Afterword

「賽が7を示すまでの話」これにて完結です。全31話、文字数にして約13万字と、拙宅でもかなり長い部類のお話になりました。
誰でしょうね、8話で終わらせるとか言った馬鹿は。……私ですね。申し訳ありません。
予定の4倍弱、長くなってしまいましたが、無事に完結できて本当によかったです。特に後半は夢中で、1日に5話くらい書いていたような気がします。夢のような時間でした。

たまに、話の最後に日付(執筆日時ではない方)が書かれていたと思うのですが、これは二人の世界における実際の日付であると仮定しています。
二人が出会ったのが5月20日、ゲンさんが彼女を引き取ったのが6月20日。
そこから1週間を共に過ごし27日にシロナが再び訪れるもゲンはそれを拒み、28日からも「二人分」の朝食を作ります。
そこから数日程、二人とシロナは穏やかな時間を過ごしますが、7/4に「上に落ちる水」の所在が明らかとなり、6日にあの世界へと向かい、8日にアカギと再会。
彼女の全てが戻ってきたのが7/9、本編では明記しませんでしたが、彼女はその翌日に鋼鉄島を去った、といういことにしております。

実はこのあとがきの後にまだ3話程、エピローグ要素が控えているので、そちらもお楽しみ頂ければと思います。
最後は梅雨がカラっと明けてからもっと後、秋の訪れを感じさせる晩夏の描写で終わろうと思っていたため、折角なので執筆終了日をラストの31話に入れてみました。

含みを持たせた終わり方、というのが今回できなかったので、特に大きな謎が残っている訳でもなく、正直、此処に書くべきことが殆どありません。
でも折角なので、連載を全体的に振り返っていきたいと思います。お時間のある方、ご興味のある方だけ先にお進みください。
当然のように本編の重大なネタバレを含みますので、未読の方はくれぐれもご注意ください。


1、ヒカリの狂気について
声を失くした女の子の物語としては、私は何よりも先に、「ハッピーバースデー」という小説を思い出します。
精神的なストレスを強く長く受けすぎることで声が出なくなるタイプの失声というものがあるのですが、
この「ハッピーバースデー」に登場する女の子は、母親から精神的虐待を受け続けたがために、この失声に陥ってしまいました。
彼女は田舎の祖父母のところで愛情をたっぷり受け、心の傷が塞がれたと傍目にも判断できるようになったところで声を取り戻し、自宅へと戻っていくことになります。

……本編をお読みくださった方ならお分かり頂けたと思いますが、これは今回のヒカリに起きた失声と何の関係もありません。
ヒカリが声を失くしたのは、精神的なストレスによるものではありません。ゲンさんの言葉を借りるなら、「声の出し方を忘れていた」だけのことです。
でたらめな重力の世界を渡り過ぎたために、あの子は元の世界の重力を忘れました。上手く歩くことすらできなくなっていました。
疲れない、お腹も空かない、眠くもならない、そうしたことを当然のように甘受し続けたあの子は、休息が、食事が、睡眠が、必要であることを忘れてしまっていました。
長い時間、あの場所に居過ぎたために、あの子は声を出さない生活が当然のようになっていました。
ただ、それだけのことでした。

彼女の狂気らしい狂気があるとすれば、その優しさと焦燥故に彼女の心が見せたアカギさんの幻覚、あの一点のみです。

19話や23話で彼が考えていたように、彼女は何も「おかしくなどなかった」のです。
前半の狂気めいた少女の描写にかなりの話数を割きましたが、実はこれが今回敷かせて頂いた最大のミスリードでした。
ただ、プラチナの「やぶれたせかい」をご存知の方は、彼女がどういった理由で声を失い、時や重力を忘れたのかといったことに察しがついたかもしれません。
そういう意味で、プラチナを遊んだことのある人にとっては、もう目次の段階で盛大なネタバレをしているようなものでしたね。

ただ、これは完全に裏設定なのですが、彼女がこちらの世界に戻ってきてからも声を出さなかったその詳細については、
「声を出してはいけないと思い込んでいた時期」と、「声を出したくても出せなかった時期」とに分かれて説明する必要があります。

ヒカリは長い間、異常な静寂の世界にいました。あまりに静寂の時間が長すぎて、沈黙を貫くことが当然のようになっていました。
そんな彼女が、しかしギラティナによって元の世界へ戻されてしまいます。そこは人のざわめきや風の音、ポケモンの鳴き声で溢れる賑やかな世界です。
「今まで暮らしていた世界との乖離」これが少女のストレスとなり、結果的に彼女は忘れていた声を、出したくても出せない状態に陥ってしまいます。
精神的なストレスはあの世界ではなく、寧ろこちら側で強く彼女を蝕んでいました。
けれど「声が出せない」などということに彼女は気が付きませんでした。自らに声があったことすら忘れていましたから。
意思表示をする手段は、彼から与えられたノートとペンの他にないと、本気で思い込んでいたのですから。

彼女が「もどかしさ」を感じ始めたのは、先程の証言の通り、ゲンさんと一緒に暮らし始めて1週間が経過した頃です。
1週間が経てばシロナが自分を引き取りに来ると思っていただけに、彼女が自分の手を引かず一人で帰ってしまったことに少女は驚き、狼狽えます。
ゲンさんの「いつまでだって此処に、私と一緒にいていい」という発言を境に、少女は自らの中に「伝えたい言葉」を生じさせました。
この人に伝えたいことが沢山あるのに、文字ではどうにも追い付かない。声があればいいのに。そうした思いから彼女は隠れて、喉を震わせる練習を始めることになります。

