プラターヌはフラべべを出して、その小さな目と自分の視線とを交わらせた。
「フラべべ、君にお願いがあるんだ。彼女の傍にいてあげて欲しい。
彼女には君のようなポケモンが必要だ。力を貸してくれるかい?」
女の子である彼女は、ふわふわと漂った後に小さく頷いた。
何をすればいいのかと尋ねたそうな彼女に彼は苦笑する。
「何もしなくていいよ。彼女に付いて回って、たまに遊んであげて」
彼の本来の目的は此処にあった。彼女をどうにかしてポケモンと交わらせたかった。
旅を止めると言ったのは彼女の本意ではないと彼は信じたかった。彼はまだ諦められなかった。
フラべべは頷き、ふわふわと少女がいる部屋に飛んでいく。シェリーはいつものように窓の外を見ていた。
窓ガラスと少女の顔との間にフラべべがぬうっと滑り込む。驚いて後ずさった彼女は、しかしそのフラべべに触れて優しく笑った。
彼女はポケモンが好きだ。それを昨日の一件で彼は確信していた。
自分のパートナーと向き合うことに怯え、旅を続けることに怯えながら、それでもポケモンがいる外の世界に焦がれて止まない。
そこが鍵となる筈だと信じていた。彼女が立ち直れるきっかけはやはりポケモンにある気がしたのだ。
そして、彼は自信を持って少女と向き合えるようになった。それは言わずもがな、昨日の少女の言葉が影響しているのだが。
「植物辞典を貸してくれませんか」
そんな彼女が唐突にそう申し出た。肩の上にフラべべがちょこんと乗っている。
たったこれだけの時間でもう仲良くなったらしい。少女は言葉を介さないコミュニケーションは得意なのだ。
随分と古い物しかないけれど、と彼は苦笑しながら分厚い辞典を取り出した。
少女はお礼を言ってそれを受け取り、机の上に開いて何かを探し始めた。
彼がその様子を覗き込むと、少女は広い花のページを次々とめくっていた。このフラべべの花が何なのか知りたいらしい。
「クロッカスかもしれないね」
「!」
彼のその言葉に少女は振り返った。クロッカス、と小さく紡いでページをめくる。
黄色や紫などの鮮やかな花の中に、フラべべが乗っている花に酷似した色を見つけた。透けるように綺麗な白いクロッカスだ。
ありがとうございます、と微笑んだ少女に彼は安堵した。
あれから少女はよく笑うようになった。
視線が何処か危なげに中を漂うことがなくなった。彼女から口を開いてくれるようになった。
その変化もさることながら、一番の驚きは、躊躇わずに言葉を発するその姿だった。
一体何がきっかけとなったのかは解らない。今まで彼女にした事は数多くあったが、そのどれが彼女にプラスとして働いたのかを知る術はない。
ひょっとしたら、自分のした事とはまた別に、彼女の考えを変える出来事があったのかもしれない。
それならそれでいい気がした。
このカロスという土地が少女を受け入れたのなら、また少女がカロスに受け入れられることを選んだのなら、それ以上の最良はない気がした。
「カロス地方には、花が沢山ありますよね」
「イッシュには無いのかい?」
「花壇や庭園は少ないですね」
彼女は残念そうにそう言った。
確かに彼女の言うように、イッシュは景観や彩りに重きを置いた町づくりをしてはいない。
人が沢山集まるあの地方において求められるのは美しさではなく利便性だ。
だからこその面白さや多様な価値観があるのだが、彼はやはり自分の生まれ育ったこの地を愛していた。
「カロスが好き?」
少女は顔を上げた。降りて来た沈黙に彼はしまったと思う。
彼女の口から「帰りたい」という言葉は一度も聞かなかった。だからそれなりにこの土地に愛着を持ってくれているものと信じていた。
しかし、まだそこまでには辿り着いていなかったらしい。
それは願うものでこそあれど、強要するものではない。
今の言葉は忘れて、と彼が取り下げようとした。しかしその瞬間、少女はくすりと笑ったのだ。
「はい、とても」
彼は言葉を失った。
……少女はカロスを愛しているのだ。
愛していない筈がない。何故ならカロスを救ったのは他でもない少女だからだ。
自分の後押しやフレア団の挑発だけで動く程度のものなら、逃げ出すことだって幾らでも出来た筈だ。しかし彼女はそうしなかった。
少女は今でこそ臆病で大人しい子供だが、イッシュの言葉を操れば驚く程饒舌になることを彼は知っていた。
つまりは芯のしっかりした子供なのだ。彼や他の人間が何と言おうと、彼女は自分が思ったことをやり遂げる。
少女の行動には信念が伴っていた。彼女はそういう人間だった。
だから、こんなに苦しんでいるのかもしれない。
少女の信念が揺らごうとしている。それに基づいた行動を悔やんでいる。
ポケモンを愛し、カロスを愛した少女が苦しまなければいけないその理由に、彼はようやく気付くことが出来たのだ。
ああ、君に全てを押し付けたボクを責めてくれないのは、そういうことなんだね。
全て、彼女が選んだことだったのだ。誰がその後悔を奪うことが出来よう。
それでも自分は支えると誓ったのだ。
少女の沈黙を引き継いだ彼は「ボクもカロスが好きだよ」とだけ言って静かに笑った。
2013.10.29