくださりありがとうございました」
「とんでもない! ジプソさんこそお仕事お疲れ様でした。ああ、今回みたいなことがまたあれば、遠慮せずにすぐ呼んでください。ジプソさんのためなら調査もパトロールも依頼も全部リスケしますよ!」
「それは心強い」
そこはオレのためならとちゃうんか。そんなツッコミを飲み込んでカラスバは苦笑した。
まだ頭痛は残っているし、喉の刺すような痛みも依然として強いが、体の怠さがほとんどなくなっているため、もう峠は越えたと見ていいだろう。彼女の方でもその確信があるようで、ジプソの帰宅を促す声掛けに一切渋る様子を見せず、せっせと荷物をまとめ始めたというところだ。
「のど飴やティッシュや消毒液は全部置いていくので、使ってください」
「いやティッシュ四箱は流石に要らんわ、セイカが持って帰りよし」
「まあまあ遠慮せず。ジプソさんと分けます?」
「おやよろしいんですか、有難い」
「はぁ、ほなジプソ、三箱やるわ」
四箱のティッシュの山分けも済んだところで、彼女は二人に頭を下げて玄関へ向かう。紫の靴を履き、ジプソの誘導で部屋の外へ出たところで、彼が今一度彼女を呼び止めた。
「貴方に、報酬の話をしていませんでした」
「報酬? え、いやこの監視員、兼、看病人の役目をジプソさんから直々に頂けたこと自体がもう既に報酬ですけど……まさか! ここからさらにお求めできるってこと!?」
「もちろんです。お求めできます」
「ええっ、嬉しい! いいんですか!」
快諾するジプソに、白々しいなオマエ、とカラスバは悪態づきたくなった。彼女が追加の報酬を求めるなら、その報酬の支払い手はほぼ確実にカラスバになる。自分には何の負担もないと考えているからこその快諾だ。カラスバがどんな負担を負うことになるのかと、少しその横顔はワクワクしているようにさえ見える。
まあいい。丸一日カラスバのために潰した彼女のため、大抵のことには応えてみせよう。そう、覚悟を決めていたのだが。
「じゃあ二日下さい! カラスバさんとの、丸二日!」
「……は? 二日、ですか?」
「サビ組のボスに、丸二日、お休みを作ってください。ジプソさんならどうにか捻出できますよね?」
「っふ、あっははは! 最高やなオマエ! ほんまおもろいわ! なあジプソ、優秀な監視員さんの頼みやで。オレの休み作ってくれるやんな?」
喉の痛みを忘れて、カラスバはまだ僅かに掠れた声で爆笑しながらジプソの背中を叩いた。もちろんですと涼しい声で快諾したジプソだが、こめかみには冷や汗が見える。多忙なサビ組ボスの、完全な休暇、しかも連続して二日。それを作ることがどれほど難しいことかを分かっている者にしか作れない表情だ。いやおもろすぎるわ。ええもん見た。
「しかし、丸二日で何をなさるんです?」
ジプソの質問に、彼女は目を細めてから、顔を覆っていたごついマスクを外した。カラスバの方をチラと見てにっこりと咲かせてから、再びジプソの方へと向き直る。
「この素敵な街の中では、どうしたって不安定な、いつ切れるとも知れないワタシたちなので」
マスクに遮られない、よく通るいつもの声でそう宣誓した彼女は、どうやら。
昨日は「もうちょっと時間を掛けて考えよう」と保留にしていた、丈夫で、決して切れないものの作り方とやらを、もう思い付いてしまったらしい。
「ちょっとミアレシティの外で、切れないものを結んでくることにします」
2025.11.8
かわいい悪癖Ex・了!