ある少女の観察

※時間軸はモノクロステップの3年後。「片翼を殺いだ手」と「サイコロを振らない」の間にあったかもしれないお話。

初めての共同作業です。そんなことを言いながら、ウエディングケーキがカットされていく。結婚式会場のコマーシャルだ。
「重そうなドレスね」と、トウコ先輩が露ほどの興味も示していないような顔でそう呟く。
「ボクのお勧めはここかな」と、何処から仕入れて来たのか結婚式場のカタログを差し出すNさんはご機嫌だ。

いつものようにホウエン地方のミナモシティへとお見舞いに向かった帰り、私は彼等の住むカノコタウンを訪れていた。
ホウエンより幾分か涼しいといっても、やはり夏は暑く、トウコ先輩は直ぐに冷たい水に氷を落として差し出してくれた。
私はそれを口に付けながら、彼等の行動を黙って観察している。

机に詰まれた何冊もの結婚式場のカタログ。どうやらイッシュ地方だけでなく、全国のカタログを取りそろえたらしい。
Nさんはそれを1冊ずつ吟味し、気に入った会場のページを少しだけ折る。1冊を読み終えるとそれをトウコ先輩に渡す。
彼女はその折られたページだけをパラパラと一瞥し、直ぐに机の上に戻す。そんな作業が繰り返されていた。

「あの、トウコ先輩」

「何?」

「結婚するんですか?」

この状況を見れば誰もが問うであろうその質問を、私は恐る恐る投げてみる。
ぱっと花の咲くような笑顔でNさんは振り向き、トウコ先輩はソファーに沈めていた身体を気だるそうに起こした。
彼女は今、17歳。年齢的にも結婚できない訳ではない。そしてNさんとトウコ先輩は同じ屋根の下で暮らしている。結婚したとして、何の不自然もない。

「僕はするつもりだし、したいと思っているよ。けれどトウコが渋っているんだ」

「だって面倒じゃない。式場の手配から招待から、お客に持たせるお土産まで、全部こっちがしなきゃいけないのよ?
おまけにドレスは重そうだし、飽きる程にお色直しをさせられるし、更に言えば、私は神に誓う愛なんか持ち合わせていない」

安心と信頼の毒舌を披露してくれた彼女に私は苦笑する。
それに、と付け足した彼女は、嬉々として次のカタログを手に取ったNさんを指差す。

「そもそも、非力なNが私を抱きかかえられるとは思えないわ」

「……いや、別に抱きかかえる必要はないと思いますよ」

「それじゃあトウコがボクを抱えればいいじゃないか」

「何処の世界に、180cm超えの男をお姫様抱っこする花嫁がいるのよ」

キレの良い突っ込みに私は思わず吹き出した。
Nさんが結婚式を挙げたいとするその理由は、単純な憧れなのだろう。けれど彼女は寧ろ、そうした華やかな場を拒絶する傾向にあった。
『私は私とNの世界が守られていればそれでいい。』『私の世界は私とNを中心に回っているのよ。』
そう豪語した彼女は、私と同じように旅をしたにもかかわらず、その世界を自ら狭めているように感じられた。

彼女は謙虚だ。何も求めない。欲張らない。その代わり、拒絶する。自らが守ろうとしている、彼女とNさんの世界を脅かす存在に対して、彼女は容赦なく牙をむく。
それは、プラズマ団の王でなくなり、その世界を急激に広げようとしていたNさんとは対照的だった。
彼女と彼はどこまでも似ていない。にもかかわらず、彼等の相性はとても良かったのだ。

私は違う。私は欲張りだ。
だから、Nさんが嬉々として眺めている結婚式場のカタログにも、興味がある。
真っ白のドレスを着て、まだ見ぬ男性にお姫様抱っこされ、大きな十字架の前で永遠の愛を誓うその様子を、誰しも一度は夢見た筈だ。
その当時のときめきを、私は未だに覚えている。あの頃のような憧れはもう持ち合わせてはいないけれど、それでもトウコ先輩のように無関心を貫くことはできない。

「N、結婚式なんて面倒なことをしなくても、結婚はできるのよ」

そんな彼女が、意外にもそう告げた。
彼女が拒んでいるのは「結婚式」という煩雑な準備を必要とする儀式の方であって、「結婚」には露ほどの抵抗もなかったのだ。
しかしNさんはその言葉にも食い下がる。

