1:Monologue

◇◇

誰もが誰もを救うことなどできなかった。

ヒオウギシティからポケモンと一緒に旅に出て、イッシュを巡る。その過程で私は、とある組織と対峙するに至った。
その組織の名前は、プラズマ団。2年前に「ポケモンの解放」を謳い、イッシュの各地で演説を行って回っていた。その名前くらいは、当時の私もよく知っていた。

2年前のプラズマ団を解散に追い込んだのは、カノコタウンに住む私の「先輩」だった。
彼女のお母さんと私のお母さんは知り合いで、私も小さい頃から彼女と面識があった。4つ年上の、いつも堂々としていて気の強い彼女を、私は「先輩」と呼び、慕っていた。
カノコタウンを旅立ち、イッシュで8つのジムバッジを集め、ポケモンリーグに挑み、その先で彼女はプラズマ団の王様と対峙し、その結果、勝利した。
そうして守られた、ポケモンと人が共に生きる世界が、再び表社会に姿を現した彼等によって壊されようとしている。
その事実は私を恐れさせ、そして同時に、そんなことがあってはならないと奮起させるに至った。何より、私はポケモンと一緒にいたかった。ただ、必死だったのだろう。

私は恵まれていた。私は私を慕ってくれる不思議な生き物、ポケモン達の力を借りて進み続けた。私がプラズマ団と戦えるように、導いてくれる白衣の男性もいた。
結果的にその人はプラズマ団をまとめる表向きのボスだったけれど、
私が彼とのバトルに勝利すると、彼は「ポケモンの力を引き出すための鍵は人との信頼関係にある」という仮説を確信へと変え、
更に私がプラズマ団の「本当のボス」を敗北に追い込むと、「プラズマ団を解散させる」という宣言を残して、プラズマフリゲートという空を飛ぶ船と共に姿を消した。
私を此処まで導いてくれた人が突如としていなくなってしまったことに、私は少なからずショックを受けたけれど、そう遠くないうちに彼には再会することができた。

プラズマ団を解散に追い込み、ポケモンリーグのチャンピオンに勝利した私を、イッシュの人達は「英雄」と呼び、称えた。
2年前、同じように英雄と称えられた先輩は、その大きすぎる賞賛の声に耐え兼ねてイッシュを忌避するに至ったけれど、私はそうした勇敢な感情を持つことができなかった。
ただ、皆の感謝と称賛の声を受けて、漫然と毎日を過ごしていた。
再会したかった人との時間を取り戻した私はこれから、空白だらけのポケモン図鑑を完成させるために、もう一度のんびりとイッシュを旅するつもりだった。
そうした、ポケモンと一緒に過ごす穏やかな時間が私達には守られているのだと信じていた。私にはそうした日々が約束されているのだと、思い上がっていた。

けれど、私が解散に追い込んだ組織の言葉は、それを許さなかった。

『ここでしか生きていけない人間もいるのよ!』
『ゲーチス様に利用されていた、そんなこと知っていたよ。だけどここには仲間がいたんだ。』
行き場を失くしたプラズマ団員の声を、私は19番道路に停泊してあるプラズマフリゲートで幾度も耳にしてきた。
私が貫いた正義のせいで、居場所を失った人間が確かにいたのだと、私が誰かの居場所を奪ってしまったのだと知り、そして愕然とした。

何かを選ぶということは何かを選ばないということで、誰かを守るとは誰かを守らないということだった。
そうした、今より少しだけ広い視野を必要とする考え方を、私は彼等の声を聞きながら、少しずつ、時間をかけて理解しようと努めていた。
けれど理解すればする程に、私の心には「間違っていたのではないか?」という疑念が巣食っていった。

だけど、それじゃあ一体、どうすればよかったというのだろう?

私のしたことは間違っていたのではないか?もしそうだとして、では最善は何処に在ったのか?あれが最善だったのなら、これから私はどうすべきなのか?
誰かが必ず苦しまなければいけないようになっている、この理不尽な世界に、私は屈するしかなかったのだろうか?

私は何度も何度も記憶の海を泳いだ。
私の選択は本当に正しかったのか、私の正義で傷付く人を増やさない方法は他になかったのかを、ずっと考え、模索していた。けれど、見つからなかった。
私がプラズマ団と対峙することをしなければ、今頃イッシュは氷漬けとなり、プラズマ団の支配下に置かれていただろう。
けれど、それを拒み、戦うことによって、プラズマ団を居場所としていた彼等を苦しめることになってしまう。
どうしようもなかったのだろうか?私の運命は袋小路になっていたのだろうか?

