10

ダイゴは少女と執事を、ミナモシティの港まで送っていった。
少女のドレスが破けてしまったことと、赤い服への言い訳は、彼女がお得意の嘘で完璧に飾り立ててみせた。
ドアにドレスの裾を挟んでしまい、ダイゴがデパートで適当に見繕ってきてくれたということにしたらしい。
執事は呆れたように笑いながら「お嬢様は稀に、驚く程間抜けたことをなさる時がありますから」と答えた。
その言葉にダイゴが笑いを堪えたのは言うまでもないことだ。

「ダイゴ様、このようなお方ではありますが、どうぞよろしくお願い致します」

深々と頭を下げた執事に、ダイゴは慌てて謙遜した。その隣で今度は少女が笑いを堪えていた。
この成立した縁談が、ダイゴの方から強く求めたものであることを、知っているのはダイゴと少女しかいない。
その縁談が不思議な交渉紛いの約束によって交わされたものであることを、二人の他に知る者はいない。そのことがどうしようもなくおかしかった。

船が出る時間まで、執事は少女から少し離れた場所で待機していた。
まるで二人の時間を作ってくれているようなその配慮に、ダイゴは少しだけ気恥ずかしくなって微笑む。少女も釣られたように肩を竦めて笑った。

「私、お見合いをしていると、よく男の方から花束を頂くの。とても綺麗な赤い花束」

少女は唐突にそう切り出した。
彼女とのお見合いに参加するような男性だ、きっと立派な花束を用意していたに違いない。
確か花には「花言葉」というものが種類や色に応じて付けられているらしく、花束を贈るということはその言葉も一緒に送るということなのだとダイゴは知っていた。
もっとも、それは知識として持っているだけで、実際に花束を渡すなどという粋な真似をしたことは未だ嘗てなかったのだけれど。

「君の部屋は花束だらけ、という訳だね」

「そんなことないわ。いつだって執事に預けて、適当に廊下にでも飾っておいてもらうの。誰かからプレゼントを貰うのは苦手だし、何より私は花束が好きじゃないから」

女の子らしからぬことを言って少女は笑った。
ひょっとして、時間が経てば枯れてしまうのが悲しいからだろうか。ダイゴはそう尋ねてみたが、彼女はとても楽しそうに声をあげて笑った。

「それは寧ろ、私の友達が言いそうな言葉よ。切り花は生きる手段を失っているから悲しいらしいわ。地面に生えている花の方が生き生きしていて好きなんですって。
欲張りな私の友達は、花に対してまでも欲張りでありたいと願っているの。おかしいでしょう?」

友達。
その言葉はダイゴに、ルネでの少女との会話を思い出させた。

『相変わらず欲張りな、友達のこと。』
『知り合ったばかりの女の子のために、どうして心身を削ってまで寄り添うことができるのかしら、許せない対象を、どうして救いたい、だなんて思えるのかしら。』
実のところ、ダイゴはその「友達」に心当たりがあった。2年前に知り合ったその女の子は現在、15歳になっている筈だ。
「欲張り」で「許せない対象を救いたい」と思える人間の名前を、ダイゴは知っていた。
こんな偶然があるのだろうか、と思ったが、世界の巡り合わせとは案外そうしたものなのかもしれなかった。

「その友達の名前は、もしかしてシアじゃないかい?」

「え、どうして……」

驚きにその柴色の目が見開かれた、その表情は肯定を語っていた。
けれどダイゴが知っている、少女の友達にとっての「許せない対象」は、緑の髪をした背の高い男性であった。
けれど少女はその対象を「知り合ったばかりの女の子」と言った。
ダイゴが最後にシアと会ったのは1年ほど前のことだが、どうやらシアはそれ以降に、またしても同じような「欲張り」をしていたようだ。
彼女の欲張りは変わることなく生き続けているらしいとダイゴは微笑ましく思った。
そして同時に、そんなシアと目の前の少女が友達であることがとても信じられなかった。二人の性分はどこまでも真逆であるように感じられたからだ。

「君はシアと友達なのかい?」

「あら、どうして疑うの?私はそういう嘘は吐かないわ」

「じゃあ聞き方を変えよう。シアのことは好きかい?」

その言葉に彼女の笑顔が固まった。
『彼等はずっと自由なのに、どうしてずっと苦しそうなのかしら。』
『大切なものは、自由の足枷になるのかしら。』
あの言葉は、他でもないシアのことを指していたのだ。
自分よりもずっと自由である筈のシアが、その自由なフィールドで少女以上に苦しんでいる様に、彼女は驚き、訝しんだに違いない。
そしてそんなシアのことを「友達」だと言う少女には、少なからず鬱屈した感情が潜んでいる筈だとダイゴは思ったのだ。

