Case1:蒲公英と秋桜は湯を注ぐ
Case1-1:ダンデ バトルタワーを数回勝ち上がっただけの挑戦者の前に姿を現してよいものかとダンデは一瞬だけ躊躇ったが、己とリザードンのバトル本能めいたものに従うことにした。 彼女は突然の元チャンピオンの登場に驚いた表情を見せたものの、すぐに力強い微笑みでボールを投げ、彼女のエースを呼び出してくれた。 インテレオンが正確無比なコントロールで水をその指先から魔法のように打ち出し、容赦なくダンデのポケモンを戦闘不能に追い込んでいく様は、まさに鮮やかという他になく、 ダンデは途轍もなく悔しい思いをしながらも、ああそうだ、それでこそユウリのインテレオンだと思ってしまったのだった。 サニゴーン、デスバーン、ポットデス、ドラメシヤといったゴーストタイプのポケモンばかりを彼女は好んで捕まえ、連れ歩いていた。 相手に先手を譲り後攻でじわじわと責めてくる類の戦い方をするゴーストパーティ。 その中で唯一、誰よりも早く先手を打つことを信条とする、この水ポケモンの在り方にはダンデもほとほと感服していたし、 その敬意めいた心地を抱いた上で、いつか必ずその美しい水の体をオレのリザードンで地に着かせてやるのだとさえ思っていた。 お気に入りのニットベレーを深く被り直してから、新しいチャンピオンは満身創痍で戻ってきたインテレオンを労わるように抱き締める。 かっこよかったとありのままを告げて、いつもありがとうと背中を撫でて、インテレオンの細めた目と自身の目が交わると、それはもう嬉しそうに破顔するのだ。 普段は凛々しく、また飄々ともしていて、子供の姿でありながら子供らしさをほとんど感じさせない彼女であったが、 こうして最愛のパートナーに感謝の気持ちを伝えるそのやり方は、ユウリがインテレオンよりも小さいことも相まって、とても子供っぽく、拙く幼く、温かく見えた。 「ねえダンデさん、私は神になれるだろうか」 けれどもひとたびインテレオンをボールに仕舞えば、ほら、彼女は隙のない立派の過ぎる風貌を一瞬にして作ってしまう。 そしてその完璧な風貌のままに、完璧な彼女らしくない不安めいた言葉がその口から零れ出るものだから、ダンデは少しばかり驚き、困惑してしまう。 「そんなものにはならなくていいさ、君は君のまま立派になればいいんだ」 「そうだろうか。トーナメントを観戦している皆は、貴方の参戦率が下がったことをほとほと悲しんでいるようであったよ。 貴方を愛したファンたちは、きっとまだ、貴方がその座をこんなひよっこに譲り渡したという事実を受け入れられずにいるんだ。 そして私に、そんな皆さんを納得させるだけの力がないから、……だから今の皆さんは少し、つまらなさそうにしている」 彼女は大人びている。彼女は饒舌である。彼女は頭が切れる。彼女は大胆かつ気丈である。 そんな彼女は、しかしこれまで自らの思考を開示してこなかった。 それはダンデが大人であり彼女が子供であった以上、その二者の間にはある一定の距離が生じていた以上、当然のことであったのかもしれなかった。 だからこそ、「チャンピオン」という共通項を得られた今、彼女が自らの不安をこうして、その饒舌な口から吐き出してくれている状況というのは、 少なくとも、彼女を応援し、尊敬し、好敵手として意識しているダンデにとっては喜ばしいことであった。 それはもう、己の全身全霊を込めた言葉で励まさなければと思わせるに十分な歓喜であった。 「もう何年もチャンピオンをやっていたオレと、ついこの間チャンピオンになったばかりの君とを同じフィールドで捉えるのは無茶なことさ。 誰だってチャンピオンになったばかりの頃は、そうした不安と戦ってきたんじゃないのかい?」 「貴方はそうじゃなかったのに?」 しまった、とダンデは思った。