B 夏ー6

バニプッチをボールから出して歩いてみる。街や人通りの多い道路では、なかなかポケモンを連れ歩くことはできない。
トウヤによれば、ポケモンを連れて街中を歩くことが認められている地域があるらしい。是非行ってみたい。
Nの理想が、追い求めずとも其処にはあるのだ。私は少し、その見知らぬ土地を羨ましいと感じた。
もし彼がその地方に生まれ育っていれば、あんなことにもならなかったのだろうか。

青白い光が飛び交う洞穴を数歩進めば、懐かしい場所に突き当たった。

『電気石の洞穴……。ここ、いいよね。電気を表すのは数式、そしてポケモンとの繋がり。』

野生のバチュルがひょこりと飛び出して来た。バニプッチが待ってましたとばかりに相手をしようと駆けていく。
その姿にどこか温かい気持ちになりながら、私はNとのやり取りを思い出す。

**

『人が居なければ、ボクの理想の場所だ。』

『まるで自分が人じゃないみたいに言うのね。』

そうおどけたように笑うと、彼は何故か大きく目を見開いた。
彼には幾つかそうした、不可解なところがあった。
ボールにポケモンを閉じ込めるのが嫌いだと言いながら、自分もポケモントレーナーとして私の前に立ち塞がる。
ポケモンは人間から解放されるべきだと言いながら、彼等のことをトモダチと呼ぶ。
まるで自分は例外だと言わんばかりの不遜な態度が、自分を人だとみなせていない不気味な認識が、私はやはり、気に食わなかった。

『僕は違うよ。僕にはトモダチの声が聞こえる。キミだってそう言っていただろう。だから僕には敵わないと。』

確固たるイニシアティブは私をほんの一瞬怯ませた。
しかし私は虚勢を張ることで、どうにか彼に対する優位を勝ち取ろうともがいてみた。

『でも、それだけでしょう。ちょっと便利な力を持っているからって調子に乗らないで欲しいわ。』

彼は呆然と立ち竦む。私はふいと顔を背けた。
声が聞こえる。それはとても羨ましい能力だ。それだけでアドバンテージになる。確固たるイニシアティブを保持できる。
しかしそれを持たない私は、その眩しい優位に目を眩ませてはいけないのだ。
彼がそんなアドバンテージに在るのなら、私も持っているものを最大限に生かして、彼と同じ土俵に立たなければならない。
私はこの不利な状況下で、それでも足掻くと誓ったのだから。武器を持たない無力な私が、私のままで戦うことを、何故だか彼も望んでいるのだから。

『それに声が聞こえなくたって、私にもポケモンのことは解るわ。』

呆れられるだろうか。詭弁だと貶されるのだろうか。
それでも、私にだって、彼の真似事はできるのだ。

彼等には表情がある。仕草がある。鳴き声がある。それは必ずしも言語である必要はない。
Nのように複雑な会話をポケモンとすることはできないけれど、私のポケモン達が今どんな気持ちでいるのか、それくらいは察することができる。
そして、それを無意識の内にやってのけているのは、きっと私だけではない筈だ。

『同じでしょう、私とあんた、何が違うの?もしかしてあんたは、自分が人じゃない、もっと凄いものだとでも思っているの?』

『!』

『馬鹿じゃないの?あんたは私と同じよ。何も変わらないわ。
……そっちにはそっちの言い分があるのかもしれないけれど、私の言い分だって聞いてくれてもいいでしょう。
あんたが思っているよりも、私はずっと臆病な人間なの。だからこうして乱暴な物言いをして、どこまでも強気に出てなきゃやってられないのよ。』

私はそこまで喋って、はっと我に返った。
自分はなんてことを言ってしまったのだろう。さあっと血の気が引くのを感じたが、幸いにして此処は洞窟だ。私の顔色の変化に、きっとNは気付いていない。
ポケモンの声が聞こえることが有利に働くか否か、Nと私は同じ人間か否かという、これまでの討論から完全にずれたところで私は失態を犯してしまった。
気付かれていませんように、と私は心の中で祈っていた。そう、つまり私は本来ならそうした人間なのだ。

臆病でちっぽけな自分を誤魔化すために、強気な姿勢を崩すことなくここまで旅を続けてきた筈だった。
無力で不甲斐ない、幼い足掻きを続けてきた自分を隠すように、私はいつだってこの調子で振舞ってきた。幼馴染にも、家族にすら、本来の弱気な自分を隠してきた。
それは誰に強いられたものでもなく、私自身が小さい頃からずっと選び取ってきた処世術だった。

