3-1:可視化に足るその旋律よ

 少し足を伸ばして、エンジンシティまで買い物に出かけた。目的地はバトルカフェ、狙いは勝利報酬として受け取れる「森のヨウカン」である。和菓子が食べたい、といつもの気紛れを言い出したマスタード師匠は、更なる気紛れとして私とセイボリーにおつかいを命じた。雲一つない、所謂「お出掛け日和」の日曜午後のことだった。
 ヨロイ島にある小さな駅からゴンドラに乗って、アーマーガアに本土へと運んでもらってから、更に列車に揺られてエンジンシティ駅へ向かう。「師匠は相変わらず気紛れでいらっしゃるね」などと同意を求めるように呟きつつ。「ええその通り、今日も忙しくなりそうです、ね!」と返ってくる言葉をしっかりと喜んで笑い合いながら。

「あっ、チャンピオンだ!」
「本当だ、ユウリだ! ねえ、サインして!」

 エンジンシティ駅のホームにてそんな風に声を掛けられる。歩み寄って来た小さな女の子二人は、お揃いで買ったと思しき可愛いポーチを私へと差し出し、サインを求めてくる。そのリクエストに応えるのはやぶさかではないけれど、生憎、布製品にサインができそうなペンを持っていない。焦った私の肩を、大きな咳払いと共につつくものがあった。彼が人差し指で飛ばしてきたと思しき、水色の光を纏った細めの油性ペンである。
 どうして君がそんなものを持っているんだ、などと助けてもらった分際で詮索するのは野暮というもの。お礼を告げるだけに留め置き、二つのポーチにサインをして女の子に差し出す。「ありがとう!」「次の試合はいつ?」「応援するからね」そうした言葉をわんさか投げて、二人は私達に先んじて駅を出ていった。

「なかなかにエレガントなサインですね。是非ワタクシの分も頂きたく思うのですが? チャンピオン」
「えっ、君、まさかそのつもりで用意していたの?」

 てっきり彼自身の練習のために持ち歩いているのかと思った。予想の斜め上を行く理由で油性ペンを携帯していた彼に苦笑しつつ「君のサインと交換であればいいよ」と告げてみる。そのように言えば彼は少なからず躊躇いを見せると分かっている。果たして彼は眉をひそめて腕を組み熟考し始めたので、私はその結論が出る前にと全速力で駆け出す。「あこれ! 駅の中で走らない!」とマナー違反を咎める声を背中に受けつつもそのまま走って駅を出て、昇降口の前でようやく立ち止まった。普段からテレポートダッシュで大いに走り慣れている彼が私の隣に並ぶまで、そう時間は掛からない。

 昇降機に乗り、操作パネルの前に立つ。振り返って手招きをすれば、足をこわごわと重そうに動かしてゆっくりと乗り込んでくる。彼はどうにもこれが苦手らしい。ガタン、と大きく動き出すや否や、シルクハットを浮遊ボール達が面白い程にざわめく。ぴょんぴょんと跳ねる動きの激しさが増し、個々のボールが自転さえしている。目が回らないのかな、などと、まるで生き物にするような心配の心地を私はボールに対して抱いてしまう。
 ぐるりと下に回った昇降機が完全に停止する。両手でしっかりと手すりを握り締めたまま青ざめている彼を「大丈夫だよ」という言葉で宥めつつ、視線をシルクハットの上に戻す。そのボールの動きは彼の表情よりも雄弁に彼の感情を語っている。

「な、何のことやら。ワタクシは元より大丈夫ですが?」

 いくら彼が努めて涼しい流し目を作りつつ、そのようなことを口にしようとも私は信じない。「ねえ君達はどう思う?」と荒ぶる6つのボールに尋ねて十数秒後、ようやくいつものように落ち着きを取り戻してきた彼等に微笑みかける。もう本当に大丈夫そうだと判断し、私は手すりに置かれたままの彼の手を取って引いた。彼は自身の反応を恥じるような眉のひそめ方をしたものの、すぐに存外強い力で私の手を握り返してきた。

 ヨロイ島ではセイボリーの方が先輩だ。故に私があの島に初上陸した際にはエスコートも彼にしてもらった。けれどもこちらの本土でならガラル全てを踏破した私の方が先輩であると言えるかもしれない。故にエスコートも私がして然るべき、という説得は行きのゴンドラの中で既に済ませている。「流石にエンジンシティの歩き方は分かりますよ」などと不満そうな表情を見せながら、それでも何の気紛れだろうか、彼は私のしたいようにさせてくれた。
 バトルカフェはこちらの方角だよ、と先導して東へと進む。この街における建物の配置くらい彼は知っているだろうに、ハイハイと相槌を打ちながら私のままごとに付き合ってくれる。道の脇、鮮やかな緑の植え込みが今日も綺麗に整えられていることに感心していると、彼の少々意地悪な質問が飛んでくる。

