三十の詩

9:Irreverent and rude ”W”altz

「次のメモ……ムラで一番高いところと言えば、やっぱりこの建物の屋上ですよね」
「アナタはともかく、ワタクシが見つかりでもしたらおしまいですよ。流石に此処はアナタだけで向かった方がいいのでは?」
「あれっ、自信がないんですか? 気配を消すのは得意だってこと、私ちゃんと知っていますからね。ほら行きましょう!」

 おそらくは出会ってすぐの頃、「秘技・背面取りの術」で彼女を驚かせたことを指しているのだろう。あるいは彼女自身に気付かれないまま、密かに彼女の動向を影から窺い続けていたことを言っているのかもしれない。いずれにせよ、彼女は「貴方なら大丈夫だろう」という自信のもと、ウォロを置いていくつもりはないようだった。
 どうなっても知りませんからね、と吐き捨てて、ウォロはギンガ団本部の分厚い扉に手を掛ける。足音を消すのは二人とも慣れたものであったため、三階まで物音を立てず駆け上がることについてはさほど苦労しなかった。
 鬼門となり得るであろう団長の部屋だが、どうやらデンボクは不在にしているらしい。さっき昼食を食べに出ていくのが見えましたから、と得意気に話す彼女は、そのまま屋上へと続く扉を勢いよく開け放った。

「ほら、いた!」

 コイキングの青銅像にぴたりと張り付いているアンノーンを見つけて、彼女は嬉しそうに声を上げる。手早くボールに収めてから、屋上の手すりに手を掛けて、昼下がりの賑やかなミオ通りを楽しそうに眺め始めた。

「高いところに来ると笛を吹きたくなりますね。コトブキムラまでは流石にウォーグルも来てくれないから、今取り出してもあまり意味はないんですけど」

 彼女が笑いながら「吹きたい」と語るのは、カミナギ……ウォーグルやアヤシシを呼ぶための旋律の方であり、アルセウスへの道を開くための「てんかい」の旋律ではない。彼女にとってその笛は未だに「カミナギの笛」でしかなく、それが「てんかいの笛」としての役割を果たしたことは一度もない。そう、彼女は飽きることなくカミナギの旋律を奏でるばかりで、その気になればすぐにでも奏でられるであろう、神を呼ぶための詩を、ちっとも奏でる気がないようなのだ。もう彼女は「すべてのポケモンにであえ」という使命をとっくに達成しているというのに。あとはあの神に、アルセウスに相まみえるだけだというのに。

「アンノーンとの隠れ鬼が終わっていなくとも、アナタ、使命は既に達成しているんでしょう? 何故、てんかいの詩を吹かないんです?」
「え? だって私の冒険、まだ終わっていないじゃないですか」
「いや、だから『すべてのポケモンにであえ』という使命なら既に」
「ウォロさん。私、アルセウスのためだけに調査をしている訳じゃないんですよ」

 頭を殴られたかのような衝撃がウォロを襲った。あまりにも不遜な物言いではなかろうか。不敬だ、不遜だ、身の程知らずにも程がある。だって、こんな。

「私にとっては、神様の使命よりも、博士やシマボシさんの役に立つことの方が重要です。彼等が『これでは足りない』と言っているんだから、私の冒険はまだ終わっていないってことなんですよ」
「それは! アルセウスへの報告を後回しにする理由にはならないだろう!」
「貴方にとっては、そうなのかもしれませんね。でも私にとってはシマボシさんや博士の方が大事だから」

 よくも、よくもまあそのようなことが言えたものだ。アナタがこれまでどれだけあの神の加護を受けてきたか知りもしないで!

「……」

 だが、本当に「そう」だろうか。彼女が生き延びて来られたのは、本当にアルセウスの加護あってのことだったのだろうか。神の加護なくしては、あの時空の裂け目から落とされて数日と経たずに野垂れ死んでいたような、そんな軟弱で無力な子供だっただろうか、この子は。

 もしかしたら、とウォロは考える。コトブキムラで人とポケモンが共存する姿をこの日たっぷり見てきたからこそ、ウォロの中には別の仮説が生まれてしまう。それは彼にとって神への謀反にもなりかねない、おぞましくおそろしい仮説ではあったのだが、一度生まれてしまった「もしかしたら」はもう止めようがなかった。
 実は彼女がこの世界で生きていくにおいて、アルセウスの加護などまったくもって必要ではなく、アルセウス自身も、アルセウスフォンによる導きと使命を与えることしかしていないのではないか? 彼女に本当の意味で力を貸したのは、彼女の言う、シマボシやラベン博士を始めとした、ギンガ団の団員たちやムラの人達、そして彼女が出会った数多のポケモン、そうした存在だったのではないか? 彼等と関わり、絆を結び、真に「一人ではなくなった」彼女だからこそ、此処まで生きて来られたのではないか? そんな彼女であったからこそ、ワタクシは敗れてしまったのではないか?

 ワタクシに必要であったのは、知識でも力でもなく、本当は。……本当は。

「ウォロさん?」

 認める訳にはいかない。そんな真理は死んでも御免被る。そうした頑ななウォロの心に彼女の声が優しく刺さってゆく。ウォロの、決して失うものかと決意していたあらゆるものがじくじくと痛んで、傷んで、膿み始めている。このまま溶かされてしまうのだろうか、と恐ろしい結末まで想定して、息が止まるような恐怖がウォロを襲った。
 嫌だ、落とされたくはない。そんな、真綿で首を絞められるような優しい地獄になど。

「アナタのせいでワタクシは今、一人ではない」
「!」
「ですがそれも今だけです。さっさと全ての文字を集め終えてしまいましょう。なるべく早くワタクシを開放してくださいね」

 流石に傷付いた表情をするのでは、と思ったが、予想に反して彼女は穏やかに笑うのみだった。「善処します」などと行儀のよい返事さえ為してきたので、ああどこまでも一筋縄ではいかない子供だなあと、その忌々しさにまたしても笑えてしまったのだった。

2022.2.16
【不遜で無作法な円舞曲】

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