三十の詩

20:Below freezing, pure white t”U"tti

 純白の凍土には滝が複数ある。エイチ湖を上に構える大きな滝もさることながら、北東にある心形岩山、そこから落ちる滝の勢いも圧巻だ。これらの滝は水の勢いが強いためか、Yのアンノーンがいたあの鬼氷滝のように凍り付いてはいなかった。
 派手に水音を立てて流れ落ちていく冷水に彼女は小さく悲鳴を上げる。それぞれ温泉で十分に温まったおかげで二人とも、凍土で丸一日過ごしているとは思えないくらいに顔色は良いのだが、それでもやはりこの土地の寒さが険しいことには変わりなく、必要以上の長居は避けたいとウォロは考えていた。
 しかし温泉のおかげで一時とはいえ寒さを忘れている彼女には、この激しい滝や積もっている柔らかい雪も、遊び道具にしか見えていないのだろう。今だって、滝の上から新しいアンノーンである「U」を捕まえて戻って来たかと思えば、真っ赤な手で足元の雪を掻き集めて丸い玉を作りつつ「雪だるま作りが捗りそうですね」と至極楽しそうに笑う始末だ。そしてウォロの方でも、彼女にこの寒い中で長居するリスクを説くことをもうすっかり諦めてしまっているため、はいはいと呆れたように笑いながら同意するしかない。

 雪だるまの胴体部分を作るため、周囲の柔らかい雪を掻き集めて玉を大きくしながら、たまに小さな雪玉を彼女の頭に投げつけてちょっかいを出した。最初の一発、二発は笑いながらやられるばかりだったものの、三発目を彼女はキリっとした表情で受け止め、瞬間、恐ろしい豪速でこちらに投げ返してきた。

「うおっ」
「私に雪合戦を挑むなんて良い度胸ですねウォロさん! 相撲では投げ飛ばされてばかりですが、玉を投げることに関しては私、誰にも負けませんよ!」

 相撲、とはデンボク団長の趣味である。あの男はこんな華奢な体躯の女の子まで豪快に投げ飛ばすのかと、温泉で見た細く薄い上半身を思い出しながらウォロは苦笑した。けれどもその華奢な腕には不釣り合いな威力の雪玉が、先程から次々に彼の顔面目掛けて飛んでくるため、先程まで笑いながら緩く玉を投げるばかりだったウォロは一転して、防戦するのがやっとの状況に追い込まれてしまう。

「ちょ、ちょっと! そこまで本気になる必要あります!?」
「貴方には一切の手加減と油断をしちゃいけないって、私はあの神殿でのバトルで学びましたから!」
「いや、アナタ結局あの時もしっかり勝ったでしょうが忌々しい!」

 叫ぶように抗議を続けるが、彼女の猛攻は止まない。これは数発まともに食らってやらねば終わりが見えてこなさそうだと思い、観念して顔の前に構えていた両腕をほどき、足元の雪を集めるために手を伸ばす。そのタイミングを彼女が逃すはずもなく、えいっという子供らしい掛け声と共に、まったくもって子供らしくない豪速球が飛んできた。その痛みと冷たさたるや、鼻を折られたのではと不安に感じてしまう程だった。鼻血が出ていないかと本気で心配にさえなった。手加減なしに飛んでくる雪玉とは、こんなにも痛いものなのか!
 続けて二発、顎と耳に冷たく硬い玉が勢いよく当たり、そこで彼女はようやく投げることをやめた。雪玉を作るため、あちこちが抉り取られた歪な雪の道を、彼女は己のビクトリーロードとしてサクサクと駆けて来る。大丈夫ですか、などと尋ねる邪悪な犯人をウォロはじろっと睨み付けた。仕掛けたのはウォロの方なので、正当防衛であると言われてしまえばそれまでだが、ここまでの攻撃を呆れたように笑って許してしまえる程、彼は人がよくない、とてもよくない。

