いつものスーツに身を包み、ダイゴはとあるイタリアンのレストランを訪れていた。
親父の連絡はいつも唐突だ。彼の奔放な性格は今に始まったことではなかったが、ダイゴは脳裏でピースサインをする自身の父親に溜め息を吐く。
大きな窓の向こうには、眩しい程に青い空と海が広がっていた。ミナモシティは観光客が集まる、ホウエン地方有数の賑やかな町だ。
きっと親父のことだ、相手方の交通の便も考えて、この町を選んだのだろう。
カントーからやって来るというその人物は、今頃、もう既に船で港に着いている頃だろう。
コンコン、と個室のドアが小さくノックされた。
どうぞ、とダイゴが立ち上がって返事をすると、ドアを開けて長身の執事が入ってくる。
「ツワブキダイゴ様ですね。到着が遅れてしまい申し訳ありませんでした」
そのドアの向こうから、一人の女性が姿を現す。
「……」
淡いピンク色のシンプルなドレスに身を包み、癖のある長い茶色の髪をポニーテールで束ねていた。
彼女が一歩を踏み出せば、そのドレスはふわふわと上品に揺れた。
大きなその目は、ダイゴを真っ直ぐに見据えていた。その口が控えめに音を紡いだ。
「はじめまして。トキと申します」
その顔にまだ幼さを残した少女は、しかしダイゴよりも余裕の表情で微笑み、ドレスの裾を軽くたくし上げて会釈をしてみせる。
このあまりにも美しい少女と、ダイゴはお見合いなるものをしようとしていた。
双方の両親が示し合わせた時間は、3時間だ。
少女の執事が個室を出て行き、残された少女はもう一つの椅子に座った。
ドレスの余った裾を慣れた手つきで足元へと流し、前髪を少しだけ直してふわりと微笑む。
ダイゴはこれまでにも何人かの女性とお見合いをしてきたが、ここまで美しく全ての動作をやってのけてしまう人物は初めてだった。
自分よりも年下であろう少女が、自分よりも優雅に、そして余裕をもって自分に微笑みかけていることに、ダイゴはただ驚くしかなかった。
さて、どうしようかとダイゴは考える。
普段なら、お見合いの相手には敬語を使っていた。今回も迷わずそうするつもりだったのだが、目の前の少女は自分よりも遥かに幼いような気がしていた。
暫しの思案の末に、ダイゴは単刀直入に尋ねてみることにした。
「トキさんのお年は、お幾つですか?」
すると彼女はその目を僅かに見開き、クスリと微笑む。
「今年で16になりました」
16歳。ダイゴは目眩がした。
どういうことだ、親父。9歳も年下じゃないか。こんな少女とボクを合わせてどうしようというんだ。
確かに彼女の父親が社長を務める会社は、カントーから遠く離れたホウエンの地でも有名な程の大企業だった。
しかし、だからといって、16歳でこんな。
ダイゴは自分が16歳だった頃を思い出していた。
確か自分は、ミクリと競うようにポケモンバトルに明け暮れていた気がする。
自分の立場、役割、そうしたものについて特に思案することもなく、ただ楽しいことだけに、夢中になれることだけに専心していたように思う。
父親からお見合いの話を持ち掛けられたのは、ここ1、2年のことでしかなかった。
16歳のダイゴには、お見合いなど、遠い場所で繰り広げられる絵空事のものに感じられていた。
周りが示し合わせた結婚に興味などなかった。そして、その意識は今も変わっていない。
ダイゴはお見合いの回数こそ重ねてきているものの、そのお見合いは「結婚相手を探すこと」ではなく「相手企業への接待」という趣が強かった。
しかしダイゴのそうした心理に反して、女性たちはとても強かで、一途だった。
彼はそうした女性の一面を、些か苦手に思ってもいたのだ。
そんなお見合いの場に、まだ子供である少女が、慣れた様子で微笑んでいることに、ダイゴは少しばかり同情の意を向けざるを得なかった。
16歳なら、もっと自分の思うように生きてもいい筈だと思ったのだ。家のこと、身を固めることについて思案するのは、もう少し後でもいいだろうと考えていたのだ。
「君も、大変だね」
思わず零してしまったその言葉に、ダイゴはしまったと思う。
この瞬間、ダイゴは2つの過ちを犯したのだ。
