三十の詩

5:Lost ”K”ey-note

 メモを解読した結果、表れ出た「きり、いせき、いし、つまれた」の指示により、二人は紅蓮の湿地へと再び移動することになった。

「おや」

 ケイコウオに似た形をした、お目当てのアンノーンをその場所で先に見つけたのはウォロの方だった。さてこちらが勝手にこいつを捕まえてしまえば彼女は立腹するだろうか、などと考え、魔が差し掛ける。しかしこんな些事で機嫌を損ねる彼女を見たところで溜飲が下がる訳でもないだろうなと思い直し、ウォロは小さく溜め息を落とした後に、努めて面倒くさそうな声音を作って彼女を呼んだ。
 パタパタと駆け寄って来た彼女は嬉しそうに「いた!」と叫び、また新しい文字の捕獲をつつがなく終える。これで彼女が捕まえたアンノーンは五種類になった。

「キリのいい捕獲数ですし、もう日が暮れますので今日はこの辺にしておきましょう」

 彼女はその提案に同意し、手元のポケモン図鑑とアンノーンメモを素早く鞄に仕舞ってから次の指示を乞うようにこちらを見た。おや、好きにすればいいのにと少しおかしな心地で思いながら、ウォロは咳払いを挟みつつ口を開く。

「ワタクシは近場でテントを張るつもりですが、アナタはどうします? 一度コトブキムラへ帰りますか?」
「えっ、いや流石に私からお願いしておきながら、同行してくれているウォロさんを置いて自分だけ布団でぐっすり眠る訳には」
「では言い方を変えましょう。ワタクシも夜くらいは静かに過ごしていたいのですが、アナタはそんなワタクシの気持ちを汲み取りもせず、一日中ワタクシと寝食を共にしてうんざりさせてくるつもりですか?」

 にやっと笑いつつ嫌味たっぷりにそう言い放ったのだが、何故か彼女は至極嬉しそうにぱっと頬を緩ませた。この意思表示は悪手だったか、とウォロが気付くのと、彼女がウォロの手を取り歩き出すのとが同時だった。

「よし野宿しましょうそうしましょう。俄然、貴方を困らせたくなりました!」
「はぁ? ちょっと待ちなさい、アナタのその耳は飾りですか!?」
「ほらほら、行きましょうウォロさん! 確か少し南に行ったところに、焚火の後が残る開けた場所があったはずです!」

 ぐいぐいと手を引くその力は少女らしからぬ強さだ。そう、並みの子供や女性よりは遥かに強い力だったが、大の男であるウォロをもってすれば容易に振りほどける。夜までアナタの子守をするなんて御免だと、もっと冷たく言い放てば彼女はきっと折れただろう。次からは機嫌を損ねないように、迷惑だと思われないようにしよう、などと、あの宿舎の中で一人、反省会紛いのことまでやってのけるに違いないのだ。

「言っておきますが、アナタの分の食事も寝袋もありませんよ。今後も野宿したいのなら、明日くらいにコトブキムラである程度調達してくることですね」
「はい! 分かりました!」

 そこまで考えたウォロが為したのは、彼女の手を振り払うことではなく、逆に彼女の手を強く握り返してぐいと前に出て、進路の決定権を奪い取ることだった。火吹き島では汗でべたついており不快だった手の平の触れる感覚も、日が暮れかけた涼しいこの場所ではいっそ心地が良い。故にウォロも彼女も手を離さなかった。川を超えるために笛でイダイトウを呼ばなければならなくなるタイミングまで、二人は互いにやかましく喚き合いながらずっとそうしていたのだった。

「ふふ」
「何がおかしいんです」
「わくわくしませんか? 貴方と私で文字を全部集めたとき、何が起きるのか」

 川を渡り、焚火の跡がある場所へと辿り着いた。ウォロは慣れた手付きでテントを広げ終え、彼女はポケモンの力を借りてあっという間に火を起こす。遊び気分でいるのか、鼻歌まで歌い出しそうなその間の抜けた横顔から飛び出してきたのは、案の定、緊張感のない楽しげな言葉で、ウォロは呆れ返りつつも返事をする。

「何かって……集めただけでは何も起きないでしょう? せいぜい、シマボシさんやラベン博士がアナタを称賛する程度のものですよ」
「あはは、それはそうですね。沢山褒めてもらえそうです。でも、それ以上のことが起こりそうな気がしているんですよね」

