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「どういうつもりだ」

プラターヌは厨房にずかずかと入り込み、ズミの前に立ちそう一喝した。

「……何のことです」

「彼女は昨日の夜中に、大通りで倒れていたそうだよ」

その言葉にズミは慌てて火を止めた。
確かに動揺はしていたが、内心では「ああ、そうなってもおかしくはない」と思っていたのだ。
あの針金細工のような身体はとっくに限界を迎えていた。倒れない方がおかしいと考えられる程に生気がなかった。
ポケモンセンターまで送り届ければ良かったと、しかしそう後悔するのは他でもないズミの役目だ。
それをプラターヌに咎められる覚えはない。

「君のところに通うようになって、彼女に変化があるかと期待したけれど、ボクの思い違いだったみたいだ」

「……」

「もう彼女を此処には来させない。君に会わせても傷付くだけだ」

「そう、シェリーが言ったのですか?」

すると何がおかしいのか、プラターヌは眉間にしわを寄せて笑った。
こちらを嘲笑うようなその笑いにズミの機嫌は損なわれたが、それこそがプラターヌの狙いであることを長い付き合いの中で彼は熟知していた。
彼の生み出す空気に飲まれてはいけない。飄々としたそのペースにこちらが合わせてはいけない。
何も考えていないような人の良い笑みを浮かべている彼は、その顔の奥でいつもイニシアティブを獲得する機会を窺っているのだ。

「君は何も解っていないんだね、彼女はそんなことを簡単に言えるような子供じゃないんだ」

「お言葉ですが博士、解っていないのは貴方だ」

プラターヌは瞠目した。ズミはその目を睨み付けながら、昨日の彼女との長い会話を思った。
彼のその、腫れ物に触るような優しい残酷が彼女を傷付けていることを、ズミはようやく知れたのだ。
何もかもを肯定すると否定に繋がる。そのアイロニーは深くズミの心を抉っていた。
だからこそ、自分は彼女に対してどうあるべきかをずっと考えていたのだ。
それだけではない。彼女はズミを信じると言ってくれた。自分のことを話すと言ってくれた。ありがとうと確かに笑った。
随分な遠回りではあったが、それらは確かに自分と彼女が積み重ねてきたものだ。それを切り離されては堪らない。

「貴方が思うより、私は彼女のことを知っています」

「じゃあどうして昨日のようなことが起きたんだ」

「それは私の配慮が足りなかったからです。その点は、本当に申し訳ないと思っています。
しかし解って下さい。私はもう彼女を憎いとは思っていません。毎日此処へ呼ぶのも、彼女に報復しようと考えているからではありません」

彼にしては珍しく余裕のない態度だと思った。その気付きはズミに余裕を、そしてその余裕を見たプラターヌに焦りを与えた。
プラターヌが彼女を大切に思っているのは知っていた。彼にとって彼女は可愛い教え子で、だからこそ傷付けたくないのだと。
しかしズミは違った。その美しい感情に足を取られることがあってはならないと確信していた。

傷付くことも、傷付けることも、出来ることなら最小限に済ませたい。寧ろ、そんなものはない方がいいに決まっている。
しかし求めたいものは確かにあるのだ。
嫌な思いをした時、相手を傷付け、傷付けられた時、そんな時に躊躇ってはいけない。そこからもう一歩踏み出さなければいけない。
だからこそ彼女の声を聞くことが叶ったのだ。
プラターヌはまだ迷っていた。ズミはもう迷わなかった。

……彼は深く溜め息をついた。

「……ボクが止めても、きっとシェリーはまた此処に来るよ」

「!」

「ボクは君達のように若くない。だからあまり思い切ったことが出来ないんだ。
どうすればいいのか、本当はボクもよく解らないんだよ」

プラターヌは悲しそうに笑った。
それは私も同じです、と返せば、益々困ったように肩を竦めた。

「いや、ボクは君が羨ましいよ。あまりにも無謀で、あまりにも勇敢な君がね」

彼の目には諦念が宿っていた。

これで話は終わりだとプラターヌは付け足すように言い、厨房に無断侵入したことを侘びてその場を立ち去ろうとした。
しかし何か気になるものがあったのか、じっと鍋の中を見つめていた。

「……どうかしましたか」

「美味しそうだよね」

「ええ、不味い料理を出したことは一度もありません」

「そうじゃなくて、こう、料理するところを見ていると楽しいよね」

君も料理をしていて楽しいだろう?と彼は再びいつもの人畜無害そうな笑みに戻りそう尋ねた。
しかしその問いにズミは硬直していた。その目は鋭く光っていた。
何か新しいメニューを思い付く時、深く思考を巡らせる時に、彼はよくこんな目をしていた。
プラターヌはそれを知っていた為、それじゃあ失礼するよとそっと言い残して去って行った。

「……」

もう、後には引けなかった。
あの博士が、少女のことを庇護する対象として大切に扱っている彼が、最後にぽつりと弱音を吐いた理由を、ズミは理解しなければならなかった。
無謀だとか勇敢だとか、自分への評価はさておき、ボクには無理だと彼が白旗を上げたのだ。
自分のレールに人を下ろすことを得意としていた筈の飄々とした彼が、どうすればいいか解らないと呟いた。
そして自分の行いを、最終的に彼は許してくれた。

つまりズミは託されたのだ。彼の大切な教え子を、今にも死にそうなあの少女を。
どうして拒むことが出来ただろう。彼はもう迷わなかった。


2013.11.19

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