「この顔が大丈夫に見えるのなら視力矯正のために眼鏡を買うか、医療班に頭を診てもらうかした方がいいでしょうね! アナタの鼻も折ってあげましょうか!」
「ええっ、いや別にウォロさんの鼻、赤くなっているだけで潰れたりはしていな……わわっ!」

 彼女の両手を掴んで雪上へと押し倒す。深い雪に沈み込んだ彼女の悲鳴は雪に吸い込まれてくぐもる。冷たい冷たいと叫びながら転がり回るせいで、余計に雪を浴びることになってしまい、その小さな体はあっという間に雪まみれと化す。花畑の時のように隣へ寝転ぶことはせず、ウォロはそんな彼女を見て一先ずの溜飲を下げることにした。けれどもそんな仕打ちを受けても尚、一頻り暴れた彼女は楽しそうにへらっと笑いながら、自らを押し倒した人間を、柔らかく細めた目で見上げてくるばかりなのだ。

「ね、起こしてくださいウォロさん」
「……アナタねえ」
「折角作ってくれた胴体、置き去りにしたままですよ。一緒に迎えに行きましょう。私が作った頭も相当大きくなっちゃったので、持ち上げるの、手伝ってくださいね」

 後半の誘いはともかく、前半の「起こしてください」に混ざった諦めの温度をウォロは聞き逃さなかった。助けを乞うようにこちらへと真っ赤な右手を伸ばしながら、左手はしっかりと雪の上に付けて、自らの力で今にも起き上がろうとしているのだ。ウォロにその手を拒まれる、あるいは振り払われることを完全に予想していなければ取れない姿勢だ。

「……」

 ウォロと彼女、「二人」の旅であることを喜びながら、楽しみながら、それでも彼女の心はいつだって「一人」になる準備をしている。「一人」にされてしまったとしても仕方ないことだと覚悟している。諦めている。そんな心中が彼女の左手にありありと透けて見える。
 そのことが何故か、何故だかとても不本意であったため、ウォロは彼女が引っ込めるより先にその真っ赤な手を強く握り、引き上げた。彼女は自らの懇願が叶ったことに驚いた表情を見せながらも、すぐに顔をふわりと緩めて嬉しそうに笑うのだった。

「ありがとう」

 感極まったような震える声、その揺らぎに危うくウォロの心臓も共鳴しそうになる。自身が彼女の手を取り引き上げたことを此処まで喜ぶ彼女の姿を、こちらでも喜んでしまいそうになってしまう。そうした迂闊さをなかったことにするため、彼は大きく咳払いをして「風邪なんて引かないでくださいよ」と意地の悪い言い方をした。その震えを寒さのせいだということにしておきたかったのだ。そういうことにしておかなければ、雪だるまの続きなどとてもではないがやっていられそうになかったのだ。

 とまあ、そういう訳で二人、何とか平静を取り戻して雪だるまの作成の続きに取り掛かったのだが、この付近には手頃な石も、気軽に手折れるような細い枝もなかったため、肝心の「顔」を作ることができなかった。ただ大小の雪玉を縦に積んだだけの、のっぺらぼうの雪だるまが完成してしまい、その不格好さに二人して苦笑することとなったのだった。
 けれどもその瞬間、ボールから勝手に出てきた先程のアンノーンが、雪だるまの顔部分にぴたりと張り付いて「ぼくが口になろう」とでも言いたげに一鳴きするものだから、ウォロはその愉快さに腹を抱えて笑ってしまった。彼女もウォロと同様に一頻り笑っていたのだが、その後でアンノーンの体を撫でつつ、彼女らしく協力の礼を告げることを忘れなかった。

「君のおかげでとっても素敵な雪だるまになったよ、ありがとう!」

 力強く楽しそうなその「ありがとう」はもう震えていない。そのことに安堵しつつ、ウォロもまたUのアンノーンに笑い掛けた。彼女のような優しい表情ではなく、勝ち誇った得意気な、意地の悪い表情で。アナタの厚意では彼女の心を揺らせないのだなという、馬鹿げた優越感を非言語的に示しつつ、にっと唇に弧を描いてみせるのだ。

2022.2.20
【氷点下、純白の総奏】

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