58

私はクロバットに乗り、一つの古風な橋に降り立った。
イッシュは橋が多いことで有名だ。5本ある大きな橋のうち、この橋はビレッジブリッジという。
その大きな特徴として、橋の両端に民家が建ち並んでいることが挙げられるだろう。大きさも屋根の色もお揃いに建てられたその家が、橋の古風な美しさを静かに演出していた。
旅をしていた頃は自転車で通り過ぎるだけであったこの場所を、今はメモを片手にゆっくりと歩いている。
その理由は他でもない、此処に住む「元プラズマ団員」を探すためだった。

今まで、数え切れない程に多くのプラズマ団員と話をしてきた。その都度、私の夢物語を語り、協力してくれないかと頭を下げた。
今更、その行為に緊張するのもおかしな話だ。しかし事実として、私は緊張していた。それはきっと他でもない、その「元プラズマ団員」の年齢のせいだった。

『そういや、シアと同じ年頃の女の子がプラズマ団にいたぜ。プラズマフリゲートで調理場を手伝っていたんだが、まだ会っていないか?』

ギアステーションで寝泊まりしている男性にそう言われ、私は慌ててその「私と同じ年頃の女の子」についての聞き込みを始めた。
けれど誰に聞いても「全く喋らない子だったから、何も知らない」との答えばかりで、彼女に関する情報は一向に集まらなかった。
元プラズマ団員に出会うことができなかったのは、何もこの女の子のケースが初めてではなかった。
故に仕方のないことだったのかもしれないと諦めかけていたのだが、同じ調理場で働いていた一人の女性から、有力な情報を得ることができた。

『両親の仕事の都合で、引っ越しを繰り返していたらしいから、今の住所は解らないけれど、私が尋ねた時はビレッジブリッジに住んでいると言っていたね』

『ビレッジブリッジ……ソウリュウシティの東にある橋ですか?』

『そうそう。庭の花壇がどうとか言っていたから、言ってみればそれらしい家をみつけることができるんじゃないかな』

私は彼女の言葉に縋り、直ぐさまクロバットに乗り、此処にやって来たという訳だ。
橋の上を歩きながら、「花壇」のある家を探す。元プラズマ団の女性が伝えてくれた情報の書かれたメモを握る私の手は、10月という涼しい気候にもかかわらず汗ばんでいた。
花壇のある庭を見つけ、私はそっと歩みを進めた。心臓が不思議な音を立てて揺れていた。

私はまだ見ぬ「私と同じ年頃の女の子」について、トキちゃんと同じような印象を抱いていた。
だって、プラズマ団に入団する程の人なのだ。確固たる信念があってのことだったのだろうと思っていた。
きっとトキちゃんに負けないくらい堂々としていて、話し掛けた私の方が委縮し、畏れてしまうような、そんな気丈さを纏った人なのではないかと、そんな風に想像していた。
私はその少女との邂逅を恐れていた。勝手な想像は心臓の拍動と共に肥大し続けていた。

だから、その花壇に生えた白い花に水をやっていた少女が、私と視線を合わせるなり、家の影に慌てて隠れてしまったのを見て、私はどうしようもなく驚いたのだ。
膨らみ続けていた勝手な想像が、パチンと大きな音を立てて弾け飛んでしまったような衝撃だった。
おそらく彼女は、その壁の向こうで息を潜めているのだろう。私は駆け寄るべきかどうか悩み、やがてその場で足を止め、隠れている少女に挨拶をすることを選んだ。

「こんにちは」

一瞬だけ視線を交わらせた彼女は確かに、私と同じ年頃の女の子だったけれど、私の探している「元プラズマ団員の少女」ではないのかもしれなかった。
人違いではないか、彼女ではないのではないかと思いながら、私は彼女の返事を待った。
数秒の沈黙の後に、その壁の向こうから消え入るようなソプラノの声音が、秋空が運んだ風と共に私の鼓膜を震わせた。

「……こんにちは」

あまりにも儚い音と共に、彼女は姿を現してくれた。私はそのことに安堵したけれど、しかし次の瞬間、あまりの衝撃に言葉を忘れて立ち竦むこととなった。

私よりも高い背を、お洒落な赤いスカートと黒いノースリーブのブラウスに包んでいた。ストロベリーブロンドの髪が、風に煽られてふわふわと揺れていた。
ライトグレーの透き通った二つの瞳は、まるでその中に宝石を宿したような輝きで私を見つめていた。
下げられた眉と、微動だにしない四肢が、彼女の怯えを示しているように思えて、私も動くことを忘れて立ち竦んでしまった。
少しでも間違った行動を取れば、そのあまりにも美しい人は壊れてしまいそうだった。

