6 (Close friend)

ホテルの1階でパンケーキとコーヒーを朝食に、さて今日は何処に行こうかと思考を巡らせた。
パキラが食べているパンケーキにはミントとバナナ、生クリームがトッピングされており、その上からチョコソースがかけられている、ひたすらに甘い代物だが、
少女のパンケーキの上にあるのは、イチゴやブルーベリー、ラズベリーといった酸味の強いフルーツだった。
ティラミスといい、今回のベリーのトッピングといい、彼女はただ甘いものではなく、少しの酸味やほろ苦さがあるものを好んで選ぶようだった。

「そういえば、昨日の指はもう痛くない?」

「はい、大丈夫です」

そう言って、手に構えていたナイフを置き、人差し指を掲げて見せてくれる。昨日のように赤くなっている訳でも、他の指に比べて腫れている訳でもなかった。
「それならよかったわ」と告げてから、パキラははて、と首を捻った。
彼女に言葉が足りないのはいつものことであり、それ自体は訝しむべきことではないのだが、しかし決定的な一言が今の遣り取りには欠如しているように思われたからだ。
いつもならその後に飛んでくる筈の「ごめんなさい」という常套句は、しかし目の前の美味しいパンケーキと一緒に飲み込まれてしまったらしい。

『人間、美味しいものを食べていれば何とかなるのよ。』
ミアレシティのカフェでそう告げた日のことを思い出してパキラはそっと笑った。
自分がこの1日で少女と交わした数え切れない程の言葉が彼女の常套句を奪うことに成功したのなら、それはとても素晴らしいことであるけれど、
この美味しいものが一時的に彼女のそうした「ごめんなさい」を一緒に飲み込ませてくれているのだとしたら、それはそれでいいと思った。
大事なのは少女がそうして謝罪の言葉を紡ぎ忘れたという経験であり、そこに至るまでの過程に拘泥したところでそれは少女のためにならないと心得ていたからだ。

その過程ではなく経験を褒めるために身を乗り出して、まだポニーテールにまとめられていない髪をやや乱暴に撫でれば、少女は肩を竦め、声を上げて笑った。
それは彼女らしくない笑い方だった。けれど同時に、10代の少女が宿すに相応しい笑い方であった。そのことがどうしようもなく嬉しかった。

「一応聞くけれど、行きたいところはある?」

しかしその質問にはやはり困ったように笑って首を振る。
解っている。この少女が自分の意見を述べることを極端に恐れていることも、パキラのことを大切に想っているからこそ益々言い淀むのだということも、解っている。
けれどそれは、パキラがこの少女の意向を完全に無視して何もかもを決めていい理由にはならないように思われたのだ。
「貴方はただ私に付いてくればいい」と、最初こそ強引に誘っておきながら、パキラが彼女の意見を聞かずに事を進めたことは滅多になかったのだ。

「それじゃあ、アズール湾に行きましょう」

「え、……海ですか?」

「そうよ。ショウヨウシティで水着を買って、それから向かいましょう」

少女はとても驚いたように目を丸くしていたけれど、パキラのその提案に特に渋る様子を見せることなく「分かりました」と了承の意を示した。
行き先が決まったことで、自然とこれからのことに思考がシフトし、食事を進める手が少しばかり早くなる。
残りのパンケーキを軽く畳んでフォークで突き刺し、大きな口を開けて押し込めば、しかし自分の口の大きさを測り違えていたらしく、
なんとか口へと押し込むことには成功したものの、パキラの頬に生クリームがぺとりと付いてしまった。
少女はそれを指摘し、声を上げて笑った。パキラはそんな少女を責めるように、笑いながら親指で生クリームを取って、少女の頬へと貼り付けた。

カロス地方の西側、海に面した町は比較的温暖だ。砂浜に打ち寄せる海水は一年中温かく、観光客の姿が絶えない。
……勿論、暑い時期に人の数が増すのは当然のことなのだけれど、それでも元々、カロス地方は1年を通して気候の変化があまりないことも相まって、
ショウヨウシティには一年中、半袖やノースリーブ、ショートパンツなどの衣類、そして泳ぐための水着の類が売りに出されていた。

「好きなものを選んでいいわ。このくらいのお店なら、多少高くても問題ないから」

カロスの観光名所であるショウヨウシティの海辺やアズール湾、そこに臨むための水着を売りに出している店を「このくらい」呼ばわりしたことに対するおかしさからか、
それとも耳打ちした時に掠めた息のくすぐったさからか、彼女はクスクスと笑いながら頷き、水着の売り場へと歩みを進めた。

