B 夏ー9

「お前さんはそんな風に、尖った言葉を平気で投げるような奴だったか?」

アデクさんの言葉がどこまでも気に食わなくて、私は彼を真っ直ぐに睨みつけた。
きっとこの人と分かり合えることはないのだろう。そのつもりもない。この人を理解しようとも思わないし、私を理解されたくもない。

「さあ?もしアデクさんの記憶にある私と、今の私に齟齬があるのだとしたら、Nが私を変えたんじゃないですか?それか、貴方が余程嫌われているとか」

「……」

「勘違いしないで。私はあんたに頼まれたからイッシュを救ったんじゃないわ。こんな場所、本当はどうなったってよかったのよ」

それは、嘘だ。私はイッシュ地方がプラズマ団の手に堕ちればいいだなんて思ったことは一度もない。こんな狡い大人達でも、プラズマ団よりは幾分かましに思えたからだ。
それでも、私はこの土地を愛している訳でも、この土地に住む皆の思いに応えようとした訳でもない。
……どちらかといえば、きっと私はこの土地が、この土地に住む人が、嫌いだ。

ただ、私が、ポケモンと一緒にいたかっただけ。私がNのことを知りたいと願っただけ。私があいつと戦わなければいけないと思っただけ。
たったそれだけのことが、狡い大人達によって派手に装飾されていく。それが私には許せなかった。
だからその全てが終わった今、これくらいのことを言っても許されるだろうと思ったのだ。

それと同時に、その暴言にはある種の懇願も含まれていた。
どうか私を憎んでください。なんて奴だと蔑んでください。称えられるより、ずっといい。そしていつか、忘れてください。
英雄だなんておめでたい、ふざけた存在を、もう二度と思い出さないでください。トウコって誰だっけと、笑ってやってください。

私を、私だけのものにさせてください。

私は彼に背を向けて、溜め息と共に苦笑した。
結局のところ、私は酷く臆病な人間なのだ。

タワーオブヘブンを駆け下り、その足でネジ山を越えてセッカシティを通り過ぎ、リュウラセンの塔へと向かった。
本当はアデクさんの言うように、私がタワーオブヘブンの最上階に赴いたのは、その鐘を鳴らすためだった。
今の私が鳴らす鐘の音を、聞いてみたかったのだ。
しかし同時に、それは私の耳にだけ届くことを許されるものでなければならなかった。こんな自分の鐘の音を、よりにもよってあの大人に聞かれることがあってはならなかった。
きっと彼はその、自分の音に似た音に気付くだろう。喪失を悲しむ鐘の音を、きっと彼は聞き逃さない。そして私のことを慰めにかかるに決まっているのだ。

あいつに励まされるくらいなら、タワーオブヘブンの最上階から飛び降りてやる。そう心の中で悪態をつき、私は苦笑した。
世界は、押し付けがましい思い遣りと、自身のエゴで溢れているのだと、私は知っていた筈なのに。
そんなものに振り回されるなんてどうかしている。私はもっと自由な気持ちで旅をするべきだ。

そんな正論を脳内で並べ、しかし直ぐにおかしくなって、私は声をあげて笑った。
リュウラセンの塔を登ろうなどという物好きはそういない。きっと私の笑い声も、誰の耳にも届かない筈だ。
そう割り切った私は、おかしさをこらえきれずに一人、笑った。

自由な気持ちで、だなんて、どうかしている。だって私の旅に「自由」なんて、これっぽっちもなかったのだから。

カツカツと靴音を響かせて、私はリュウラセンの塔の最上階へと辿り着いた。
広がった空間に、私は大きな白いポケモンを想起する。此処で初めて、レシラムと出会ったのだ。
伝説のポケモンは、真実を求めるNの元へと姿を現した。

**

『ポケモンとヒトとの絆を守りたいなら、ゼクロムを探すんだ。……きっとゼクロムは、ダークストーンの状態で、キミを待っている。』

彼はレシラムとの邂逅に、とても嬉しそうな笑みを浮かべていた。私はあまりのことに言葉を失って立ち尽くすことしかできなかった。
解っている。……解っていた。私と彼とは相容れない。結局、私に誰かを変えることなど、できる筈が無かったのだ。