「だって、結婚式は女の子の憧れなのだろう?キミと結婚するからには、それを経験させてあげたいじゃないか」

バサバサと大きな音を立てて彼女の手からカタログが落ちる。トウコ先輩のその目は大きく見開かれていた。私も同様に驚いていた。
結婚式に憧れを抱いているのはNさんの方で、Nさんがその憧れの場を叶えるためにせっせと式場を探しているのだと、私も彼女も思っていたのだ。
一瞬の沈黙の後で、彼女は大声で笑い始める。

「ああ、おかしい!何よ、私のためだったの?私はてっきり、あんたが結婚式に憧れているんだと思っていたけれど」

「ボクには特に何の拘りもないよ」

「それならそうと、早く言いなさいよね。はい、式場探しは終わり!この本は来週、資源ごみの日に出すわ」

トウコ先輩はNさんの手からカタログを取り上げて、本当に嬉しそうに笑ってみせる。
私は息を飲んだ。それは私の知らない表情だったからだ。
きっと私には、どんな出来事をもってしても、今の彼女のような笑顔を浮かべることはできないだろうと思った。
そんな出来事があるとするならば、それはきっと、まだ私が経験したことのないものなのだろう。

「結婚はどうするんだい?」

「私はしてもいいけれど、別に焦らなくてもいいでしょ?どうせそんな約束を交わさなくても、私達は一緒にいられるんだから」

彼等の間に生まれた、とても優しい空気の余韻が完全に消えるのにはもう少し時間が掛かりそうだった。
私は音を立てないように、ゆっくりと水の入ったグラスを机の上に置いた。

「キミは神に誓う愛など持ち合わせていないのではなかったのかい?」

「ええ、神になんて誓わないわ。私はそんな眩しいもの、信じていないもの。でも、Nになら誓える。これからもずっと愛せるわ。毎日、家事や雑用にこき使ってあげる」

愛するという神秘的な言葉を操っているとは思えない程に、その後にくっついた言葉はとても現実的で、愛の欠片もないように感じられた。
それを彼女は真顔で言ってのけるのだ。おそらくそれは冗談ではなく、真実なのだろう。
Nさんも同じことを思ったようで、その言葉に吹き出しながら彼女の豪胆な言葉に返す。

「……それがキミの愛の形なのかい?」

「愛はあんたが考えているような、生易しいものじゃないわよ。私はあんたを愛せるけれど、あんたのことは大嫌いなんだからね」

私はとうとう解らなくなって首を捻った。愛しているのに、彼のことは嫌いなのだろうか?
『私は私とNの世界が守られていればそれでいい。』『私の世界は私とNを中心に回っているのよ。』
そう言っていた彼女は、紛れもなくNさんのことが好きなのだと思っていた。
好きだからこそ、時に髪を引っ張ったり背中を蹴り飛ばしたりといった、暴力的なじゃれ合いをするのだと思っていたのだ。

愛とは、何なのだろう?

シア、キミはトウコのような愛し方をするような女性になってはいけないよ」

「あら、その心配は無用よ、N。だってこの子はとっても聡明で頭が切れる癖に、愛が何なのか未だに分かっていないんだもの」

彼女は私の頭を派手に撫で回して笑った。
いつか、私もトウコ先輩にとってのNさんのように、誰かを愛せるようになるのだろうか?
大切な人なら、いる。誰よりも、何よりも大切で大好きな人が、私にはいる。
けれど彼に、トウコ先輩がNさんに向けているような愛を向けるのは、少しだけ、違う気がした。
その違和感が取れない限り、私はこうして彼女に馬鹿にされ続けるのだろう。
それでもいい気がした。愛という言葉はまだ私には難しくて、今は私の身の丈に合う感情だけを大切にしていればいいと思えたのだ。

「でも、二人がとても幸せそうにしていることは分かります」

その言葉に目を見開いた彼女は、少しの沈黙の後で「生意気な後輩ね」と、私の頭を再び乱暴に撫でる。


2015.1.17
→「代償はその左翼」(片翼を殺いだ手、番外)

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