17:Don't put a grudge on a lullab”Y"
地も山も、空さえも白く冷たい。おおよそ人の住むべきところではない場所のように感じるが、何故かシンジュ団はこの場所、純白の凍土に集落を置くことを選んでいる。凍土でしか得られない何かについてウォロはついぞ思い至れないが、この寒さと不便を差し引いても此処に留まるべき理由が彼等にはあるのだろう。ウォロが、孤独と屈辱とを承知の上で一人を選び続けたのと同じように。 「あっはは! 寒いですねウォロさん!」 天冠の山麓と同じく、険しい崖が数多くそびえるこの土地ではあるが、彼女はオオニューラではなくウォーグルでの移動を選んだ。上空で強い風を浴びるなど正気の沙汰ではないように思える。そして事実、上空は皮膚感覚がおかしくなってしまう程の冷気だった。吸い込んだ息で喉さえ凍り付きそうだった。そんな中でも寒い寒いと繰り返してへらへらと彼女は笑っていたので、ウォロもまた不快感を通り越して愉快にさえ思われて、寒空の下、声を上げて笑ってしまったのだった。 調査メモを頼りに、彼女は純白の凍土の西側にある滝へと向かった。この寒さで水は凍り付き、その上から雪が降り積もっているような有様で、かろうじて「滝があった」ことが分かるレベルのものでしかなかったが、お目当てのアンノーンは無事見つかった。けれども今回、彼女はその「Y」のアンノーンよりも、凍り付き雪に埋もれた小さな滝の方に目を奪われており、白い息を小さな口からとめどなく吐き出しながら「すごい」と呟くばかりだった。大きな目は瞬きを忘れたかのように見開かれたままで、ウォロは彼女の瞳がこの冷気で凍り付いてしまうのではないかと、そんな現実離れした心配をしそうになってしまった。 「滝が凍るなんてこと、実際に起こるんですね。動いている水を止めてしまうほどの寒さだなんて、こんなところにずっといたら本当に凍らされてしまいそう」 「此処まで寒い土地は、アナタの世界にはなかったのですか?」 「いいえ、もっと北の方で暮らしていればこういう光景も日常茶飯事なんだと思います。私が、真っ白な土地や凍り付いた滝を見慣れていない、ってだけの話で」 彼女は懐かしむように目を細めた。それに倣う形でウォロも黙しながら、彼女の元いた世界について思いを馳せようと目を伏せてみる。 「私が普段暮らしていたところは、あの半袖半ズボンで不自由なく外出できるくらいには温暖な気候で、川や滝が凍ることはおろか、積雪さえ滅多に起こらないような場所でした。去年も、三回くらいしか雪は降らなかったような気がします」 「以前から思っていましたが、アナタの世界って随分と過ごしやすそうですよね」 「ふふ、羨ましくなりましたか?」 「さあどうでしょう? 興味は多分にありますが、実際に暮らしてみたいかどうかと言われると……悩ましいところですね」 アルセウスフォンの原型となる、謎の電子機器が普及している世界。こちらの世界では古代文字として残るばかりのアンノーンを、アルファベットやローマ字と呼び変えてすらすらと解読してしまえる世界。あのような半袖半ズボンの軽装で気軽に外出することが叶う、随分と平和ボケした世界。ポケモンを恐れる人がほとんどおらず、けれどもポケモンを近しい存在として捉える人もほぼ皆無であったという、その不可思議な世界。 「いいところですよ。小さな不満は沢山あって、悩みも尽きなかったけれど、それでも毎日が忙しくて、楽しくて、充実していました」 嬉しそうに語る、その言葉に嘘はないのだろう。彼女は元いた世界での暮らしを本気で恋しく思っている。きっと今だって、戻れるものなら戻ってしまいたいと考えているはずだ。今でこそコトブキムラの住民たちにも快く受け入れられ、彼女自身もこの世界にほぼ順応して生きていかれているが、こちらの世界に落ちてきたばかりの頃は、慣れない暮らしに精神を摩耗させ、元いた世界を想いながら夜な夜な泣いていたとしても何ら不思議ではない。 さぞかし辛かったに違いない。どうして自分がこんな目に遭うのかと考えたくなったりしたに違いない。全てを恨みたくなる日もあったことだろう。その感覚、大きすぎる不条理に身を割かれる思いにはウォロにも心当たりがあった。ポケモンの調査に夢中になることで気を紛らわし、心が潰れないようどうにかやり過ごしてきた、その心地だって手に取るように分かる。理解ができてしまう。心苦しくさえ、思ってしまう。 自らがかつて苦しんだ不条理とよく似たものを、ウォロは結果的に彼女へと突き付ける形になった。彼女を「狙った」訳ではなかったが、ギラティナと共謀し時空の裂け目を開けたことが、彼女の時間と空間を大きく狂わせたことは間違いない。彼女の突き付けられた不条理は天災などではなく、ウォロやギラティナによる意図的なもの、れっきとした「悪意」によるものだ。 彼女の苦しみと、ウォロがかつて受けた仕打ち。その二つは形こそ異なるが本質的な部分ではきっと繋がっている。そうした仕打ちを行う人の性をウォロは誰よりも憎み嫌っていたはずなのに、彼は自らの好奇心を抑えきれなかったが故に、過去の自分が負ったものと同じ傷をこの子供に負わせてしまっていたのだ。なんと愚かなことだろう。 「ワタクシを憎んでいますか?」 「!」 「ワタクシがアナタを憎む、その心地よりもずっと強い憎悪であって然るべきです。それだけの仕打ちをアナタはワタクシから受けた。アナタだって分かっているでしょう」 罰があるべきだ。ウォロは自然な心地でそう思った。いっそかつてウォロがそうしたように大声で罵倒してくれればいいのにとさえ考えた。けれども彼女はへらっと笑いながら、白い息を吐いて自らの顔を隠しつつ、以前と同じ言葉を返すのみだった。 「前にも言いましたよね。私は怒っている訳でも憎んでいる訳でもない、困っているんです。ポケモンが大好きだから困っている。それだけなんですよ」 一切の叱責が為されない。そのことを悔しく思いつつウォロは大きく息を吸い込んだ。喉を切り裂くような鋭い冷気で自らの肺を満たし、それを己への罰と認識することで少しばかり楽になろうとしている、そんな自らの浅ましさに眩暈がした。 2022.2.19 【子守歌に恨みつらみを乗せないで】