……それでも、私はこいつの前でなら、みっともなく足掻く自分を見せられた。見せてしまっていた。
それにどのみち、私が隠そうとしたところで、このデリカシーの欠ける人物は、私の本質を、ポケモンの言葉を通して見透かしてしまうのだ。
それはとても恐れていたことであった筈なのに、「本当の私が知られてしまっている」という絶望的な事実は、しかし驚くことに私を「自由」にした。
私はもう、窮屈な呼吸をすることを選ばなくなっていた。
だから私は、こいつにだけ見せられる、息のしやすい私のままに口を開いた。

『あんたはもう、迷っていないの?』

努めて毅然とした筈が、その語尾は情けないことに震えていた。
見慣れない美しいポケモンを目の前にして、圧倒されてしまっていたからかもしれない。
あるいは、不利な状況下でも、こうして未だに諦めず、足掻こうとしている私自身に不安を感じているから、であったのかもしれない。。
勿論だ、と頷いた彼に、私は「そんな筈がない」と確信をもって、首を大きく振った。

『嘘よ。だっておかしいじゃない。
あんたは「キミのようなトレーナーもいるから、ポケモンと引き離すことには胸が痛む」とか言っていたけれど、そのトレーナーの中にあんたは入っていないの?』

『……。』

『Nを慕っていたポケモン達はどうなるの?あんたと一緒にいたポケモン達は、あんたと離れることを本当に望んだの?』

私は声を張り上げた。届け、と必死に懇願した。
その切なさに涙さえ出そうになったけれど、この段階で泣く事には何の意味もないことに気付いて、ぐっと押し留めた。

別に他の人なんてどうでもいい。私は知らない誰かの為に戦っている訳ではないのだ。
私が守りたい世界は他の誰でもない私の世界で、私が理解したい世界は他の誰のものでもないNの世界だ。
それ以上の広い世界や多くの人々に意識を巡らせられる程の余裕を持ち合わせてなどいなかった。私はただ、私とNの世界のために必死だったのだ。

私の世界はいつからか、私とNを中心に回り始めるようになってしまっていた。

きっとこれは、私と彼とのちょっとした痴話喧嘩。それが、神話のポケモンを巻き込む大騒ぎになってしまっただけ。
ただ彼がプラズマ団の王などという、とんでもない大役を背負っていて、何の取り柄もない筈の私が、そんな彼の標的にされてしまっただけ。
そして彼のことを少しだけ知ってしまった私が、彼のことをもっと知りたいと願ってしまった私が、彼との争いを引き受けてしまった、ただそれだけ。
それだけ、それだけ、と繰り返しても、私の荷物は消えないし、彼の王冠はなくならない。解っていたけれど、私はまだ認めたくなかった。

『ボクのことはいいんだ。』

『よくないわ。Nがポケモンのことを、自分の思いも顧みずに案じるっていうのなら、それなら、あんたのことは誰が案じてくれるの?誰があんたを想ってあげるの?
どうして、自分の思いに蓋をするの。どうしてもっと欲張らないの!』

悔しさに視界がぐらりと揺れた。零れそうになった涙を私は乱暴に拭った。
もう声は震えない。私は躊躇わない。私はポケモンのことを、この大嫌いな奴のことを、絶対に諦めない。


『自分を大事にできない不器用なあんたの思いは、私がちゃんと拾ってあげる。私は私の為に戦うけれど、そのついでにNのことだって救ってみせるわ。』


だって貴方は人だ。だって貴方はポケモンが大好きだ。だって貴方は私の想いを認めてくれた。だって貴方は、貴方は。

『……キミは、おかしいね。』

彼は私の言葉からたっぷりと時間をおいて、絞り出すようにそう紡いだ。

『あんたもでしょう。きっと私達、似ているのね。』

肩を竦めて笑おうとした、しかしできなかった。代わりに私の肩は僅かに震えていた。
そして私は沈黙する。その沈黙に私の懇願を乗せる。
お願いします。どうか届いてください。そして、私に彼と戦う力を下さい。

『キミのその思いを認めてあげる。……だから、ボクを止めてごらん。』

観覧車の時と全く同じ言葉を、彼はあの時よりもはっきりと紡いだ。私はそれに、やっとの思いで頷く。
彼はレシラムに乗り、リュウラセンの塔から飛び立ってしまった。

私には彼のその言葉が、「プラズマ団の王様」ではなく、他の誰でもない「N」の、彼自身の懇願に聞こえてならなかった。


2014.11.2

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