7

カイナシティの船乗り場で、船に乗ろうとしていた彼の肩を勢いよく掴んだ。
予定よりもかなり強い力で掴んでしまったため、振り返った彼は驚いたようにそのアッシュグレーの目を見開いている。
私は慌てて謝罪の言葉を紡ぎながら、今にもバトルリゾート行きの連絡船に乗り込んでしまいそうな彼を、どうやって引き止めたものかと焦り始めていた。
けれどその逡巡に反して、私の口は迷うことなく言葉を紡いだ。

「分かったの」

首を傾げる彼に、私は早口で続きを並べる。

「君のロゼリアが言っていた「燃えるように赤い色をした花」の正体が分かったの。このホウエン地方にあったのよ」

彼は息を飲んで沈黙した。私はそれをいいことに彼の手を強く引き、船乗り場から外へ連れ出した。夏の日差しがあまりにも眩しく、私は思わず空を見上げて目を細めた。
ポケットから笛を取り出して吹けば、直ぐにラティオスが飛んできてくれた。私はひょいとその背中に飛び乗り、ミツル君を手招きした。
彼は少し躊躇っていたけれど、私が笑顔で後ろを指差すのを見て、肩を竦めて困ったように笑ってから、ラティオスの背中へと乗った。
空へと上昇し、進路を西に向けたラティオスの背中で、ミツル君は戸惑いがちに言葉を紡いだ。

「……あの、どうしてですか?」

「だってミツル君のロゼリアはその花を探していたんでしょう?燃えるような赤って聞いて、すぐにピンときたわ。きっと当たっていると思うの」

「そうじゃなくて、どうしてボクの話を信じてくれたんですか?」

その言葉に私はクスクスと笑いながら「あれ?嘘だったの?」とからかうように尋ねてみる。彼は勢いよく首を横に振った。
彼の両親が彼と過ごした時間には及ばないけれど、私だって彼のことを見てきたのだ。彼とそれなりに時間も重ねていた。
重い口調で、真摯な目で発せられた彼の言葉の真偽を見抜くことなど、造作もないことだった。彼はあんな目で嘘を紡げるような人間ではないと、私は確信していたのだ。

「ポケモンが喋るってどんな感じなのか、突然その声が聞こえなくなることがどんなに辛いか、経験したことのない私にはどうしても理解できなかった。
理解できないから、想像するしかなかったの」

「……」

「私は、そうした辛い時を乗り越えてポケモントレーナーになったミツル君を尊敬している。本当よ。
だから君のために、君が大好きなポケモンのために、できることをしようと思ったの」

ラティオスは強い風が吹きすさぶ大空を、真っ直ぐに西へと飛んでいく。
私も旅をして、このホウエンの土地を巡った。彼のロゼリアが語った「燃えるように赤い花」、に思い当たる花は、その記憶を隅々まで辿っても一つしかなかった。

私はその花の名前を知らなかったけれど、昨日の夜、その花を写真に撮って友人にメールで送り、彼女からその名前を教えてもらっていた。
この世のものとは思えない程に美しい赤色を、しかしあの暗い洞窟の中では捉えることが困難だった。だから彼も見逃していたのだろう。
私のように、あの場所で彼とのバトルの名残を噛み締めながら、ポケモンにとある技を命じるようなことをしなければ、その赤を見ることはなかっただろうから。

「その花は、何処にあるんですか?」

「ふふ、何を言っているの?ミツル君もそこで私と戦ったじゃない」

その言葉に彼が後ろで首を傾げた。
ラティオスは凄まじいスピードで、私達をポケモンリーグへと運んだ。

葉のない茎が、天を仰ぐように真っ直ぐに生えていた。くるくると円を描くように巻かれた赤い花弁を囲むように、ワイヤーに似た細い糸がすっと伸びていた。
幻想的なその花は、しかし洞窟の暗がりの中ではその鮮やかさを失っていた。

「ミツル君とバトルをした後、私、暫くここから動けなかったの。あのバトルの余韻をいつまでも噛み締めていたくて、ずっと此処にいた」

「そう、だったんですか……」

「この花、変わっているでしょう?もっと明るいところで見たい時は、こうするの」

私はからフェアリータイプのポケモンが入ったボールを宙に投げ、とある技を命じた。
その瞬間、宙にキラキラと輝く霧が漂い始める。風がその花弁を舞い上げて、ポケモンリーグへと続く出口へと吹いていく。
異次元に迷い込んだような絶景は、あの日と同じ形をしていた。その花は息を飲む程に鮮やかな赤を持って、私の目に焼き付いていたのだ。

その瞬間、彼の鞄に入っていたモンスターボールから、ロズレイドが飛び出してきた。

彼女は可愛らしい声音で歓声を上げ、花畑を走り回った。私のポケモンもその後に続くように洞窟の中を駆ける。
ミストフィールドによって鮮やかに照らされたその花を、ロズレイドは一本だけ手折り、彼の元へと戻って来た。

