三十の詩

19:What a freaky melody "!"

 翌朝、やはりウォロより先に目を覚ましていた彼女だが、その長い髪はまだ結わえられていなかった。結い紐を失くしたのだろうかとぼんやりとした頭で考えていると、彼女はへらっと笑いながら突飛な提案を為してきた。

「近くに温泉があるんです。朝風呂、してみようと思って」
「ふ、風呂? 正気ですか、こんなに寒いのに?」

 とんでもない発言にウォロの目は一気に覚める。温泉の心地良さは勿論ウォロも十分に知るところではあるが、何もこの極寒の地で、野生ポケモンに襲われるかもしれないリスクを抱えながらすべきことでもないだろうに。湯冷めのせいで余計に体を冷やすおそれさえある。この子供、そこのところを分かっているのだろうか。

「寒い中で浸かる温泉は最高に気持ちいいはずですよ。ウォロさんもどうですか?」
「冗談じゃない、ワタクシは御免被りますよ。アナタだけで……」

 好きなだけ楽しんできなさい、という続きの言葉を、ウォロは寸でのところで押し留めた。フェアリーの泉で「遊んだ」際に、彼女が「一人だとこんな風に気を抜いて楽しむことができなかった」と嬉しそうに話していたことを思い出してしまったのだ。
 きっとその温泉だって、ウォロと共に向かい楽しむことを前提に彼女は考えている。そうでなければ気を抜くことなどできない、そんな過酷な場所であることくらい二人とも重々承知しているのだ。だからウォロを誘っている。一人ではできないことだからこうして声を掛けている。であるならば、多少の不本意に目を瞑ってでも付き合うべきだ。ウォロだってあの日、「貴方と浜辺で遊んだり、雪だるまを作ったりしてみたい」と口にした彼女に、半ば同意したくなる心地を確かに持っていたのだから。

「いや、そうですね、同行しましょう。一人で暢気に入浴する最中、野生ポケモンに攻撃されでもしたら、素っ裸で発見されるアナタの死体があまりにも哀れですからね」
「ちょっと、縁起でもないこと言わないでくださいよ!」
「温泉を墓場とするにしても、ワタクシが責任をもって埋葬してあげなくては……」
「貴方に裸のまま埋められるのだけは絶対に嫌です! そんなことにならないよう、ちゃんと見張っていてくださいね」

 笑いながら彼女は焚火の片付けを済ませ、鞄に寝袋を詰め込んだ。ウォロも荷物を手早くまとめて立ち上がり、氷の地下洞窟から脱出し、温泉のある北の地へと歩を進める。昨日の険しい吹雪が嘘のように空気は透き通っており、空には夏空を連想させる鮮やかな青さえ広がっていた。この快晴が続いてくれているうちに、彼女がさっさと入浴を済ませてくれるといいのだが。

「あ、向こう側に湯気みたいなもやが見えますね。きっとあれが温泉ですよ」

 温泉の涌き出る泉には既に数匹の先客……ウリムーやイノムーたちが寛いでいた。こちらに気付いても逃げ出したり攻撃してきたりする素振りを見せなかったため、彼女は「お邪魔しまーす」と断りを入れてから、鞄をぽいと無造作に雪の上へと落とした。

「ウォロさん、本当に入りませんか?」
「少なくとも、入るならアナタとはタイミングをずらしますよ。素っ裸二人で野生ポケモンに応戦するなんて、そんな間抜けな絵面は何としてでも避けたいのでね」
「あはは、それは確かに恥ずかしいですね。それじゃあ、お先に失礼します」

 はいどうぞ、と欠伸混じりに返事をして、ウォロは温泉に背を向ける形で腰を下ろした。胡坐をかく形で目を瞑り、耳を済ませてみるが、背後で気持ちよさそうに鳴くウリムーやイノムーの声と、彼女が温泉の中を移動していると思しき水音しか聞こえない。雪は音を吸い込みやすい性質があるため、周りの音はそもそも聞こえにくいのだが、此処まで静かならば一先ずは安心して良いだろうと少し気を抜くことができた。

 ややあってからボールの開く音が複数、ウォロの鼓膜に届く。どうやら彼女が自分のポケモンたちを湯に出したらしい。「気持ちいいでしょう?」と尋ねる声を受け、返事をするように鳴くダイケンキたちのその声も、楽しさにか心地良さにかは分からないが些か上擦っているように聞こえる。
 さて、ウォロのトゲキッスやガブリアスは温泉に喜んでくれる質だろうか、と考えていると、ザバッという派手な水音と共に彼女が「あ!!」と大声で叫んだ。音を吸い込む雪山にさえ木霊する程の大声量であったため、ウォロは思わず振り返ってしまう。

「どうしました!」
「木の上! アンノーンがいますよ! こんなところにも隠れていたんですね!」

 白い湯気だけを纏った、文字通り生まれたままの状態で、彼女はザブザブと豪快に湯を揺らしながらモンスターボールを取りに向かおうとしている。「捕獲は服を着てからにしろ!」と怒鳴りつければ、彼女はぴたりと足を止め、あろうことかそのまま体をこちらに向けて、自らの迂闊さを恥じるようにへらっと笑った。だが今の状況の方がずっと迂闊だ。何故隠さない。この子供、恥じらいというものを知らないのか?

「……」

 隠すものが白い湯気以外に何もない彼女の上半身は、衣服を纏っているときの華奢な印象に違わず、女性と表現するには些かお粗末なものだと言わざるを得なかった。丸い肩と細い首、腰の柔らかな曲線、申し訳程度の胸の膨らみ、それらで何とか「少年ではない」と分かる程度の体つきでしかない。そういうものに情欲を抱ける趣味をウォロは持ち合わせていなかったため、そういう意味で心が乱れることはなかったが、見るべきではないものを見てしまったという罪悪感は消し難く、大きな溜め息と共にさっと顔を背けるしかなかったのだ。

「わっ、ご、ごめんなさい!」

 自らの迂闊さにようやく気が付いたらしく、彼女は慌てて謝罪を繰り返した。ああもう分かりましたからさっさと温まってしまいなさい、と早口で告げつつ、ウォロは湯の揺れる音を背後に聞きながら目を閉じる。彼女の女性らしくない、情欲の一切をそそらない、ただ花や夕日のように純粋に綺麗であるだけの体を今一度思い出しそうになり、わざとらしく咳払いをすることでその情景を頭の中から追い出したのだった。

2022.2.20
【なんて気紛れな旋律だろう!】

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