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「さて、何処に行きましょうか?」

少女は嬉々として歌うようにそう紡いだ。

「君はこの地方のことを知らないのだろう?」

「だからダイゴさんに案内してほしいんです。2時間しかありませんが、何処か楽しいところをご存じありませんか?」

その言葉にダイゴは苦笑した。
この少女はあろうことか、自分をツアーガイドのように使おうとしているらしい。
お見合いの場に限らず、自分と言う人間が軽んじられたことは今まで一度もなかったダイゴにとって、彼女の言動はとても驚くべきものだった。
この少女は、ダイゴのよく知る女性たちのように、上品でも、一途でもない。そんな彼女に、あろうことか自分は振り回されようとしている。
その新鮮な事実がただ楽しかった。だからダイゴは、彼女の要求を呑むことにした。

「それじゃあ、一度ここを離れようか。見つかっては元も子もないからね」

ダイゴはスーツの内ポケットからボールを取り出して、宙へと投げる。
現れたエアームドに、少女は目を輝かせた。

「鳥ポケモンをこんなに近くで見たのは初めてです」

彼女は何の躊躇いもなく、エアームドにそっと手を伸ばした。
決して優しい目付きをしているとは言えないエアームドの頭を、しかし少女はピカチュウ程の可愛らしいポケモンに触れるような気軽さでそっと撫でる。
エアームドは一瞬だけ驚いたような顔をしたが、直ぐに心地よさそうにその目を細めた。

「君はトレーナーではないんだね」

「でも、ポケモンは連れていますよ」

彼女は持っていた小さなショルダーバッグから、モンスターボールを取り出して投げた。
現れたのは、カントー地方に生息している筈のないポケモンで、ダイゴは思わず目を見開く。

「プラスルじゃないか。君はホウエン地方に住んでいたことがあるのかい?」

「いいえ。でも一度だけ、3年前に旅行に来たんです。その時に知り合った女の子に貰いました」

少女はプラスルを抱き上げて、そっと頬ずりした。静電気がぱちぱちと音を立てているが、彼女は特に気にする様子もない。
可愛いでしょう?と微笑む少女は、何処にでも居そうなごく普通の女の子だった。
可愛いものが好きで、お転婆で、「自由」に焦がれる、普通の少女。

しかし、とダイゴは思う。
その「普通」である少女から、どうして自分は目が離せずにいるのだろう。
どうしてこの「普通」の少女に、その少女が咲かせる笑顔に、引力なるものを見出してしまったのだろう。

「それじゃあ、ボクの後ろに乗ってくれ。地面を離れる時に少しだけ揺れるから、しっかり掴まっているんだよ」

「はい!」

少女はプラスルを抱いたまま、エアームドの背中に跨った。
鋼の擦れる甲高い音を立てて、一気に舞い上がる。僅かに潮の香りがした。

最初こそ、嬉々として飛び立つ瞬間を待ち侘びていた彼女だが、いざエアームドが大きく羽ばたくと、その迫力に少しだけ怯んだようだ。
ダイゴの肩を掴んでいた手の力が強くなる。彼女の身体が強張る気配を、ダイゴは僅かに感じていた。

「怖い?」

それは殆ど確信をもって尋ねられた言葉だった。
初めての飛行に怯えている、という確信ではなかった。

「いいえ。もっと速く飛んでみせて」

嘘吐きな彼女が、そう紡いで笑うことを、何故だかダイゴは既に確信していたのだ。

それでも、そんな嘘吐きな彼女の期待に応えなければならない。ダイゴはエアームドに加速の指示を出す。
顔にぶつかる風の勢いに息が詰まったのか、暫く声を発しなかった少女だが、暫くして、ダイゴの肩を掴んでいた手が緩められた。
笑っている。ダイゴは思わず振り向いた。それは先程まで聞いていた、彼女のクスクスと笑う上品なものではなかったからだ。
星が弾けるようなその笑い声は、風が瞬く間にさらっていった。

「こんなに楽しいこと、生まれて初めてかもしれない」

それは独り言だったのだろうか、それともダイゴに向けられた言葉だったのだろうか。
「だから、ありがとう」という言葉が、その言外に含まれていたのだろうか。
しかしいずれにせよ、ダイゴがそれに何かしらの返事を紡ぐことはできなかった。何故ならその声音は、ダイゴから声を奪うだけの衝撃を持っていたからだ。

『見ず知らずの、今日会ったばかりの相手に、そんな感情を抱くことができますか?』
何故か、その言葉がダイゴの脳裏を掠めた。

「ところで、トキちゃん。君はこの地方に旅行に来ていたんだろう。その時は何処へ行ったんだい?」

「ミナモシティと、その港から船に乗った先のカイナシティです」

「そうか。それじゃあ、今日は他のところに連れていってあげないといけないな。……何か、リクエストはあるかい?」

すると少女は即座に口を開いた。

「一番、美しい場所に」

美しい場所。
その言葉にダイゴは考え込む。
個人的には、石の洞窟にある壮大なスケールの壁画が美しいのではないかと言いたい。更に言えば、そこでよく見つかる石がとても美しいのではないかと言いたい。
様々な色をした鮮やかな石を、しかしダイゴは慌てて脳裏から追いやる。確かに美しいが、それはものであって、場所ではない。

普段、住み慣れた場所に美しさを見出すのは、とても骨の折れる作業だとダイゴは実感する。
加えて、ホウエンは自然が多い、豊かな実りのある地方だが、女性が好むような「美」には些か欠けているように感じられたのだ。
適する場所を思い付くことができないまま、沈黙を貫くダイゴに、少女はクスクスと笑った。

「そんなに必死に考えなくてもいいんですよ。私はきっと、何処へ行っても楽しいですから」

「そうなのかい?」

「はい、だってホウエン地方は、カントーと全然違うんですもの」

確かに、とダイゴはカントー地方の街並みを思う。舗装されたアスファルトの道、立ち並ぶ高層ビル、行き交う沢山の人。
そのどれもが、ホウエン地方にはないものだった。ホウエン地方はカントーと比べてとても静かで、緩やかに時間が流れていたのだ。

「君は確か、ヤマブキシティに住んでいるんだよね」

彼女の住むヤマブキシティは、そんなカントーの中でも随一の大都市だった。

「そんなにいい街ではありませんよ」

彼女は肩を竦めて、少し拗ねたような声を紡ぐ。
「隣の芝生は青く見える」と言うが、彼女もダイゴと同じように、自分の住み慣れた町に美しさを見出すことができずにいるらしい。

「そうかな。ボクも何度か行ったことがあるけれど、高層ビルがお洒落に立ち並んでいて、とても綺麗だと思ったよ」

「それじゃあ、きっと私と貴方では美しさの感性が真逆なんですね」

その言葉にダイゴはまたしても驚く。
「私達、似ていますね」と紡いで上品に微笑む女性は数多くいたが、「私達は相容れない」と、こちらの感性を拒むようなことを言われたのは初めてだったのだ。
ダイゴはついに堪え切れなくなって声をあげて笑った。少女は身を乗り出して「どうしたんですか?」と尋ねてきた。

「君は面白い子だね。ボクは君のこと、いいと思うよ」

「ふふ、私もダイゴさんのこと、素敵な人だなって思っていますよ」

それは果たして、彼女の「嘘」だったのだろうか。
どちらでもいい。自分がこの少女の目に「素敵」に見えていなくとも、構わない。そう思えることの幸せを、ダイゴは切に噛み締めていたのだ。
まだ行き先を決められずにいた二人を乗せて、エアームドはホウエンの空を駆ける。


2014.12.17

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