「……好きよ。私のたった一人の友達なの。私の立場を気にせずに、同じ目線で話をしてくれる唯一の人なの。
でもそれ以上に、あの子のことが羨ましい。私の欲しいものをずっと多く持っているのに、私よりもずっと苦しむ生き方しかできないあの子を、私はどうしても許せない」

「……」

「ねえ、ダイゴさん。貴方はシアを知っているんでしょう?貴方から見ても、彼女は欲張りな生き方をしていると思う?それとも私が捻くれているだけ?」

少女は今まで見たことがない程に切羽詰まった表情を浮かべ、ダイゴに詰め寄った。
ダイゴは即座に首を振って笑った。

イッシュ地方に住むその少女のことをダイゴはよく知っていた。彼女に何度か相談を受けたこともある。
その度に、なんて欲張りな子だろうと驚いてきた。そんな彼女にダイゴはできる限りのアドバイスをした。
彼女は自分の生き方に、きっと後悔なんてしていないのだろう。後悔しないために、彼女は欲張りで在り続けてきた。たとえ自らが傷付こうと、その決意は揺らがなかった。
ダイゴはそんなシアのことを、とても勇気のある人間だと思っていた。

シアは、ボクから見ても難儀な生き方をしていると思うよ。彼女はあまりにも多くのものに手を伸ばしたがっている。きっと感受性が強すぎる子なんだろうね。
ボクはそんなシアを素直に尊敬している。ただしトキちゃん、君には彼女のようになってほしくない」

それは本心だった。確かにダイゴは一回り年下のシアのことを尊敬していたが、彼女と同じ生き方を少女に勧める気は全くなかったのだ。
寧ろダイゴは、案じていた。この少女がシアのように欲張りになってしまうことを、そしてその代償として傷付き苦しむことを恐れていたのだ。
少女はクスクスと笑いながらダイゴに問い掛ける。

「私も、シアのような生き方はしたくないわ。でも、どうして貴方がそんなことを?」

「誰だって、好きな人に傷付いてほしくはないだろう?それと同じことだと思うけれど、違ったかな」

少女は嘘が得意だった。ダイゴはそれとは対照的に、自らの思いのままを抵抗なく伝えることのできる人間だった。
二人はきっと対極に居たのだ。そのことがあまりにもおかしくて少女は笑った。

「そうよ、シアは私よりもずっと沢山の人に愛されていたの。貴方が私にそう思ってくれたように、彼女の近くに居た人だって、同じことを思った筈よ。
それなのに、シアは彼等の忠告や懇願を聞き入れることをしなかった。彼女は欲張りを捨てることができないの。今までも、きっとこれからも。
私が愛なんて要らないと言ったのは、愛が人の心を動かせなかった事実を知っているからなのかもしれないわ」

「!」

「でも、貴方が諦めるなと言ってくれたから、私はその言葉に懸けてみるつもりよ」

違う、……違うんだトキちゃん。あの子は愛を切り捨てた訳ではない。シアが欲張りを手放さないのは、人の想いが無力だからでは決してない。
ダイゴはその本当の理由を知っていた。どこまでも欲張りで、どこまでも優しいシアという人間の真意を知っていた。
けれど、今ここでそれを彼女に教える訳にはいかなかった。これはきっと、彼女自身で気付くべきことなのだ。その気付きが彼女の旅で得られると信じていた。
だから今のダイゴができることは、その少女の言葉に困ったように微笑んで頷く事しかなかったのだ。

「また会おう、トキちゃん。君の手にする自由が素晴らしいものであることを願っているよ」

そんなダイゴが伸ばした手を、少女はそっと握り返す。
その繊細な指先とは対照的に、彼女の口から紡がれた言葉はどこまでも気丈で揺るがぬものだった。

「あら、そんなこと造作もないわ」

「造作もない、か。君らしい言葉だね」

「だって貴方がくれた自由だもの。素晴らしいものにならない筈がないでしょう?」

その断言にダイゴはまたしても困ったように笑わざるを得なくなってしまった。嘘吐きな彼女の本音は、時折こうして真っ直ぐにダイゴの心を突き刺すのだ。
ごきげんよう、と軽く会釈をして少女は船の方へと歩き出す。直ぐに船が出港の合図を告げた。
甲板に少女の姿を見つけたダイゴは、片手を大きく上げて手を振る。すると少女は両手を口元に添えて、その声をダイゴに投げたのだ。

「素敵な赤い花束をありがとう!」

楽しそうに微笑んで両手を大きく振る彼女は、真っ赤な服を身に纏っていた。
彼女がホウエン地方に引っ越してくる、1か月前の話だ。


2015.3.9
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