「他の人に肌を見られなくない」などと言い出しそうな奥ゆかしさをもっていそうな少女だったが、
意外にも彼女が手に取る全ての水着が所謂「セパレートタイプ」という、ウエストを見せるタイプのもので、パキラは少しだけ驚いてしまった。
けれどやはり、下着と遜色ないデザインのものを身に付けることには抵抗があるようで、
ウエストを見せつつ身体のラインを隠すことのできる、レースとスカートがあしらわれたものを幾つか見定めていた。

「そんな中途半端なものじゃなくて、こっちにしなさいよ」

布の少ない黒いビキニを押し付ければ、彼女は顔を真っ赤にして大きく首を振った。
彼女らしくない激しい拒否のサインがおかしくてパキラは声を上げて笑った。まだ海に足を浸してすらいないのに、こんなにも楽しい思いができるとは思わなかった。

「冗談よ。でも、これくらいで顔を真っ赤にしているような貴方が、ウエストを出すタイプの水着を着られるの?」

「……でもパキラさんはビキニを着るでしょう?その隣にいる私がワンピースタイプの水着だと、あまりにも子供っぽく見えてしまう気がして」

ああ、そんなことを気にしていたのだと、パキラは益々おかしくなって笑った。
この子にとって大切な人の隣に立つということは、こんな水着を選ぶという些細なことにまでプレッシャーを与えるものなのだと、理解して少しだけ、恐ろしくなった。

この少女は一体、どれ程の緊張感と恐怖をもって旅を続けてきたのだろう。
嫌われたくない、みっともないところを見せたくないと思い続けた彼女の心は、どうしようもない程に疲弊していたのではないだろうか。
気を張り詰め続けた彼女の糸は、今にも切れそうになっていたのではないだろうか。

『カロスなんか大嫌い!!』
あれは、他でもないその糸が切れた瞬間の、彼女の暴発だったのではないだろうか。

「……そうだと言えば、貴方は黒いビキニを着てくれるのかしら?」

からかうようにそう尋ねれば、「それは無理です」と再び顔を赤くして首を振った。
それなら私に構わず好きなものを選べばいい、貴方の本当に着たいと思うものを手に取ればいいと、告げることは簡単にできた。
けれど言い淀んでしまったのは、そこにパキラの主観が含まれていたからだ。
今この少女が手に取っている、小さな花柄があしらわれた淡い色の水着、それがこの少女にとてもよく似合うのではないかと、思ってしまったからだ。

けれどパキラが声を発するより先に、少女は「これにします」と、そのセパレートタイプの水着を軽く掲げてパキラに示した。
これに驚いたのはパキラの方で、思わず声を上げて笑い出してしまった。不安そうに「似合いませんか?」と尋ねる彼女に、大きく首を振って否定の意を示した。

「いいえ、似合う筈よ。だって私も、貴方にそれを着てほしいと思ったところだったから」

「え?……あはは、そうなんですね。パキラさんが似合うと言ってくれるなら、大丈夫ですね」

そんな絶対的な信頼を言葉に滲ませて、少女はその水着をパキラへと手渡した。
パキラはというと、先程少女が顔を真っ赤にした黒いビキニを手に持ったまま、スタッフを呼びつけた。
まさか自分に勧めたそのビキニをパキラが購入するとは思ってもいなかったようで、少女は驚愕の表情を見せていたけれど、
やがてそっとスタッフの目から逃れるようにパキラの背中に姿を隠した。
躊躇うことなくその二着を手渡したパキラの後ろで、少女は笑いを堪えるのに必死だったのだろう。パキラは少女の肩の震える気配を背中越しに拾い上げていた。
どうしようもなく満たされていたけれど、そうした幸福を発露させるべき場は此処ではないように思われたから、気付かない振りをした。

ポケモンセンターの更衣室を借りて、水着を服の下に着込んだ。
近くのコンビニで昼食になりそうな食べ物と、水分補給のためのスポーツドリンクの類、それとバスタオルを適当に購入した。
ファイアローの入ったボールを宙に投げ、先に飛び乗って少女へと手を伸べれば、もう彼女は躊躇うことなく握り返してきた。
彼女の手はパキラのそれより少し、ほんの少しだけ小さかった。

ヒヨクシティの西側、アズール湾の浜辺を大きく通り過ぎて更に北へと向かえば、少女は「あれ?」と不思議そうに声を発した。
行き先は此処ではなかったのかと尋ねるようにこちらを見ていることが分かったので、パキラは振り返り、至極得意気な表情で告げた。

「誰にも見つからない場所へ行きましょう、シェリー


2016.3.14
(親友)

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