 楽しそうに「気がする」と語る彼女の予知能力、勘の良さがどれ程のものであるのかウォロは知らない。だがこれまで数々の稀有な事象に遭遇し、珍しいポケモンたちと相まみえてきた彼女がそのように語るなら、少なくとも「何か」は起こって然るべきだろうな、と考えてしまった。
 一体、何が起こるというのだろうか。一文字では音にさえならない記号が多くを占めるこのアンノーンたちは、彼女の手引きにより全種揃うことで何を表現し、何を伝えようとしてくるのだろう。

「文字は言葉になって、言葉は意味を作る。意味を見ることは私達の力になって、その力はきっと何年先にもずっと残り続ける」
「まあ、それはそうでしょうね。ワタクシが古代の文明を読み取れたのも、文字あってのことには違いありません」
「その意味を守り続けたポケモンたちに会えるんですよ。本当に楽しみ! 二十六種類いればきっと、どんな言葉だって作れますよね」

 作れる、という発言を受けて、ウォロは携帯食料の包みを開く手を止めた。アナタの分の食料は用意していないと言いながらも、流石に彼女が何も持っていなければ少し分けてやるつもりではあったのだが、彼女の方でも一晩くらいの蓄えはあったらしい。水筒とおにぎり二つを取り出して、控え目な大きさの炎の前、大きく口を開けて頬張り始めた。ウォロも焚火を挟んで向かい側へと腰掛けて簡単に食事を済ませる。火のパチパチという音が聞こえるばかりであったいつもの野宿の時間に、ウォロ以外の人の気配があるというのはどうにも新鮮で、面白く、落ち着かない。
 いやそれよりも、彼女は「どんな言葉だって作れる」と言った。それはどういうことだろう? アンノーンたちが自らの形により何かを伝えて来るのではなく、この子供が何かを作ろうとしている? 彼女は自らの考える何かしらの「意味」のために、二十六種類を集めようと躍起になっているのか?

「何か、作りたい言葉があるのですか?」

 二つ目のおにぎりには梅を入れていたらしく、彼女は所謂「酸っぱい顔」になってこちらを見た。橙の炎に照らされたその顔は昼間よりやや大人びているような気がしたが、表情は相変わらず幼く頼りない子供のそれで、ウォロは笑いたくなってしまう。梅のおにぎりをしっかりと味わい、喉の奥へと滑り落としてから、口の横に米一粒を付けた間の抜けた顔でへらっと笑いつつ、緊張感のある返答を為した。

「内緒です」
「おや、いけ好かない返答ですね」

 黙秘、という分かりやすい意地の悪さを為した彼女にそう指摘すれば、彼女の笑顔がさっと曇った。焚火の炎によって、下がった眉の影がより濃く彼女の額に落ちる。

「言えませんよ。言ったら……貴方には馬鹿にされてしまいそうだから」

 叱られることを恐れる幼子のような表情に呆れたくなる。このウォロに石段の最上から突き落とされるのではという心配さえ、へらっと笑って流していたというのに、こんなことを恐れてしまうなんてそれこそ馬鹿げていやしないか。
 と、ウォロが口にせずとも顔に書いてしまっていたらしく、彼女はクスクスと笑いながら「おかしいですか?」と尋ねてきた。

「アナタが『おかしい』のは今に始まったことではありませんからね、ワタクシはちっとも気にしていませんよ。アナタが話したくないなら好きにすればいい」
「そっか、よかった! じゃあ内緒のままにさせてくださいね。私にとっては貴方に利用されることよりも傷付けられることよりも、私の言葉を馬鹿にされることの方が辛いから」

 何だそれは、と思いながらも、橙に照る彼女の顔にまた笑みが戻って来たことに安堵しつつ、にいと笑みを作ってからウォロは自らの口の横を指で示す。米粒が付いているという指摘を受けて、彼女は橙の炎に負けないくらいにぽっと顔を赤くした。それを揶揄うことでウォロは一先ず満足し、彼女が「話してくれなかった」ことに関する僅かな、ほんの僅かな寂しさをなかったことにしてしまおうと努めたのだった。

2022.2.16
【迷子の主音】

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