W 秋ー1

鈴音の小道で見た、あの鮮やかな紅葉の欠片を、Nはあちこちで見つけることができた。
季節は秋。街路樹や山が仄かに赤く色づき始める頃だ。
ホウオウが降り立つスズの塔近辺では、何故か一年中紅葉と落葉が絶えないそうだ。伝説のポケモンを、自然が歓迎していることの表れだろうか。
Nはレシラムに乗り、ジョウトを離れていた。此処はクチバシティ。海に面する、カントー地方の町だ。

「ジョウトはとてもいい所だけれど、カントーも負けていないよ」

コトネにそう紹介されたのがきっかけだった。しかし実のところ、Nもまた、別の地方へと向かうつもりだったのだ。
他の地方ではトレーナーとポケモンが、どのように心を通わせているのか。それをこの目で見たかったし、何よりNは旅を楽しんでいた。
革新的とも言えるその世界の広がりは、Nに不安と当惑と少しの希望を与え、更なる世界への渇望をもたらした。

この土地では、どんな世界が自分を待っているのだろうか。
Nは自分の心臓の高鳴りを感じていた。踏み出したその一歩にゾロアークが続いた。

一先ずポケモンセンターで一泊したNは、その翌日、クチバシティにあるポケモンファンクラブに立ち寄った。
ポケモンをバトルとはまた違った形で愛する人々の思いを聞き、愛されているポケモンの喜びの声を聞いて、伝えた。
彼等は一様に驚いた様子を見せ、しかし嬉しそうな顔でその言葉を受け入れた。
「我々は誰よりもポケモンを愛しているつもりでしたが、上には上がいるものですなあ」と、会長を名乗る人物に感心されてしまった。

『私達はポケモンに対して傲慢になっちゃいけないって、ポケモンへの理解に線引きをしちゃいけないって、きっと、Nさんが伝えてくれる声で気付ける筈だから。』
コトネのその言葉が脳裏を掠めた。
自分の力は、ポケモンと人との架け橋となれるのかもしれないと、その時Nは確かに希望を抱くことができたのだ。

北へ進んだところにあるヤマブキシティは、背の高いビルが中央にそびえ、民家や公共の施設が立ち並ぶ町だった。
イッシュのヒウンシティや、ジョウトのコガネシティに似ているが、此処はもっと洗練されていて、人の動きが忙しない。
隣町のタマムシシティも同様に、大きな建物が立ち並んでいたが、こちらはデパートや娯楽施設の多い、コガネシティを思い出させる町だった。
町の西にある広場では、人とポケモンが思い思いに散歩をしたり、まだ幼いポケモントレーナー達がバトルを繰り広げたりしていた。

Nはそのポケモン達の声を聞き、トレーナーに伝えることを繰り返した。
幼い子供の反応は、大人のそれよりも酷く純粋で、それ故に鋭く彼の心を抉った。
「どうしたらポケモンの声が聞こえるようになるの?」と、小さな女の子に尋ねられ、Nは考え込んでしまったのだ。

期待に満ちた目をした子供に、どんな言い回しをすればいいのかが解らず沈黙する。
「これはボクが生まれ持って身に付けていた変わった力だから、キミには残念だけれどポケモンの声が聞こえるようになることはない」と端的に紡ぐのは流石に躊躇われた。
嘘を吐いてしまおうかとも思った。「キミがポケモンのことを大事に思い続けていれば、きっと聞こえるようになるよ」と、そんな虚構の励ましをしたい誘惑に駆られたのだ。
……しかし、Nはその楽な選択に縋ることはしない。

「キミには声は聞こえないかもしれないけれど、その代わり、ポケモンはキミの声を聞いてくれる。だからポケモンの分まで、キミの気持ちを沢山、ポケモンに伝えてあげてほしい」

「ポケモンは、あたしの言葉が分かるの?」

「そうさ、ポケモンはとても賢い生物だからね」

分かった、と女の子は笑顔で頷き、ピンク色の丸いポケモンを抱きかかえて走り去った。
Nは自分の回答が正しかっただろうかと自問する。しかし、その答えはきっとあの女の子だけが知っているのだろう。
それでも、あの場で嘘を紡ぐことは、真剣にポケモンとの在り方を問うた彼女への冒涜になる気がした。
Nの「いつかきっと聞こえるようになる」という嘘を信じた彼女は、いつまで経ってもポケモンの声が聞こえないという現実に焦り、そして絶望するだろう。
自分のポケモンへの思いが足りないのか、自分はポケモンを愛していないのかと、疑心悪鬼を生んでしまう筈だ。声が聞こえないのは、彼女のせいではないのに。
……そんな未来が、Nには僅かではあるが見えていたのだ。だからこそ、その場を凌ぐ為の嘘を吐く訳にはいかなかった。