先程までの歓喜が一瞬にして冷えていくのを感じつつ、これは負かされてしまうな、と確信した。 この少女、チャンピオンになる前はただのポケモントレーナーでありジムチャレンジャーであり弟のライバルであっただけの少女。 大人でありチャンピオンであるダンデが守るべき対象であった少女。 そんな彼女はこれまで、こちらの言葉に対する反論や疑問の類を一切見せてこなかった。彼女自身もその立場を心得ており、反抗する理由もなかったのだろうから、当然のことだった。 けれども今は違う。今、この少女は「チャンピオン」という共通項を手にして、ダンデとほぼ対等な立場にいる。 先程は同じ目線で思考を開示してくれることに喜んでいたダンデは、すぐさまその浅はかな喜びを後悔することとなった。 この少女の持つ饒舌さ、聡明さ、気丈さというものは、陽気で快活で前向きで完全無欠な英雄であるだけのダンデには、少しばかり、手に余るものであったのだ。 彼女がダンデと同じ目線に立ち、同じだけの力加減で言葉を放てば、その聡明さと過剰な度胸が故に、ダンデの側がどうしても、怯んでしまわざるを得ないのだ。 その決定付けられた敗北の構図に、気付くのが少々、遅かった。 「僅か10歳のチャンピオンの誕生に、ガラル中が沸き立ったはずだ。貴方はチャンピオンになった直後から既にガラルの英雄で、貴方の存在は唯一無二だった。 私は所詮、14歳とかいう中途半端な幼さでの二番煎じに過ぎないんだよ」 掛ける言葉にダンデは迷った。それは時間にしてほんの3秒にも満たない沈黙であったはずだ。 けれどもいつも早口かつ饒舌に喋る彼女にとっては、その3秒さえ惜しかったのだろう、苦笑しつつ「ごめんなさい」と謝罪の言葉を告げて肩を竦める。 「貴方のことを責めている訳じゃないんだ。貴方のことは変わらず尊敬している。 敬愛という言葉で修飾するのが一番しっくりくるような、そうした心地で私は貴方のことを昔も今も想っているよ。大好きだ、と言っても差し支えないはずだ。 だからだろうね、私は、……貴方のような神になれないことが、貴方のように在れないことが、こんなにも遣る瀬無く、悔しいんだ」 「そうか……そうなんだな。うん、ありがとう。ありがとうユウリ! 君の想いを聞けて本当に良かった。 ただ覚えておいてほしい。オレは、君がチャンピオンになってくれてとても嬉しいし、君には君のままで皆に祝福されてほしいと、心からそう思っているんだぜ」 努めていつもの調子を、陽気で快活で前向きな口調と表情を作り、ダンデはそう告げた。 彼女はそれ以上、ダンデに拙く食ってかかるようなことはしなかったが、 いつも以上に雄弁なその横顔が、かつてダンデに理解を乞うたローズに似たその目が、静かな言葉の形を取り彼の心を鋭く抉った。 それでも私は、私ではない何者かにならなければならないように思われてしまうんだ。 そんな彼女の心の呟きが、聞こえた気がしたのだ。 File1-2:キバナ 「貴方はホップが、ダンデさんの弟が最初に貴方を負かすことを期待していた。そうだろう」 だって私が来たとき、貴方、少しだけ意外そうにしていたものね。そう付け足して少女はクスクスと笑った。その頭で可愛らしく揺れるボンボン。今日のニットベレーは、茶色い。 洋服に何の頓着もない風である彼女だが、その白いボンボンが付いたベレー帽だけは色違いをいくつも購入しているらしく、彼女なりの規則性に基づいて毎日変えているようだ。 ジムチャレンジを終えた後のスタジアムは、ファイナルトーナメントの再演を定期的に行うパフォーマンス会場のようなものになっており、 各地のジムリーダーやジムトレーナー達が己の実力を知らしめ、また鍛える場でもある。 キバナは毎日のようにこの場所へと顔を出していた。 このタイミングでガラルに観光に来た人がいたならば、彼こそが今期のチャンピオンなのではないかと疑う程の出場頻度であった。 