「あの、もし? 小さなガイドさん。あの植え込みに咲く白い花の名前は?」
「きっとアザレアじゃないかな」

 間髪入れずにそう返して振り返れば、彼の眉間にまたしてもしわが寄っている。「それはまた、博識でいらっしゃることで!」などと、半ばやけになって称賛の言葉を飛ばしてくる。「ありがとう、花は好きだよ」と素直に受け取りつつ歩を進め、小さな橋を渡ってポケモンセンターを通り過ぎ、メインストリートへ入っていく。

 彼は文句の一つも言わずに私の半歩後ろを歩いてくる。手は離されないままである。エスコートをするのに必ずしも手を繋ぐ必要はない。これはそうした、必要性に迫られたが故の触れ合いではない。私と彼との距離が自然とそれを許したから、そうしているだけの話である。

 バトルカフェの前で私はようやくその手を離した。ドアを開けなければならないからだ。「此処が師匠の言っていたカフェだよ」と説明してドアを開け、中に入ろうとしたのだけれど、背後に彼の気配を感じず、おやと訝しみながら振り返る。
 彼の視線の先、カフェの入り口から少しだけ離れたところ、高さの異なる水飲み場が三つ並ぶその場所で、二人の男性と一人の女性がこちらを見ながら笑いつつ何か話していた。彼のシルクハットを浮遊するボール達が物珍しいのだろうかとも思ったけれど、どうやら違うらしい。彼等はセイボリーではなく私を見ていた。私が、何処にでもいる14歳の女の子「ではない」ことが、先程の女の子二人と同様に彼等にもバレているのだ。かなりの大声で、おそらくはこちらに聞こえるように話しているその内容が、ドアから手を離した私の耳にもしっかりと入ってきた。

「パフォーマンスもサービス精神もダンデに劣る分際で、よくもまあ呑気に遊んでいられるものだよ」
「彼の弟、ホップだっけ? あっちが勝ってくれた方が絶対、盛り上がったよね」
「期待外れだよな。キバナあたりが早々に負かしてくれるといいんだが。……いや、案外俺達でもあっさり倒せちまうんじゃないか?」

 私は青ざめた。それらの発言に含まれた棘などどうでもよく、セイボリーの長い指が、既に彼等の方へ真っ直ぐ向けられていることの方が余程危険であった。このような大通りで人を浮かせるなんて悪目立ちもいいところだ。けれども大声で彼に制止を掛けることもまた、周りの人の注目を集める行為である。故に私は躊躇い、行動が遅れた。その数秒の間に、彼の指はもう一仕事を終えてしまった。
 水飲み場から絶えず吹き上がっていた水、それが一瞬にして彼の目と同じ色に染まったかと思うと、まるで意思を持っているかのように浮き上がり、噴水状に、まるで翼を広げているかのような優美さで大きく周りへと撒き散らされていく。彼の指揮、テレキネシスに掛かれば水さえも「可視化に足る旋律」に、そして武器に、なってしまうのだ。その素晴らしき旋律、立派な武器の猛攻を食らった彼等は当然のようにびしょ濡れだ。小柄な男性の持っていたアイスクリームは、その水の衝撃でぼとりとアスファルトへ落ちた。いきなり水を被ったことによる混乱の悲鳴か、まだ半分以上残っていたアイスクリームを失ったことへの落胆の悲鳴かは判り兼ねるけれど、とにかく彼等は半ばパニックに陥っていた。流石に、同情を寄せてしまう。

「セイボリー、ちょっと」
「何ですユウリ。もう少しエレガントな報復をご所望で?」

 慌てて駆け寄り、制止の言葉と共に腕を掴んで彼を見上げる。彼等の体を浮かせにかかる、などという蛮行に至らなかったことは褒められるべきだと思うけれど、その称賛だって、このテレキネシス自体が止まなければ始められない。呼び掛けのみで止まってくれればよかったのだけれど、残念なことに彼の水色の目は、現在の指揮対象である水から、そして彼等から一瞬たりとも逸らされなかった。これは随分と怒っているな、と他人事のように思いながら苦笑しつつ、更に続けた。

「そうだね、もっとエレガントに対応すべきだ。私が手本を見せるから、その指を下ろして此処で待っているといいよ」
「あなたにそのような度胸があるのですか? ワタクシを鎮めるための詭弁ではなく?」
「あれっ、君は私のことを臆病だと思っていたの? ならその汚名も此処で返上しておこう。あと覚えていてほしいのだけれど、……彼等の言っていることは概ね正しいんだよ」