一人で答えを出すには私はあまりにも無知で、愚かだった。だから私は、助けを求めた。

イッシュを巡り、町や道路で出会った人と会話を重ねた。ホドモエのPWTやタチワキのポケウッドに通い詰め、そこで知り合った沢山の人に意見を求めた。
幸いにも私は多くの人に知られていたから、私に悪意がないと判断してくれた人達は、自分の意見に加えて、より有益なアドバイスをしてくれそうな人を紹介してくれたりもした。
一緒になって考えてくれる人もいれば、私には考えもつかないようなマクロの視点からアドバイスをくれる人もいた。
そもそもそんな風に私が悩む必要などないのだと言う人も、どんなに考えたところで皆が幸福になる世界などあり得ないのだと諭してくれる人だっていた。

人の数だけ、意見があった。
私はそれらを時に吸収し、時に受け入れ、時に疑問を呈し、……そうして最終的に、私がどうすべきなのかを私自身で決めようと努めた。

「世の中には、答えなどない問題の方が多いのですよ、シアさん」

それでも、なかなか糸口を見つけられずにいた私に、かつてプラズマ団を束ねていた白衣の男性はそんな言葉をくれた。
私は毎日のようにプラズマフリゲートに通い、彼と話をした。人の数だけある意見のこと、プラズマ団のこと、ポケモンのこと、私の選択のこと。
言葉は、尽きることはなかった。迷い、悩み、一向に前進する気配のない、不甲斐ない私を、けれど彼は叱ることも呆れることもせず、ただ認めてくれた。支えてくれた。

「答えがないかもしれない問題をこうしてずっと、いつまでも考えている私のことを、貴方は軽蔑しないんですか、アクロマさん」

かつて、彼にそう問うたことがある。
彼は暫くの沈黙の後で小さく笑い、私の目を真っ直ぐに覗き込んで首を振った。

「わたくしを含めた大人が避け続けている「答えのない問い」に、こんなにも真摯に取り組む貴方のことを、尊敬こそすれ、軽蔑するなどということをする筈がありません」

ですから不安になる必要などないのですよ、と続けてから、彼は決して忘れることのできない魔法の言葉を紡いでみせた。


シアさん、貴方は間違っていません。仮に間違っていたとしても、わたくしが支えます」


その言葉が私にどれだけの勇気をくれたか、きっと彼は知らないのだろう。
貴方が私を支えるまでもなく、その言葉が既に私にとって限りない支えとなってくれたのだということを、伝えれば彼は少しだけ驚き、その後で困ったように笑うのだろう。

それは私の、ともすれば暴力的とも取れるような凄まじい衝撃と感動に釣り合うような、立派で高尚な言葉では決してなかった。
そこには印象的な言い回しも、私の知らない新しい視点から切り込まれたアドバイスも存在しなかった。
ただ、「私は貴方の行為の是非にかかわらず無条件に貴方の味方である」という、応援と支えの言葉であり、それ以上の意味など存在しなかった。
けれどその言葉を紡いだのが「彼」であったことが、私に限りない勇気を与えた。他の誰にそう言われるよりも、おそらくは嬉しかったのだろうと心得ていた。
つまりはそうした存在になっていたのだ。私にとっての、彼というのは。

夏、ポケモンを貰って旅に出たあの日から半年が経った、秋の終わりを予感させる寒い日のことだった。
気付いたのがたまたまその日だっただけで、きっともうずっと前からそうだったのだろう。

けれど、そんな彼にも秘密にしていることが一つだけあった。
ヒウンシティにある大きな総合病院、そこに入院している男性のところへ、私は毎日、お見舞いと称して顔を出していたのだ。

彼を見つけたのは全くの偶然だった。
彼が体調を崩しているらしいことは何となく察しが付いていたけれど、てっきり彼に仕える三人と共に何処か遠くの地へと姿を消していると思っていただけに、
ヒウンシティというイッシュの中心地に彼の入院先があったことは少なからず私を驚かせた。けれどそれは、私が彼を避ける理由にはならなかった。
間違いなく私を憎んでいるであろうその人のところへ、私はしかし何度も足を運んだ。
彼は傍にいた三人の部下に命じて私を追い出すことはしなかったけれど、私の問いに答えることも言葉を発することもなかった。

「何のつもりだ」

そうして数日が経過した頃、彼は私にそう問い掛けた。
彼の赤い隻眼は真っ直ぐに私を見据えていて、ああ、そういえば私はこの人に殺されかけたのだっけ、とあの日を思い出しながら、しかしその恐怖に嘘を吐くように笑ってみせた。

「貴方と話がしたい」

「……」

「だから、元気になってください。私はどうしても、プラズマ団の人達をなかったことにすることができないから」

彼等の中に、この人が含まれてはいけない道理などきっとない筈だ。
まだ子供であった私が出すことのできた結論など、その程度のものだった。

彼は私の問いに「愚かなことだ」と吐き捨てるように返し、しかし次の日から私と普通に会話をしてくれるようになった。
彼との会話は他の誰と言葉を交わす時よりも緊張した。本当に話したいことを何一つ口にすることができないまま、他愛もない話題で病室の白い時間を埋めた。

病院で彼を見つけたのが秋の半ば、朝に吹く風が冷たさを増してきた頃だった。
そうして何週間かして訪れた冬の、吐く息の白さや降り積もる雪のことを、しかし私は皆よりも少しだけ遅れて知ることとなる。

これは、その「少し」の間に起こったこと。大切な人達が私にくれた「希望」を紐解く話。


2016.2.24
(開幕)

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