三十の詩

3:O”V”erture for connecting the world

 背中に背負っていた大きなリュックを一度下ろし、中から紙と筆を取り出してウォロは二つの古代文字、AとMを記した。

「単独での読み方はそれぞれ特殊ですが、組み合わせると我々にも意味の分かる音になるんですよ」
「この二つは……それぞれどう読むんですか?」
「アナタが最初に見つけたアンノーンは『エー』と、先程見つけたアンノーンは『エム』と発音します。ですがMとAを並べた時にはこれを『ま』と読むルールがあるんです」
「へえ、アルファベットとローマ字みたい」

 アンノーンの調査メモ、その「エー」と「エム」を指でなぞりながら彼女は聞き慣れない単語を口にした。アルファベット、とウォロが復唱すれば、彼女は顔を上げ、懐かしそうに目を細めて笑ってみせる。これまでの彼女が見せなかった新しい表情に多少困惑しつつも、未知の単語が意味するところに辿り着きたくて、ウォロも目をすっと細めることで続きを促した。

「元いた世界にはそういう文字があるんです。私はそこまで得意じゃないんですけど……あっ!」

 大声と共に、彼女は調査メモを両手で握ったまま勢いよく立ち上がる。何だ何だと怪訝な表情をするウォロの眼前へと、そのメモを突き付けて彼女は叫ぶように続けた。

「これ、実はアルファベットなんじゃないですか? 私の知っているアルファベットも二十六種類なんです!」

 二十六種。ウォロが調べた古代文字の数と同じだ。「そっか、アルファベットだったんだ」と嬉しそうに笑う彼女は、鞄からメモ帳を取り出し、筆でサラサラと何かを書き始めた。どれも知らない文字だが、古代文字からアンノーンを象徴するあの大きな瞳だけを綺麗に取り払った形に、似ていなくもないような気がした。
 あっという間に白い紙は二十六種の文字らしき記号で埋め尽くされる。つい数時間前までアンノーンを文字とさえ認識していなかった彼女は、アルファベットという新言語と古代文字との関連を見出すことにより、ウォロの独壇場であるはずだった文字の分析をあっという間に終えてしまった。

「初めに見つけた子がAで、さっき捕まえたのがMですね。あはは、こうして書いてみるともう、文字にしか見えないや!」

 唖然とするウォロの前に調査メモを差し出して、彼女は「次は此処に行きましょう」と告げて笑った。

「任せて、ウォロさん。古代文字のことはさっぱり分かりませんが、アルファベットなら楽勝です! 貴方の足を引っ張ったりしませんよ!」

 *

 楽勝、との言葉通り、彼女は「V」のアンノーンの居所を、メモの暗号を解読することによりたった数分で見事に突き止めてみせた。彼女のいた元の世界では余程有名な文字だったのか、その解読速度はウォロが古代文字を解析するよりずっと早く、先程まで彼女の鈍さに呆れていた自分が恥ずかしくなる程であった。
 メモに記された情報「あかい、ぬま、ひろい、かれき」の通り、深紅沼の奥、枯れ木の枝に擬態するようにそのアンノーンはいた。隠れ鬼に勝利したことを喜びつつ、モンスターボールを投げて彼女は三匹目を仲間に迎え入れる。

「順調ですね。ウォロさんの助言のおかげで、いいペースで調査が進みそうです」
「それは嫌味ですか? 暗号の解読速度もアナタの方がずっと早かったではありませんか」
「で、でも! ウォロさんに古代文字の読み方を教えてもらわなければこうはいきませんでしたよ。私、あのメモが古代文字であることにさえ気付けなかったんですから」

 本心からの言葉であるのだろうが、今のウォロには神経を逆撫でしてくるタイプの、嫌味を含んだフォローにしか聞こえなかった。再会してからというもの、へらっと間の抜けた顔で笑うことの多かった彼女に対して、忘れかけていたあの日と同レベルの嫉妬心と忌々しさが今一度、大きく膨れ上がるのをウォロは感じていた。
 彼女の言う「アルファベット」と古代文字が酷似しているのは偶然か? アルファベットを知る彼女だからこそこの世界に呼ばれたのか? ワタクシが何年も掛けて研究したもの、一人で追い求めてきたものを、またしてもアナタは取り上げていくのか?

「自分たちの隠れ場所を自分たちの姿でわざわざ書き残してくれるなんて、アンノーンたち、とっても親切ですね」
「親切ですって? 単にワタクシたち人間が弄ばれているだけのように見えますがね!」

 八つ当たりじみた返しを為すウォロを、しかし彼女は否定しなかった。笑いながら「そうかも!」と笑顔で同意までしてみせて、やはり懐かしそうに目を細めるのだ。

「もしかしたら、この世界のみんなが自分たちを普段の文字として使わなくなってしまったから、寂しがっているのかもしれませんね」

 声音だけは明るいままに紡いでいくその横顔を見ながら、彼女も「寂しい」のだろうか、とウォロは考える。元いた世界では普通に使われていたアルファベットに瞳が埋め込まれ、古代の文字として扱われている様を彼女は寂しがっている? ウォロのような神話に興味のある人間しか知る者がいなくなっているという、こちらの世界の現状を、彼女は寂しく思っている?
 知ったことではない、という心地と、大事に思うものが過去のものとして蔑ろにされることへの虚しさは分からなくもない、という心地とが、おおよそ半々の容量でウォロの胸を占めた。この、途方もないと思われたアンノーンとの隠れ鬼は、ウォロにとっては古代文字に焦がれるための時間となるが、彼女にとっては元の世界を懐かしむための、少々痛々しい時間になるのかもしれなかった。


2022.2.15
【世界を繋ぐための序曲】

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