有名企業の社長の令嬢に対して、年下とはいえ、敬語を使うことを忘れてしまったことと、生じていた同情の意を剥き出しにしたまま彼女に向けてしまったことだ。
プライドが物を言うこの社会で、その言葉は相手への侮辱を意味していた。
ダイゴは直ぐに謝ろうとしたが、彼女はそれに反してクスクスと楽しそうに笑ってみせる。
「どうして?大変だと思ったことは一度もありません。
欲しいものを何でも与えられて、不自由のない生活を送らせて頂いて、その上に、こんな素敵な殿方まで紹介してくださるんですもの」
彼女は歌うようにそう紡いだ。
「……そうか」
ダイゴはほっとしたように溜め息を吐く。
そんな彼の姿すらも、彼女は微笑みながら見つめていた。9歳年下の少女の顔から、その微笑みが絶えることはなかった。
運ばれて来る料理を、彼女はあっという間に食べ尽していく。ダイゴは唖然として、フォークを持つ自分の左手を止めてしまっていた。
基本的に、ダイゴはこうした二人の食事の際は、相手の女性にペースを合わせていた。
皿に残っている料理の量が同じくらいになるように、先に完食してしまわないように気を付けて食べていた。
華やかでおしとやかな女性たちは、驚く程ゆっくりと手を動かすのだ。
「カントーにも、此処のような港町があるのかい?」
「はい、クチバシティという町です。カントーは海に面している町が少ないので、観光客で賑わっていますよ」
「どうしてか、海の見える町には人が集まるんだよね」
他愛もない会話をしながら、しかし彼女は素早く料理に手を付けていく。
ダイゴはそのスピードに驚きつつ、置いていかれないようにと慌てて手を動かした。
全く音を立てずに食器を使う彼女に、ダイゴは尊敬の念すら抱いていた。此処まで無音で食事を勧める女性を、ダイゴは他に知らない。
「とても綺麗に食べるね」
「あら、ありがとうございます。そんなことを言われたのは初めてです」
彼女は肩を竦めて、少しだけ楽しそうに微笑んだ。
最後のデザートも迅速に口へと運んだ彼女は、仕上げとばかりにグラスに入っていた水を飲み干し、またしてもふわりと微笑む。
「ところでダイゴさん。私達はお見合いという名目でお会いしていますが、貴方は少しでも私と添い遂げる気がおありですか?」
「!」
「見ず知らずの、今日会ったばかりの相手に、そんな感情を抱くことができますか?」
いきなりとんでもないことを言いだした少女にダイゴは面食らう。
その声音は楽しそうにふわふわと揺れていたが、自分を見る少女の大きな目はどこまでも真剣だった。
冗談を投げられている訳ではないと理解したダイゴは当惑する。今までこうした、あまりにも唐突でストレートなアプローチをされたことがなかったのだ。
「もしそうでないのなら、何も言わずに、10秒だけ待ってください」
少女は楽しそうに右手を掲げ、「1、2……」と、その指を1本ずつ折っていく。
ダイゴは慌てた。完全にこの少女のペースに飲まれていると、既にこの場のイニシアティブは少女の方に在ると、気付いたときにはもう遅すぎたのだ。
普段の彼なら、ここで口を開いただろう。当たり障りのない言葉を紡ぎ、相手の機嫌を損ねないように細心の注意を払っただろう。
しかし今回はそれがどうしてもできなかった。ただ何かを話せばいいだけのことなのに、言葉が出てこなかった。彼女の真摯な鋭い目が、そうすることを禁じたのだ。
『見ず知らずの、今日会ったばかりの相手に、そんな感情を抱くことができますか?』
抱けない。抱けるはずがない。
周りが示し合わせた結婚に興味などない。自分は、自分の決めた相手を愛したい。
彼女の言葉は、ダイゴの閉じられていた本音をあっさりと引きずり出した。
ダイゴは心の中で白旗を揚げた。
デボンの社長の息子ではなく、一人の人間として、この少女と向き合うことを選んだのだ。
「……9、10」
その10秒は永遠のような長さだった。
少女は勢いよく立ち上がり、ダイゴの手を引いた。
「私もです。お見合いなんてつまらないわ。
ねえ、ダイゴさん。こっそり抜け出しましょうか?」
その目は宝石のように輝いていた。
2014.12.15