「その花、彼岸花っていうらしいの。この世のものとは思えないくらい鮮やかな赤色をしているから、そんな名前が付いたのかもしれないね」

ロズレイドはその花を彼に差し出した。
愛嬌のある声音ではしゃぐように笑う、そのロズレイドの声は彼にも私にも聞こえない。聞こえる筈がない。
けれど、その心を読み取るのは造作もないことなのではないかと思えた。彼女と一緒の時間を過ごしたことが殆どない私でさえ、彼女が歓喜していることは直ぐに解った。
ミツル君は震える手でそれを受け取った。香りの殆どないその花を、彼は両手でそっと抱きかかえるようにして顔に近付けた。

「ねえ、ロズレイド。この花畑、綺麗でしょう?」

くるりとこちらへ振り返ったロズレイドは、笑顔で何度も頷いた。
そんな彼女に私は意地悪な質問をしてみることにした。きっと私には、彼の父親が操った優しい旋律よりも、こういった私らしい言葉の方が向いているのだろう。

「君はこの花を探していたの?この花を見るために旅に出たの?こうして彼岸花を目にすることができた今、君はミツル君の元から去ってしまうの?」

彼がはっと息を飲むより先に、ロズレイドはその笑顔のままに首を横に振った。
私は彼女がそう答えてくれることを確信して、尋ねたのだ。私はそうした狡いことを、息をするようにやってのけることができた。

「そうだよね。だってロズレイドは最初から、ミツル君と旅をするためにそのボールに入っていたんだものね。ずっと、ミツル君をあの場所で待っていたんだものね」

「!」

「それに貴方の薔薇だって、この彼岸花に負けないくらい綺麗だよ。そうでしょう?ミツル君」

アッシュグレーの目が、彼岸花の赤い花弁に小さな宝石を落とした。
子供らしい、甲高い嗚咽を聞きながら、私は彼の目線に屈んでその頭をそっと撫でる。
この少年はあまりにも無垢で、純粋だった。私はそんな彼が受けた絶望の心地を理解できなかった。理解できないものに対しては、想像するしかなかったのだ。
けれど私の想像力にはきっと限界があったのだろう。いつか、誰かにそう戒められたように、私には想像力が足りなかった。私は彼の絶望に共鳴することができなかった。

それでも私は、この少年に必要な言葉を選び取れる。選び取らなければいけない。

「ミツル君と一緒にいるためには、君と話をするための力じゃなくて、君と一緒に戦うための力の方が大事だって、ポケモン達は気付いていたんじゃないかな。
でも、ポケモンってとても心の優しい生き物だから、欲張りになることはできないんだと思う。どちらの力も手にすることはできなかったのよ、きっと」

全くの口から出たでまかせだった。根拠などある筈がなかった。
ロズレイドの探していた花がこの彼岸花であることも、彼女がその花を探すためではなく、ミツル君と旅をするために彼のボールに入ったことも、
彼と一緒に戦いたい、彼と共に旅をしたいという思いから、ポケモン達がそうした力と引き替えに、人間の言葉を失ったことも、
彼等がミツル君と一緒に旅をすることを、今も変わらずに心から望んでいることも、全て、全て私が造り上げた虚構の設定だった。
私は息をするように嘘を重ねた。私の予測と願望とが入り混じった、邪心だらけの嘘を並べていた。

だって私は、人間の言葉を話すポケモンの心地も、その声をいきなり発しなくなった彼等の心理も、その時の彼の絶望も、何一つ、理解することができなかったのだ。
理解の及ばないものに対して、私達は想像することしかできない。だから私は、ミツル君にとって最も優しい答えを用意した。

私はポケモンのことなど解らない。解らないからこそ、彼等と居ることはとても楽しかった。
けれど私は、彼がどんな言葉を求めているのかということは手に取るように解るのだ。
私は理解しなければならなかった。彼の心を軽くするための言葉を選ばなければいけなかった。彼の心に届かせるべき真実を創り上げなければならなかった。
それが、彼の父親が私に与えた使命だったから。私にしかできないことだったから。

「だからポケモン達は人間の言葉を捨てたの、君の傍にいるために。友達でいるだけではできないことを、彼等はミツル君のパートナーになってしようとしたの。
……それって、声が聞こえることより、何倍も素敵なことじゃない?」

ミツル君のポケモンの本当の思いなど私には解らなかった。それでもよかった。真実などどうだってよかった。
私はポケモン達のことよりも、この華奢な肩を震わせてか細い嗚咽を零す、この少年の方がずっと大事だったからだ。
彼が心から笑ってくれて初めて、彼のポケモンのことも愛せる余裕を得ることができるのだと信じていた。
そのために、私は虚言を重ねようと思った。私は嘘が得意なのだ。

「ロズレイドは、もうとっくに君を許していたんだよ。君は許されずにいたことなんか、ただの一度もなかったんだよ」

彼の笑顔を祈る私には、彼のための真実を作り上げることだって造作もない。

彼は服の袖で目元を強く拭い、ロズレイドを強く抱き締めて、笑った。
自分の手が震えていることに、私は気付かない振りをした。


2015.7.6

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