そんな彼は、実に数日振りにこの少女と顔を合わせた。本来のチャンピオンであるはずのこの少女は、けれどもトーナメントの参加にそこまで積極的ではないのだ。 「まあな、あの頃にオマエが来ることなんざ期待のしようがねえよ。オマエのことなんか、オレ様は何にも知らなかったんだからな」 「そうだよ、私は無名で在り過ぎていたよね。つい最近までただの田舎者で、ただの女の子だった。 だのにこれはどういうことだろうね。どうして、こんなことになってしまったのだろうね」 「そりゃあ、オマエが勝ち続けたからだろう。勝ちたかったから勝って、勝って、勝ちまくって、その結果がこれじゃねえのかよ」 トーナメントの決勝戦まで勝ち上がれる人物となると、ある程度の偏りが出る。 無敗のチャンピオンは勿論のこと、キバナもかなりの高確率で勝ち上がることの叶う実力者であった。 故に二人が別ブロックに割り当てられたなら、必然的に決勝のカードはこの2名になる。 そしてチャンピオンは今回も「無敗」を守った。キバナは敗者として、この少女の愚痴を聞く側に回らざるを得なかったのだ。 「そうだよ、私は勝ちたかった。だって皆が頑張ってくれるんだ。それなのに私が、彼等が信頼してくれている私が、手を抜く訳にはいかないだろう? でも私が欲しかったものはこんなものじゃないんだ。私はただ、勝って、メッソンたちが喜んでくれるのを見ているだけで、それだけでよかったはずなんだ」 「へえ……」 「ポケモン達との旅を楽しんでいるとき、心から夢中になっているとき、私は私が普段考えている、小難しい、面倒なことなど綺麗さっぱり忘れられた。 ただ皆と、ワイルドエリアを歩いたり、バトルをしたり、カレーを食べたり、キャッチボールをしたりして……ねえ、本当に楽しかったんだよ」 本当に、の音に込められた切実さにキバナの目が一瞬だけ眩む。 飄々として本性を掴ませないような、いやに頭の切れるこのチャンピオンの、時折見せるごく普通の少女めいた声音にキバナはやや、弱い。 普段は饒舌の過ぎるような言葉を重ね、大人であるこちらを苛めにかかるかのような尊大な態度さえ見せることのある彼女だが、 こうして、昔の、ただのジムチャレンジャーであった頃を懐かしむように目を細めている姿を、自身の高い背でじっと見下ろしてしまうと、キバナは僅かながら後ろめたくなる。 まるで自身がこの少女を苛めているような、そうした感覚にさえ囚われてしまう。 「ダンデさんは私くらいの頃には、既に立派なチャンピオンとして、ガラルのために力を振るっていたのだろうね。 分かっているよ。そうするべきだということは分かっているんだ。それでも、ねえ、本当に私は……」 けれどもその感覚に従い、彼女を慰めたりその横顔に優しい言葉を掛けたりするのはどうにも癪であったため、 彼はそうした彼女の言葉を鼻で笑いつつ「だらしねえなあ、ユウリ」と大声でまくし立ててやるしかなかったのだ。 「そんなに嫌ならさっさと負けちまえばいい。そうすりゃオマエの代わりに、もっと根性のある奴が、オレ様みたいな出来のいい奴が、チャンピオンになってくれるだろうよ」 「……ああ、ありがとうキバナさん。いいことを聞いたよ。そうだね、そうなんだね。 私が楽になるためには、私が負けなければいけないんだ。私の平安は、私の大好きなポケモン達に傷を負ってもらうことでしか手に入らないんだ」 駄々を捏ねるような言い分に飽きてしまったキバナは、ああそうだな、そうだろうよと、スマホを弄りながら気怠そうに口にする。 そういえばこいつがチャンピオンになってから、ネズの姿を見ていないなと、キバナはぼんやりと思いつつ、彼に背を向けた少女の情けない諦めの声を、聞く。 「じゃあ私、きっと一生楽にはなれないや」 2019.12.1