しかしそれらは「演じきる」ことで価値を持つのであって、今のように、相手に自分の本当の姿を、どんな形であれ伝えてしまうことは許されない筈だった。
私はそれを弁えていたし、それを順守することが私の処世術をより完璧なものにしていた筈だった。
それなのに、私はNの前でそれを告白してしまった。それは完全なる私のミスであり、失態だった。
弱みを知られてしまった以上、元々あったアドバンテージを更に彼へと譲ってしまったような気がして私は居たたまれなくなる。
しかし彼はいつものように、早口で淡々と言葉を紡いだのだ。

『ああ、そういうことだったのか。』

『……は?』

『トモダチの声と、キミがボクに見せる姿とが噛み合わないから、おかしいとは思っていたんだ。声に聞くキミはもっと繊細で、優しい人だからね。』

……やられた。
私は愕然とする。心臓の底で、盛大な絶望とほんの少しの愉悦がくるくると渦を巻いていた。
絶大なショックを受けていたにもかかわらず、何故か私はそれすらも滑稽で愉快だとさえ感じてしまっていたのだった。

つまり、こいつには全てが筒抜けだったのだ。
私よりも多くの声を拾える彼に、私よりも多くの情報が入ってくるのは当然のことで、そこには時に、私が予想もしていなかった事柄も入っているのだと。
まさか私のポケモン達が、Nに「私のこと」を喋っているだなんて全く気付かなかった。私は半ば呆れたように笑ってみせた。
きっと、彼に関して言えば、本当の私を隠して気丈に振舞おうなどという試みは、最初から失敗していたのだろう。

それは普段の私なら限りなく絶望して然るべきことであった筈なのに、今は何故だか、それさえ面白いと感じたのだ。

そもそも、彼との時間は全てがイレギュラーだったのだ。
あんな風に自分に固執されるのも、誰かの前で泣くことも、乱暴に自分の思いをまくし立てることも、
こうして自分のことをうっかり話してしまうことも、それが平然と受け入れられることも、……そしてあろうことか、そのことに安堵し、とても嬉しいと思っていることも。
それら全てを包括して表してくれる言葉を私は知らなかったが、少なくとも、私はそうやって積み重ねてきた時間を悔いてはいなかった。

『それにしても、キミはおかしいね。……とても、おかしなことを言う。』

彼はとても嬉しそうに、しかし何処か悲しそうにその言葉を紡いだ。
何故、そんな複雑な表情をするのか、その時の私には理解できなかったけれど、もしかしたら私と似た感情を持ってくれているのかもしれないと、少しだけ利己的な期待をした。
この時から、おかしくて不可思議だった存在の彼が、私の中で別の意味を持ち始めていた。


ゲーチスとやらに差し向けられたプラズマ団の軍勢を相手にし、ようやく出口が見えてきたその時、再び彼は姿を現した。

『多くの価値観が混じり合い、世界は灰色になっていく。僕にはそれが許せない。』

『だから自分の意見を通して、周りを巻き込むんだ。随分とご立派ね。』

出会い頭に憎まれ口をぶつけてやる。
プラズマ団達との連戦で、私もポケモン達も疲れ果てていた。少しくらい八つ当たりをしてやりたい、気分だったのだ。

『知っているよ、キミのような人間もいることを。だから少し胸は痛むけどね。』

その言葉に私は彼との隔絶を見る。
まるで私のような人間が希少種であるかのように彼は言うけれど、決してそんなことはない。
皆、ポケモンを愛している。彼だって旅をして、それを嫌という程に見てきた筈だ。

それなのに、彼は人とポケモンとを引き離すことが最善だと信じて疑わない。
口が達者な彼を言い包めることはできそうになかったが、少なくとも私はその違和感を最後まで忘れなかった。

『キミには夢があるのか?』

『夢?』

藪から棒にそんな質問をされて、私は面食らってしまった。
私の、夢。気恥ずかしくなるようなその単語に、しかし私は少し考えた後で、心からの願いを乗せてみる。

『そんな大層なものじゃないけど、私はポケモンが大好きなの。だからその世界を守る為にあんたと戦うわ。
それを「夢」と呼びたいのなら、……ええ、お好きにどうぞ!』

私はモンスターボールを構えた。心臓が大きな音を立てて揺れていた。


2014.11.1

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