三十の詩

6:The flame that commands the ”D”uet

「ところで、あの切り株の上にいるのは『D』ではありませんか?」

 いつ気付くのかと高みの見物を決め込んでいたが、ウォロの指摘なしでは翌朝も気付かずそのままこの地を後にしてしまいそうだったので、思わず話題に出してしまった。彼女は慌てて切り株へと駆け寄り、Dのアンノーンと目を合わせたかと思うとお腹を抱えて笑い始めた。ずっと気付かなかった自身への情けなさか、あるいはお粗末な隠れ方をしているアンノーンの有様を相当愉快に感じたのか。もしかしたらその両方であるのかもしれない。
 切り株と同化するように張り付いていたMのアンノーンと比べると、この個体は些か隠れるのが下手なように思える。彼女も同じことを考えたようで「君のお友達はもっと上手だったよ」と笑いながらボールを投げていた。食事を終えるまで気付かなかったアナタが言えたことではないでしょうに、と意地の悪いことを言ってもよかったのだが、Dをボールに収めた彼女の横顔が、暗がりでもはっきりと分かる程に嬉しそうだったので、ウォロは自身の用意した憎まれ口を、水筒に少し残っていた水と共に喉奥へと流し込んでなかったことにしたのだった。

「そういえばアナタ、こちらへ落ちてきた時には随分とキテレツな格好をしていましたが」

 おにぎりの蓄えはあったものの流石に寝袋の用意まではなかったらしく、食事を終えた彼女は土の上に手ぬぐいを敷いてそのまま横になろうとしていたので、ウォロは慌てて彼女の首根っこを引っ掴み、テントの下へと放り込んだ。自分の寝袋を譲ってやる程の親切心を発揮するつもりは更々ないが、寒空に震える子供を見て笑う趣味も持ち合わせていないのだ。

「な、何ですか! 失礼なことを考えましたね!? 別に私のセンスが悪い訳じゃないですよ。Tシャツに短パンの格好なんて、子供ならみんな当たり前にしています」
「へえ、あんな軽装で子供たちが……アナタの世界は随分と平和ボケしているんですねえ」
「平和ボケ……そうかもしれませんね。少なくとも私の住んでいるところでは、普通に暮らしていれば命の危機に晒されるようなことはまず、起きません。だからこっちに来たばかりの頃、テルくんやシマボシさんに死を仄めかす言葉を次々に掛けられて、びっくりしちゃったんですよね」

 イチョウ商会で支給されている替えの服を鞄から引っ張り出し、ぽいと彼女の方へ投げる。ウォロにとってはただ分厚いだけの、鞄の底へ長らく押し遣られていたしわくちゃの衣服に過ぎないが、彼女がそれを肩から引っかけるようにして被るとそれなりの布団として機能しそうだった。
 商会服に体を埋めるようにして着込み、ありがとうございますと煩く繰り返す彼女の額を手で強めに弾いてテントの中へと転がし入れる。あははと間の抜けた顔で笑いながら、煩い彼女はようやく大人しく横になった。

「ボールを投げることに恐怖はなかったし、ポケモンのこともそこまで怖くはなかったけれど、この広い台地を一人きりで調査するのはちょっと心細かったかな」
「コトブキムラの人々は、余程の用がなければ門の外へ出て行ったりなどしないでしょうからね」
「そうですよ、何度もムラの外で遭遇したのはウォロさんくらいのものでした」

 ウォロも焚火を消して寝袋へと体を沈めていく。一気に暗くなった紅蓮の湿地を、天高く昇る満月が柔らかく照らしていた。暗がりに慣れてくると、全く欠けていない月というのはいっそ眩しくさえある。横になったばかりだというのに目蓋が既に重い。数分も経たぬうちに眠れてしまいそうだった。

「いつも、計ったようなタイミングで来てくれましたよね。私をずっと見ていてくれたんですか?」
「ええその通り、見ていました。大事な駒が途中で野垂れ死に、なんてことになったら計画が台無しですからね」

 優しく取り繕う余裕も、忌々しさをわざと多めに盛るだけの気概も、この眠気の中では上手く発揮できず、ウォロは本当にありのままを呟いてしまった。彼女の心はウォロの憎まれ口程度で傷付きはしないのだと、そうした確信があったからこその呟きだった。もう少し意識がはっきりしていれば、まるでこの少女に心を許しているかのようだと、自らの迂闊さに憤りさえ覚えたかもしれない。けれど今、ウォロは眠かった。途轍もなく眠かった。それが全てだったので、もうどうしようもなかったのだった。

「あはは、そうでしたね! 貴方が利用してくれたおかげで私、此処まで無事に生きて来られたんです」

 プレート集めや異変の調査はともかく、この広大で険しいヒスイで生き抜いてこられたのは彼女自身の才覚と努力の賜物だろう。そう、アナタはもうちゃんと此処で生きていかれるはずだ。誰の力を借りずとも、ワタクシなどいなくても、たった一人で強く、強く。
 それでもアナタはポケモンと共に夢を叶えることを選び、ワタクシと共にヒスイを再度歩き回ることを選んでいる。そのせいで今日、ワタクシはこんなにも疲れている。そう、アナタのせいだ。だからせめてゆっくり眠らせてほしい。

「こんなに笑った日は本当に久しぶり。今日はぐっすり眠れそうです」
「そうですか、間違っても隣でイビキなんてかいたりしないでくださいね。折角の満月なんです。静かに眺めて、それからゆっくり寝させてください」
「ふふっ、そうですね。それじゃあウォロさん、おやすみなさい」

 彼女の間の抜けた寝息を聞き届けてから眠ってやろうと思ったのだが、それは叶わなかった。ウォロは会話を終えてから数分どころか、ものの数十秒でくたりと目蓋を下ろしてしまったのだった。探索にも野宿にも慣れているはずだったのだが、今日は特に疲れていた。ウォロにとっても久しぶりだったのだ。こんなに笑った日、というのは。

2022.2.16
【二重奏を指揮する炎】

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