三十の詩

4:While melting the ”B”arcarolle in heat

「今日はこの子で最後にしましょう」

 そう言って彼女が指差したのは「B」のアルファベットだった。アンノーンで表された古代文字から、アンノーンを象徴する瞳の部分を取り払ったものを(ややこしい表現ではあるが、ウォロにはアルファベットが「そう」としか見えないのだ)彼女は手元のメモ帳にスラスラと書き付けて、何てことはないように読み上げる。

「しま、かざん、みあげる」
「火山。間違いなく火吹き島のことでしょうね。群青の海岸までかなりの距離がありますが、笛を吹いてウォーグルたちを呼び出せるアナタならすぐに目的地まで行けるでしょう」

 早速向かいますか、と宣言すると、彼女も同意して鞄から笛を取り出した。もう何百回と奏でてきたであろう短い旋律、それに応える形ですぐさまウォーグルが空から下りてくる。「今日はこの人も一緒にいい?」と尋ねれば、空の支配者は「何なりと」とでも言うように、たかが子供に恭しく首を垂れた。言葉を選ばず表現してしまうなら……そう、非常に、面白くない光景である。
 ウォロと彼女を乗せてウォーグルは上昇し、海の方へと進路を定めた。翼に負担が掛かりすぎないよう、主に滑空で宙を移動しているはずなので、途中何度か陸地で翼を畳む必要があるだろう。体格の良いウォロが同席していることによりその頻度はかなり上がりそうだと予想していたのだが、彼の想定以上にウォーグルのスタミナは豊富で、ほとんど休憩を挟むことなく海までの距離を飛んでいくこととなった。

「ちなみに、何故『B』を選んだのですか?」

 上空に吹き荒ぶ風の音に掻き消されないよう、大声で尋ねる。彼女が振り返れば、長い髪がぺしと強めにウォロの頬を叩いてきた。ごめんなさいごめんなさいと慌てて繰り返した後に、彼女は照れたように笑いながら「B」の理由をこのように告げる。

「鳥ポケモンみたいで可愛いから、かな?」
「ハッ! 単純な子供の考えそうなことですね! どうせ『K』もお好きなんでしょう、ケイコウオに似ていますからね」
「えっすごい! ウォロさん、エスパーが使えるんですか!?」

 そんな馬鹿馬鹿しい会話と、そんな馬鹿馬鹿しい会話を無邪気に楽しんでいるらしくない自身を、潮の匂いの混ざった強風が勢いよく押し流してくれた。今なら何もかもなかったことにできそうな気がしてウォロは腹を抱えて笑った。ウォロがここまで豪快に笑う理由について、見当などついぞ付いていないはずの彼女は、それでも彼の笑顔を喜ぶように、その音に合わせるようにして同じく豪快に声を上げて笑った。ウォーグルまでもが同調するように大きく一鳴きした。あまりにも滑稽であまりにも愉快だ。彼女と二人、酒に心地よく酔えたならおそらくはこんな気持ちになれるのかもしれなかった。

 *

「ほら、おいで!」

 高い場所にいる「B」のアンノーンを捕まえるため、彼女はいつものモンスターボールではなく水色のフェザーボールを取り出した。鳥ポケモンみたいで可愛いから、とした理由とボールの種類が奇しくも合致したことに、顔を見合わせて笑ってしまう。投げたボールから現れたBのアンノーンを、彼女は「やっぱり可愛い」と笑いながら歓迎するように両手で撫でた。
 ウォロは神話に繋がる古代文字を。彼女は元の世界との関連が深いアルファベットを。そこに見ている意味は違えど、自身が心血注いで探求してきたのと同じものに目を輝かせ、楽しそうにしている彼女の様子を見るのは割と気分の良いものだった。

「さて、次は『K』ですか?」
「えっ?」
「Kも好きだと言っていたじゃないですか。アナタはそのBが好きで、早く出会いたいからすぐに此処へ来た。ならばKも同じようにすぐ追いたいはず。違いますか?」
「で、でももう夕方で」
「好奇心には忠実であるべきです、さあ行きましょう! すぐ行きましょう!」

 ウォロは彼女の手を取った。火山の猛烈な暑さと熱さにより二人の手は双方汗ばんでおり、握り心地は決して良いとは言えなかったが知ったことではなかった。きっと次の「K」にも彼女は目を輝かせながらボールを投げるのだろう。ウォロがただ一人愛し続けた神話の一部を、もっと幼稚で単純な理由ながら彼女もまた同じように愛してくれるのだろう。気分が良い。もっと見ていたい。アナタはワタクシに見せるべきだ。その姿を、もっと。

「ほら、調査メモには何て書いてあるんです! モタモタしているとワタクシが先に」

 解読しますよ、と続けようとして、振り返ったウォロは言葉に詰まった。手を握られた彼女が何というか、得も言われぬ顔をしていたからだ。元の世界を懐かしむ時の表情とも、あの神殿で泣きながら笑っていたあの表情とも違う。はてどうしたことだろう。そんな奇怪な表情を作って、アナタはこのワタクシに何を汲み取らせようとしているのか。
 惜しむらくは、ウォロにそこまで人の心の機微を汲み取る技量がないことだった。隠れ里のコギトの手に掛かれば造作もないことだったのかもしれないが、彼はあの人ほど他者の心を大事にした経験が豊かではない。

「なんです、そんなむず痒そうな顔をして」

 故に、このような不躾な指摘になってしまったのは当然のことだったのだろう。けれども彼女はそんな指摘にむしろ救われたようで、ほっとしたように頬を緩めてみせた。

「そ、そそそうなんですよ。今、とても痒くて」
「痒い?」

 彼女はくたりと眉を下げ、泣きそうに笑いながら、フェザーボールを豪快に投げた器用な手で自らの胸元をわし掴みにした。くしゃ、と紙を潰すようなその手の形は彼女らしからぬ不器用さを呈している。ウォロの息がほんの一瞬、止まる。

「此処が」

2022.2.15
【舟歌を熱に溶かしながら】

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