14

彼の家まで直行しようと思っていた私は、しかし意外な場所でダークさんの一人を発見する。
ジュペッタを傍に連れていない所からして、アブソルかアキルダーのダークさんらしい。
私の家の窓を覗き込んでいた彼の背後に降り立つと、彼は私を視界に入れるや否や、らしくもない大声を出した。

「今まで何処に行っていたんだ! 一人か?」

「そ、そうです」

彼はその眉を深くひそめた。この癖はアブソルのダークさんのものだった。
しかし次の彼の発言で、私は彼が慌てていた理由を知り、愕然とする。

「ゲーチス様がいなくなった」

私は、どこまでも無力であるしかなかったのだろうか?

ノック無しで家に転がり込み、ドアを開ける。
いつもベッドに上体を起こして、手元の本に落としていた視線をこちらに一瞬だけ向けてくれる、その姿が今はない。
机の上には24色色鉛筆。私がいつも座っていた椅子には膝掛け。
今日の昼、私が帰った時と何も変わらない。その空間の中で、彼だけが忽然と姿を消してしまった。

不在に気付いたのは一時間前で、この近辺は探したが見つからないと、アブソルのダークさんから簡単な説明を受ける。
すると、ジュペッタがケタケタと笑いながら、私に一つのモンスターボールを差し出す。
空のボールだ。長い間使われていたことが、表面に付いた傷の多さから見て取れた。
足音を立てずに現れたジュペッタのダークさんが、それに視線を落として、告げる。

「ゲーチス様のボールだ」

「!」

「恐らく、サザンドラがゲーチス様の移動手段なのだろう」

私は、ジャイアントホールで彼と戦った時のことを思い出す。
確かに、空を飛べるポケモンはサザンドラしか連れていなかった。……結局、そのよく見知ったサザンドラと、戦うことはなかったのだけれど。

あの時の恐怖と今の不安が混ざり合い、私を飲んでいく。
何かに突き動かされるようにして、私は記憶の海を泳いだ。彼と対峙したあの瞬間を、彼が紡いだ言葉を、探していた。
思い出さなければ、……何か、見つけなければ。
きっと手掛かりがあると信じていた。そうでもしないと恐怖と不安に飲まれておかしくなってしまいそうだった。
彼なら何処へ行くのだろう。彼は、何のために。

『ワタクシには、許せない記憶があるのですよ、唯一ね。アナタはそれを思い出させる、不愉快な眼をしています』
『誰が何をしようと! ワタクシを止めることは出来ない!』

『なんと愚かなことだ、こんな子供に絆されるとは』

そして私は、アクロマさんの言葉を思い出した。

『世の中には、その人に「かけがえのない存在」を見出している訳ではないにもかかわらず、その人に手を貸したい、その人を支えたいとする複雑な思いが確かにあるのですよ。
そしてシアさん、貴方はそうした思いを抱く傾向が強いようだ』

ふと、私の中にとある考えが浮かんだ。
それはとても傲慢な考えだった。恐ろしい程に、呆れて笑い出したくなる程に突拍子もない考えだった。
それを証明する手段は何もなかった。けれどそれを否定するための言葉も思いつかなかった。

「リゾートデザート、リュウラセンの塔は既に調べた。今、別のダークがシッポウシティ方面に向かっている」

「ジャイアントホールは?」

現在地であるヒオウギシティから、最も離れているその場所を私は紡ぐ。
僅かに首を振ったダークさんに、私はボールからクロバットを取り出した。
このクロバットに先制を取ったポケモンはいない。ダークさん達には移動手段がないが、私には翼がある。あっという間に、飛んでいける。

「私、探してきます!」

私はクロバットの入ったボールを勢い良く宙に投げた。どうしようもなく焦っていた。
早く行かなければいけない気がした。焦燥に急き立てられるようにして私はクロバットに飛び乗った。

シア!」

アブソルのダークさんに呼び止められる。
彼は僅かに瞳を泳がせた後、小さく「頼んだ」と呟いた。
私は頷き返して、空へ上がる。
名前を呼ばれたのは初めてだった。そんなことを考えることで、くすぶる不安を何とか踏み消そうと努めていた。

きっと、ただの思い付きだったのだろう。
眼下に広がる夜のイッシュ地方を脳裏に焼き付けながら、そんなことを考えていた。
多分、私が彼等と対峙しようと思ったそれと大差ない。
人の行動の理由など、後付けが幾らでも効いてしまうのだ。

力や財力を持て余したから。Nさんという英雄たる資質を持った人間の有効な利用方法を見つけたから。自分の能力を誇示したかったから。
あるいは、私が生きた年月では計り知れない、大きくて高尚な動機があったのだろうか。
それとも、私には想像もつかないような、壮絶な理不尽を強いられて生きてきたのだろうか。
彼のしたことは、自身を蔑んだ世界への復讐だったのだろうか。
しかしそれらは全て過ぎ去った過去の感情だ。それを私が推しはかったところで何も生まれないし 何も変わらない。

私だって、同じだ。

ポケモン達と一緒にいたいと願ったから。アクロマさんとの約束を果たしたかったから。
ヒュウのプラズマ団を敵視する姿勢に感化されたから。拙い正義を途中で折る訳にはいかなかったから。
どれが最初に湧いた感情だったのか。どれが建前で、どれが本音だったのか。どれが嘘で、どれが真実だったのか。
今では何も思い出せない。過去になってしまったそれらを吟味することに意味などない。

ただ私達は、正義というにはあまりにも醜くて、悪というにはあまりにも浅はかだった。

ようやく着いた目的の場所を、私は走り回った。
私は吸い寄せられるように最奥の洞窟に向かった。そこには彼が持っていたステッキが、今も地面に刺さっていた。
金属質のそれは、触れると驚く程に冷たい。
二度と来ないだろうと思っていたこの場所は、あの頃のままに変わらず残っていた。
しかし本当に見つけるべき姿を、私は結局見つけることができずにいた。

「いない……」

違った。此処ではなかった。また振り出しに戻ってしまった。
私の傲慢な勘はやはり外れていたのだ。あの人が私に何かを思っていたなどと、そんなことがあるはずがなかったのだ。
私がゲーチスさんに見出したのと同じものを、彼は私に見出しかけていたのかもしれない、だなんて、思い上がりもいいところだった。
私は乾いた声音で笑った。何も変わらなかった。私は最後まで無力だった。

彼の家に戻りダークさん達の連絡を待つべきだろうか。それともヒオウギシティから順繰りに調べていくべきだろうか。
私は泣き出しそうになりながら、洞窟を駆け抜けていた。走っていないと零れてしまいそうだった。零れてしまえば、止まらなくなってしまいそうだった。
やっと洞窟の外に出る。少しだけ欠けた満月が夜を照らしている。
カゴメタウンの近くから崖に近付くと、波の音が聞こえた。
……黒い海が、見えた。

春を思わせる柔らかい緑の糸が風に揺られる。
ゆっくりと沖に進むその横顔は蝋のように白い。
コートが黒に溶けていく。

海が、彼を飲む。

走り出した。目の前の崖を滑り降りた。海岸の砂に足を取られて転んだ。痛みに顔をしかめる間も無く立ち上がった。
黒い海に駆け出した。足に絡まる冷たい水を勢いよく蹴った。

「ゲーチスさん!」

振り向いた彼の肩を、掴んだ。

2012.11.26
2014.12.14(修正)

© 2024 雨袱紗