『この子達だって、いけないことと解っていながらも、相手を思って、嘘を吐くこともあるんじゃないの?』
「彼女」はかつてそう言った。ポケモンの知能を高く評価しながら、それ故に相手を推し量るための手段として嘘を選ぶポケモンもいるだろうという彼女の主張はとても斬新だった。
そして、自分の聞いている声に嘘がないとするNの主張から、彼が聞いているのはポケモンの声ではなくもっと奥の本音の部分、つまりは心だと紡いだのだ。
そうだとしても、Nの聞くポケモンの言葉に嘘がないことは事実だ。しかし「彼女」の推理はNに一つの転換をもたらした。

自らが導き出した答えが必ずしも正しいとは限らないのだ。
事実として、Nのようにポケモンの声が聞こえない筈の彼女が、それでもポケモンに寄り添い、必死に思考を巡らせ、そしてNとは異なる結論を出した。
そして、それはポケモンの声が聞こえるNをも沈黙させるだけの力を持っていたのだ。
こうしてNの世界は、次々と化学反応を起こしていく。そして、それはきっと今も続いている。

タマムシシティからサイクリングロードを下るとセキチクシティという町に着くらしい。
しかし自転車を持っていないNは、レシラムに乗り、空からその町を訪れた。
その町から東に進むと、長い道路があり、そこでは沢山のトレーナーがポケモンバトルを繰り広げていた。
Nは彼等と言葉を交わし、時に彼等のポケモンの声を伝え、時にポケモンバトルをして絆を深めた。
連戦に連戦を重ね、疲れ果てている筈のゾロアークやレシラムは、しかしとても嬉しそうな声をNに聞かせてくれた。

長い橋をひたすらに北へと渡ると、とても静かな町に辿り着いた。
シオンタウンというこの場所で、Nは一人の女性と出会う。

「……」

鼻歌を歌いながら、笑顔で道のど真ん中を歩いている。スキップでもしそうな勢いだ。
身体にぴったりした、シャープな黒いスーツとズポンを身に纏っている。肩程で水色のミディアムパーマがふわふわと揺れている。
彼女は自分を見ているNの視線に気付くと、その髪と同じ水色の目をぱちりと見開いて駆け寄ってきた。

「旅のトレーナーさん、こんにちは。珍しいポケモンですね」

Nの後ろにいるゾロアークのことを指していると気付き、Nはカレの紹介をすることにした。
イッシュから来たと説明すると、彼女は感心したように微笑む。

「この町へは、何か目的があって来たんですか?」

「ポケモンの声を聞いて回っているんだ。トレーナーとも話をしている」

「ポケモンの声?ふふ、素敵な言い回しですね」

肩を竦めてその女性は笑う。そう言えば、笑い声がコトネに似ている気がする。
そしてNはコトネの言葉を思い出す。
『青い髪に黒いスーツを着ていて、ちょっと変なことをしている人が居たら、間違いなくお姉ちゃんだから。』

「キミ、もしかしてクリスかい?」

「あら?私、いつの間に有名人になっちゃったのかしら」

「キミのポケモンと話をしたんだ。ワカバタウンの海辺で遊んでいたから、少し声を聞かせてもらったよ。それに、コトネもキミのことを話していたから」

コトネの名前を出すと、彼女は「なあんだ、妹のお知り合いだったんですね」と朗らかに笑ってみせた。Nは頷きながら、彼女をそっと観察する。
姉妹だというのに、髪や目の色は全く似ていない。しかし笑う時に肩を竦める癖や、その空気を震わす声音はコトネにそっくりだった。
弁護士という職業に就いているとコトネから説明を受けていたが、身に付けているスーツと踵の高いヒールから察するに、エリートと呼ばれる側の人間のようだった。
しかし、そんな優秀な頭脳を有していながら、鼻歌を歌い、スキップでもしそうな上機嫌で道を歩くその姿は、さながら幼い子供のようである。

するとクリスは、何かを思い付いたようにぽん、と手を叩き、ふわりと微笑んだ。

「今から私、ある場所に行くんです。一緒に来ませんか?
ポケモンが沢山いるところなので、きっと貴方も楽しめると思いますよ」

「……邪魔でないなら同行させてもらうよ。ボクの名前はNだ。よろしく」

「Nさん。ええ、それじゃあ行きましょう!」

高いヒールでカツカツと歩き出した彼女は、しかし何を思ったのか、その足をぴたりと止める。
どうしたんだい、とNが問うと、彼女は振り返ってNの手を取り、今まさに進もうとしていた方向とは全く逆の場所を指差した。

「いけない、その前にお花を買わなくちゃ」


2014.11.8

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