何故、その相手がゲンさんであったのか?シロナさんやアカギさんではいけなかったのか?
これについては、作中でヒカリが文字を尽くして語ってくれているので、此処で詳しく書くことは省きます。

彼女はゲンさんとの暮らしを始める前から彼のことを慕っていました。彼から貰ったタマゴを孵し、生まれたリオルを大事に育てていました。
けれどこれはただのきっかけです。この物語が始まるプロローグの要素に過ぎません。
あとはもう、彼と彼女の3週間が饒舌に示してくれていると思います。30話のヒカリの言葉を借りるなら、彼女にとっては「あなただけでした」ということになるのでしょう。


2、ゲンさんの心情推移について
お話を書く時は当然のように主人公の視点で書き始めることが常だったのですが、
今回はヒカリの謎が少しずつ明らかになっていく様を、どうしても第三者の視点から書き表したかったので、ずっと彼の視点で固定させて頂きました。
ですからこの連載においては、ゲンさんの方を「主人公」と呼ぶべきなのかもしれませんね。

彼は自らも自身をそう評価しているように、不器用な人間です。
人と積極的に関わることをあまり好まず、気ままに鉱山で仕事をしたり、ポケモンと一緒に黙々と修行をしたりする方が性に合っているような人間です。
そんな彼に今回、声を失くした少女をシロナさんが送りつけました。
子供と生活する、料理をする、言葉を尽くして語り合う……。
そうした、彼にとっては悉く未知の体験を経た訳ですから、彼の心理状態も劇的に変化していくのは当然のことだったと言っていいでしょう。

こうした、一方的に男性の側が少女を庇護し支える話である場合、どうしても変化のベースを少女の側に置いてしまいがちなのですが、
今回は視点をゲンさんで固定したこともあり、何とか「双方向の支えと想い」が成り立つ連載に仕上がったのではないかな、と思っております。
あの世界で一度、「わたしが、あなたの手を引くんだよ」という少女の言葉通り、二人の立場が逆転したこともポイントであるように思います。
ゲンさんが「本来の」頼もしく快活な少女を思い出し、その横顔に眩しさを見出す契機として、あの世界で過ごした4時間はやはり欠かせないものだったのではないでしょうか。

ただし彼は人間です。悲しんだり怒ったりすることもある、ただの人間です。
ですから少女をシロナさんに託された時、面倒なことになったと内心では苛立ちます。(3話)
リビングで倒れていたり、雨の叩き付ける窓を開け放って手を伸べたりといった、奇妙な行動を見せる少女を恐れ、不気味に思います。(6話、7話)
狂ったように地面を引っ掻き続けた少女の、血と土に濡れた手を洗いながら、紡ぐべき言葉を忘れて泣き出したりもします。(9話)
自らと少女との真実の乖離に苛立ち、声を荒げることだってあります。(24話)

こうしたあらゆる、決していいとは言えない感情や行動を経て、それでも彼は「自分のことを誇りに思っている」と紡ぐことができるようになりました。(26話)
この変化などはまさしく、語り手に相応しい、主人公そのものの推移であるように思います。ちょっと王道が過ぎましたかもしれませんが……。


3、その他のエッセンスについて
「人物数が増える程、連載は長くなる」という法則に従うなら、この30話越えの連載は10名程登場して然るべきであったのですが、今回、メインで動いていたのはたった3人です。
更に今回、視点をゲンさんのみで完全に固定したので、サイコロ中編を踏襲した形で、連載のラストに複数名の視点を5つ、盛り込ませて頂きました。

あと、ヒカリがあの世界で一人彷徨っていた頃の様子をどうしても客観視させたかったので、29話のCに不思議な語り手を呼んであります。
「ここは、命輝くもの、命失ったもの、二つの世界が混じる場所」
このような文字が原作の「もどりのどうくつ」に記されていましたので、無音の世界でも命を失ったものなら紛れ込むことができるんじゃないかな、と想像したが故の産物です。
彼女が「誰」であるかを名言することは、「ポケモン」の世界をお借りするというルールに反するので避けますが、
あの世界には、実は誰にも知られていない「誰か」がいたんじゃないかな、とほんのりと思って頂くだけで大丈夫です。ここは完全に書き手の遊び心ですので。

あと、忘れていた全てを取り戻したヒカリと、そんな少女を笑って送り出したゲンさんのその後が気になる方もいらっしゃると思いますので、
大丈夫ですよ、仲良くやっていますよ、という、もしかしたら蛇足かもしれないものをラストに織り込ませて頂きました。少しでもお楽しみ頂ければと思います。


最後に、感謝の言葉を。
ゲンさんの連載として「木犀級」(要するにとても重い話)をリクエストしてくださった紗夜さん、本当にありがとうございました。
私自身、こうした重たい話を書くのが大好きなので、時折暴走してしまいそうになりましたが、できるだけ心を落ち着かせて丁寧に、真摯に書くようにと努めました。

また、5月から8月まで殆ど更新がなく、ほぼ休止に近い状態が続いていたサイトにも、足繁く通ってくださったすえさん、
多忙な日常の中で、「人の顔が覚えられない!」と絶望する私に、労りと激励の言葉を掛けてくださったまるめるさん、ポプリさん、みーさん、
そしてこの「上に落ちる水」を最後までお読み頂き、更にこの長いあとがきにまで目を通してくださった皆さんにも、心からの感謝を。
本当にありがとうございました。

このサイトを通して頂いた皆さんのお言葉、このサイトで綴ることの叶った私の言葉、その全てが宝物です。

では、また次の物語で会いましょう!


2016.8.25
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