 最後に小さく付け足したその言葉に、彼はようやく彼等から目を離してこちらを見る。何故だか彼の方が泣きそうな顔をしている。そういうところのある人だということは既に心得ているから、慰めるように小さく肩を竦めて笑っておく。
 ユウリ、と呼び止める声に振り向かぬまま、私は水を滴らせている彼等のもとへ駆け付けた。「大丈夫ですか?」などと一応の礼儀を通しつつ、彼等の機嫌を取るための言葉を選ぶことなど容易い。あのような言葉、9割が事実で構成されたあの言葉に傷付くことのできる純粋な心を私は持っていない。だからこそ、ただ淡々と事務的に事を収めることができる。穏やかな心地である私にかかれば造作もないこと。事実、これまではずっとそうしてきた。そうした「エレガントな対応」を彼に見せておくつもりだったのだ。
 けれども私よりも先に口を開いた女性は、よりにもよってこんなことを大声で捲し立ててきた。

「何なのアイツ! あんたのボディーガード? 新しいガラルのチャンピオン様は、口じゃ大人に敵わないからって、代わりに報復のための怪物を連れ歩くことを選んだってワケ?」

 ポン! と軽快な音を立ててインテレオンが飛び出してくる。勿論、私が投げた覚えのないボールだ。突然の「チャンピオンのエース」の登場に三人は慌てる。私も多少、驚いている。でもパートナーの判断は正しい。あと3秒あればきっと、彼が自ら出てこなくとも私の方からボールに手を伸ばしていたはずだ。インテレオンの力を借りてようやく為せる水の弾、私にとっての「可視化に足る旋律」が、きっと彼等の足元あたりを威嚇射撃していたに違いないのだ。
 エレガントな対応、という言葉が脳内でガラガラと音を立てて崩れていく。特定の存在に対する愛着が芽生えてしまうとこういうことが起きてしまう。厄介なことだなと自身に対して呆れを覚えながら、それでも私はこの憤りを引っ込めようとさえ思わない。

「ねえお三方、そのような言葉はお控えになった方がいいと思うよ。私も今知ったのだけれど、どうやら我々は、自分のものを貶められることに強烈な怒りを覚える質みたいでね」
「……は? 自分のもの?」
「さあどうぞ、広い場所へ。私を倒したいというご希望でしょう。ただこちらにはあまり時間がないのでインテレオンだけでお相手します。皆さん、今すぐに、とっておきの一体を選んでいただいても?」

 インテレオンと共にエンジンシティのメインストリート、その中央へ立つ。今日は日曜日で人の通りが殊更に多く、私達の周りにはあっという間に人だかりが出来てしまった。ダンデさんは街へと顔を出す日には必ずと言っていい程に、ファンサービスとしてストリートバトルを行っていたようだけれど、生憎私にそこまでのガラル貢献精神はない。チャンピオンになってから数か月が経とうとしているのに、私が街中でストリートバトルに挑んだ回数は両手で数えて余裕で足りる程に少ない。だからこそ、物珍しさも相まってか、たまにこうして開催した場合にはとんでもない数の注目を浴びる。普段なら畏れ多さに肝を冷やすところだけれど、生憎今の私はそこまで繊細ではない。
 ……彼等の言っていたことは、概ね正しい。私はパフォーマンスもサービス精神もダンデさんに劣る。故にガラルの皆さんが退屈してしまうのは無理からぬことだ。私はおそらく、不適正。彼等は正しい。概ね正しい。

 衣服から水を滴らせている三人は、顔を見合わせて相談を始めようとしている。先鋒として誰の一体を出すかで揉めているのだろう。挑発するように笑いながら、私はわざと煽るように語り掛けた。

「お上品な戦い方をなさる質じゃないだろう、三体まとめて掛かってきたらどうかな!」

 かっと三人の顔に赤が照る。煽りは功を奏したようだ。ボールから現れ出た三体のポケモン、そのタイプ相性と特性を考慮し、繰り出してくるであろう技を推測する。「セイボリー、審判でもしておくかい?」と、人混みの中でも目立つシルクハットにそう問い掛ければ、彼はいつもの意地悪そうな笑みを浮かべながら「ええ、喜んで!」と駆け寄ってきてくれた。

 彼等は正しい、概ね正しい。けれど二つだけ間違っている。一つ、セイボリーは断じて怪物などではない。二つ、私のパートナーは彼等如きに倒されるような、やわな存在では決してない。

「あの、もし。エレガントな対応とやらはどうなさったんです?」
「勇敢な行いには違いないだろう? ノン・エレガントはお互い様だしね」

 彼の笑顔を鏡映しにするように、右の口角だけを上げて私は微笑む。「ふふっ、違いない!」と笑顔で同意し、私の頭のニットベレーを一回だけ撫でるような軽さで叩いてから、彼はバトル開始の宣言を底抜けに明るい声音で為した。

2020.7.5

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