「道に、迷ったの?」

長い沈黙の後に、口を開いたのは彼女の方だった。その、小さな子に話し掛けるような素振りに私は思わず苦笑する。
私には、彼女が「私と同じ年頃の女の子」だという前知識があるけれど、彼女にしてみれば、自分よりもずっと背の低い私は、彼女よりもずっと年下に見られているのだろう。

「いいえ、貴方を探していたの。プラズマ団に入っていた女の子、というのは、貴方のことで合っているかな?」

「あ……。うん。そう、そうなの、私……」

口ごもりながらも必死に言葉を紡ごうとしてくれる彼女に、救われたような心地を抱いた。
少しだけ顔を赤らめて肯定の返事をした彼女は、私と彼女を隔てていた小さな花壇をそっと跨いで、私の方へと駆け寄ってきてくれた。
彼女の脚に白い花が一輪だけ引っかかり、小さく揺れた。私は思わず、その花について彼女に尋ねていた。

「その花、カーネーション?」

「え?」

目の前にやって来た彼女にそう尋ねれば、彼女は素っ頓狂な声を上げた後でクスクスと笑い始めた。
何かおかしなことを言っただろうか。しかし、少し考えればすぐに解ることだったのだ。
今は10月だ。春に咲く花であるカーネーションが、庭の花壇に咲いている筈がない。もう少し考えてから尋ねるべきだった。
恥ずかしくなって慌てて謝ろうとしたのだが、彼女は小さく頷いた後に嬉しそうに紡いだ。

「そう、カーネーション。5月の花だけど、種を撒くのが遅すぎて、9月にやっと咲いたの」

彼女は華奢な膝を少しだけ折り、咲き誇っている数輪の白いカーネーションを愛しむようにそっと撫でた。
彼女の細い指が、花を、葉を震わせた。水をやったばかりの葉に纏った水滴は、ぽたぽたと土の上に落ちていった。
その、素朴だがどこまでも美しい動作に私は見入っていた。

トキちゃんも人を圧倒させるような、場の空気を飲み込んでしまうような圧倒的な美しさがあったけれど、彼女のそれとは一線を画していた。
消えてしまいそうな弱々しい美しさというものが存在することを、私はこの少女の中に宿る美しさを見つけて初めて悟ったのだ。

彼女は一頻り花を撫でた後で、私の方に向き直り、そっと紡いだ。

シア

あまりの驚きに目を見開いて沈黙した私に、彼女は安心したように微笑む。

「私、ずっと貴方を待っていたの」

「え、……私を?」

「貴方がプラズマ団員を探していたことを知っていたから。いつ会えるかなって、ずっと楽しみにしていたの」

信じられないようなことを紡ぐ彼女に、私はろくな言葉を返すこともできずに沈黙した。
この少女が、私を待っていた。その事実にくらくらと眩暈すら覚えた。
そして、これから彼女に説明しようと思っていた、私の夢物語についての台本がビリビリと脳内で破かれていくのを感じていた。
そう、説明する必要などなかったのだ。だってこの少女は全て知っているのだから。
私が誰であって、何の目的のためにプラズマ団員を探していて、何故、協力を求めようとしているのか、彼女はきっと、全て解っているのだろうから。

「……よかった」

思わず零した小さな言葉を、しかし彼女は拾い上げて笑ってみせた。何処か不安そうに、寂しそうに微笑む彼女に、私は簡潔に用件を伝えた。

「私、皆の居場所をもう一度、皆で作っていきたいと思っているの。私に力を貸してくれる?」

間髪入れずに頷いてくれた彼女は、しかし次の瞬間、首を小さく傾げるようにして口を開いた。
「一つだけ、聞いてもいい?」と尋ねられた言葉に今度は私が頷く。そうして彼女が私に投げた「質問」に、私は思わず吹き出してしまった。

「ゲーチス様は、貴方を脅していたの? 貴方はずっと彼に従うしかなくて、だから今もこうして、彼のことを助けようとしているの?」

「……ううん、違うよ、そうじゃない。私、ゲーチスさんに脅迫されたことなんか一度もないの。彼は、嘘吐きなんだよ」

けれどそんなことを言いながら、「嘘吐きだ」と断言する私の声音に、叱責の色が欠片も含まれていないことを、きっとこの少女も見抜いているのだろう。
困ったように肩を竦めて笑いながら、「よかった」と、先程の私の呟きを真似するようにそう紡いだ。
……そう、私は、彼が嘘吐きであることを責めたりなどしない。彼の嘘が優しいものであることを知っていたし、何より私も、彼に負けないくらいに嘘吐きなのだ。
これは、私の重ね過ぎた嘘がもたらした結果なのだから。私はその嘘で世界を変えようとしているのだから。

「ねえ、貴方の名前は?」

その言葉に彼女はそのライトグレーの目を見開き、ふわりと歓喜の情をその赤らめた頬に滲ませて、告げた。

「私は、シェリー

2015.8.13

© 2024 雨袱紗