偏食の子供への食育として、彼等に料理の現場を見せる試みがあることを、ズミは以前テレビで見て知っていた。
まさかそんなことを自分がすることになるとは思ってもいなかったが。
このレストランには、一流の食事を求める者しか訪れない。故に「どうすれば食べて貰えるか」に関しては、真剣に考える機会を持たずにいた。
そんな料理の初歩とも言えるべきものを、ズミは置き去りにしてしまっていたのだと気付かされる。
本当に厄介なお客様だ。しかしそれをもう不快だとは思わなかった。
「ソイスープを作ろうかとも思ったのですが、生憎材料が足りません。
代わりにパンプキンスープならご用意出来ますが、お嫌いですか」
「いいえ」
「では本日はそれを作りましょう。それから、ティラミスをデザートに。……宜しいですか?」
「……はい」
ズミは椅子を持ってきて、そこに少女を座らせた。
寒ければこれもどうぞ、と持ってきていた膝掛けを渡せば、少女は安心したようにそれを受け取り抱き込んだ。
その様子を見届けてから、ズミは料理の用意に取り掛かった。
熱したカボチャをすり潰してペースト状にする作業を、少女は食い入るように見つめていた。
とても簡単な料理なので、見ていてもつまらないのではないかと思ったが、どうやらそれは杞憂だったらしい。
ズミは振り返り、少女にヘラを差し出した。
「やってみますか?」
少女は一回、二回と瞬きをしてからそれを手に取った。
柔らかくなったカボチャは、それ程力を加えなくともすんなりと潰れていく筈だった。
しかし針金細工のような少女の腕ではそれすら困難であるらしく、ヘラがコトンと音を立ててボウルの中に滑り落ちた。
ごめんなさい、と慌てて謝る彼女の手の甲に、自分の手を添えた。
もう一度ヘラを握らせて、その上から力を加えた。
「……」
「さあ、どうぞ」
力が無いなら貸せばいい。落としたなら拾えばいい。
貴方を引っ張り上げてみせると、他でもない自分がそう言ったのだ。
少女は小さく「ありがとう」と紡ぎ、再びヘラを握る力を強くした。
最早料理の出来などどうでも良かった。全てが少女を中心に回っていた。
こんなところを同僚や博士が見たら驚くだろう。そう思いながら何故だか微笑ましい気持ちになり、ズミはその小さな手に合わせて力を加えた。
「こうして、作っているんですね」
「ええ、そうです」
「……楽しいですか?」
「貴方は?」
そう尋ねると、少女の背中が微笑む気配がした。
「はい、とても」
それは良かったと返しながら、少女の手の力が弱まったところでそっとヘラを取り上げた。
残りは私がしましょうと紡げば、お願いしますと言って彼女は僅かに笑った。
その後も料理をしながら、ズミは自分が少しだけ緊張していることに気付いた。
名だたるシェフに監視されている訳でもないのにと自嘲しながら、しかし人に料理する姿を見られる機会がそもそも少ないことを思い出した。
おそらくこの少女は料理に関しては素人だろう。でなければこんな簡単な料理を食い入るように見つめたりしない。
しかしだからこそ緊張していた。自分の見せた料理の行為が、そのまま彼女の食を象ることになるとおぼろげに理解していたからだ。
自分の行為が誰かの一部となるという感覚にズミは慣れていなかった。
消え行く一瞬をより良いものにする為に努力することはあっても、それは不特定多数の人間の一瞬の為であって、「誰」を意識することは本当に少ない。
しかし今、その相手がたった一人に絞られており、かつその相手に料理をする姿を見られている。
おかしなことになったものだとズミは笑った。その後ろで少女が首を傾げる気配がした。振り向かなくとも解っていた。
「では、テーブルへどうぞ」
少女は頷き、膝掛けを抱えて厨房を出て行った。
完成した料理はとても拙いものだったが、最早出来などどうでも良かった。
品質に拘るなら、少女にヘラを握らせたりしない。その手に添えて力を加えたりしない。
要は彼女がそれを口にするか否かが問題なのだ。上質の料理では彼女の心を動かすことが出来ないことにズミは勘付いていた。
もっともこの試みが、ずかずかと厨房に入り込み鍋を覗き込んだあの博士の発言にインスピレーションを受けたものであることを少女は知らない。
『料理するところを見ていると楽しいよね。』
あの発言に深い意味はあったのか、それとも何気無く紡がれた戯言だったのか。しかしそれを知らずとも、ズミの為すことは決まっていた。
仮にそれが、少女の救いをズミに託す類の言葉だったとしても、ズミが一方的にインスピレーションを得ただけだとしても、何も変わらない。
しかし前者だと信じる方が、少女が救われる気がした。
食器を並べ、グラスに水を注ぎ、テーブルにパンプキンスープを置いた。
そこでズミは、縋るように自分を見上げる彼女の視線に気付いた。
「どうしました?」
その目には怯えこそなかったものの、明らかな戸惑いを汲み取ることが出来た。
少女は沈黙を経て、僅かに頬を赤らめて尋ねる。
「どちらのスプーンを使えばいいですか?」
訪れた沈黙は、少女の謝罪が埋めてくれた。
ごめんなさい、本当にごめんなさいと紡ぎながら、その声は恥ずかしさに震えていた。
デザート用のスプーンを同時に出したのは失敗だったかと思いながら、しかしそんな謝罪すら愛おしくてズミは笑った。
「こちらをお使い下さい」
2013.11.20