「この痴れ者が!!」
ズミは怒鳴りつけていた。彼の心は自らの信条を侮辱されたことへの怒りに燃えていた。
普段はカロスでも有名な高級レストランで働いている彼が、挑戦者の知らせを受けてポケモンリーグにやって来たのはつい数分前のことだ。
四天王やチャンピオンと別の仕事をかけ持ちする人間は珍しくない。ズミもその一人だった。
それ故に忙しくもあったが、だからこそ彼はその全てに懸命に打ち込んだし、その全てに誇りを持っていた。
現れた挑戦者は、若干15才程の何処か幼さの残る華奢な少女だった。
サーナイトに手を引かれるようにしてやって来た何とも頼りない子供だ。
果たして何人目まで辿り着けるのだろうか。一人目である自分がこの少女を叩きのめす役割を与えられてしまったことに内心気が滅入っていた。
もっとも、こうした危なげなトレーナーはリーグでは珍しくない。
ジムバッジを難なく手に入れてチャンピオンロードを軽々と越え、やってきたこの場所で大海を知る人間は数え切れない。
もっとジムやチャンピオンロードのレベルを上げるべきだとズミは思っていたが、自分の無力さを知る時点が少しだけ早くなるだけのことだと思い直した。
しかし、仮にそうしてくれたならば随分と自分の負担が減る。生半可な実力のトレーナーの相手をしている暇は彼にはなかった。
一人目で脱落する人が半数以上、四天王全員を勝ち抜くのはその中の一割未満。チャンピオンの座はここ数年塗り替えられていない。
この子供は前者だろうと思っていたズミは、もうすっかり癖になってしまったその質問を投げた。
「ポケモン勝負は芸術たりえるでしょうか」との問いに少女は沈黙した。そして黙って首を振ったのだ。
ポケモンに手を引かれるようにしてやって来た、こんな年端もいかない子供に、自分の信条を否定された。
ズミが怒りに怒鳴るのは当然と言えるだろう。
「胃袋にモノを収めること、ただそれだけが目的ならば何故料理人がいるのだ!?
食べればなくなるものをより美味しくするため苦労する。それが料理人の心意気、トレーナーも同じであろうが!」
解せない。これだから子供は。ズミの苛立ちは最高潮に達していた。
というのも、少女は彼の怒鳴り声に驚くことも謝ることも逃げ出すこともせず、ただこちらをじっと見つめて微動だにしなかったからだ。
「おい、聞いているのか!」
しかしここでズミは気付いた。少女は自分を見つめているのではない。睨み付けているのだ。
たった今優勢に立っていたと思われていた彼の盤がひっくり返る。
その眼光に内心たじろいだが、四天王としてそれを表に出すわけにはいかなかった。
「違います」
少女の第一声は透けるような落ち着いたメゾソプラノで、しかし鋭く紡がれた。
「ポケモン勝負は芸術なんかじゃない」
その否定に更なる罵声を浴びせることも出来た。しかしどうしても出来なかった。
ぎこちなく紡がれたその言葉を噛み締めていると、少女は後ろにいたサーナイトの肩にそっと触れた。
ふわりとフィールドに降りたサーナイトに続いて階段を降りた彼女は、水の上をゆっくりと歩いた。
黒いパンプスを履いた足が一歩踏み出されるごとに柔らかな波紋が広がる。ぱしゃぱしゃと小さな音が響く。
振り返った彼女はズミを真っ直ぐに見上げた。
「貴方の考えを私に押し付けたいなら、私を倒してみて下さい」
その目は深いグレーの色をもってして、彼の言葉を拒絶した。
*
そして今、ズミは最後のポケモンをボールに仕舞った。負けたのは随分と久しぶりだった。
それなら強い者との邂逅を喜ぶだけに終わるのだが、その彼女が自分のポリシーを全否定した人間であるだけに素直に喜べない。
おまけに接戦ならともかく、彼女はサーナイト一匹で勝ち抜いたのだ。彼の自尊心は酷く傷付けられていた。
「……強いですね」
「……」
「貴方はそうやって、自分と違う考えの者を悉く力でねじ伏せて来たのか」
吐き出してからしまったと思った。いくら激昂しているからといっても、許される発言と許されない発言があるのだ。
今の言葉は明らかにそんな良識を欠いた発言だった。
そのことに気付き、かつ頭の冷めたズミは、謝罪をしようと口を開こうとして、
「はい」
しかしそれは彼女の冷たい一言に遮られた。
その深いグレーの瞳は、周りの水を吸い込んで僅かに青く色付いていた。
その目が真っ直ぐにこちらを見て、その残酷な言葉を肯定した。ズミは次に続けるべき言葉を失った。
サーナイトをボールに戻した少女は、踵を返して水のフィールドを再び歩き始める。
気が付けばズミの足は動いていた。彼は慌てて階段を駆け下り、靴が水に濡れるもの構わず走った。
「待って、」
その掴んだ腕があまりにも細く、ズミは驚きに目を見開いた。
腕だけではない。ワンピースから覗く足も、ひどく浮き出た鎖骨も、青白い顔色も、その全てが彼女を異質たらしめていた。
どうして気が付かなかったのだろう。初めての会話の時も、バトルの時も、どうして。
ズミは愕然としたが、少女はその針金細工のような腕に似合わない強さで彼の手を振りほどいた。
「……大丈夫ですか」
ようやく紡がれたのはそんな間抜けな言葉だった。
少女は悲しげに微笑んだ。
「はい」
しかしこれは二人の始まりに過ぎない。
2013.11.11