ミルクパズル

16

あの後、私は直ぐにシルバーと別れた。
彼を乗せたクロバットは、物凄いスピードで闇を駆け抜け、あっという間に見えなくなってしまった。
クロバットのスピードは、全てのポケモンの中でもトップクラスに匹敵するということを知らなかった当時の私は、ただ茫然と彼等を見送った。

一緒に戦ってきた彼と別れることは少しだけ名残惜しかった。そんな感情が顔にも出ていたらしく、彼は去り際、呆れたように大きな溜め息を吐いた。

「まさかお前、もう二度と会うこともないとか思っているんじゃないだろうな」

「え……」

「俺とお前の向かう場所は同じなんだろう?追い掛けるのが俺かお前かは分からないが」

そう言って、私の返事も聞かずに彼は飛んで行ってしまった。
それは彼が私にくれた再会の約束で、それが私にこの上ない勇気をくれたことは語るに及ばない。

チョウジタウンのポケモンセンターで一泊した私は、東に進み、氷の抜け道と呼ばれる洞窟に入った。
凍った道では何度も足を滑らせて、ひっくり返った。その度にゲンガーに笑われ、チコリータに心配された。
フスベシティに抜ける手前では、綺麗な着物のまいこさんと出会った。彼女の下駄が氷にくっついて、身動きが取れなくなってしまったらしい。
少し強めに背中を押すと、彼女は氷の上を踊るように滑っていき、私にお礼を言ってから洞窟を出ていった。
あんなに動きにくそうな着物で、この洞窟を抜けてきたのだろうか。そう思い、私の胸には尊敬の念が湧き上がった。

山に囲まれた町、フスベシティはドラゴン使いを目指すトレーナーが修業を積むところらしく、此処にあるジムもドラゴンタイプを専門とするジムだった。
ドラゴンタイプには水タイプや炎タイプ、電気タイプなどの技があまり効かないらしい。
ジムトレーナーが繰り出してくるポケモンは、旅の中でも殆ど見かけない珍しい技ばかりを繰り出してきた。
シードラとの戦いをチコリータの火力で強引に押し切り、ハクリューとのバトルではトゲキッスが器用に立ち回ってくれた。

ジムリーダーのイブキさんに勝利したものの、彼女の指示でジムの裏にある龍の穴に入り、そこでジムバッジを受け取れるか否かの最終チェックが行われることになった。
私にとっては当たり前の質問ばかりだったけれど、ふとシルバーのことが頭を過ぎった。
彼もポケモンのことが好きで、ポケモン達を大切に育てている。しかし彼の性格上、人前でならその優しい心を偽るために、簡単に嘘の証言をしそうだ。
そんな彼を案じたが、おそらく杞憂だろう。私よりもずっと長く生きているこの長老さんなら、彼の嘘など簡単に見破ってしまうに違いない。

ジムバッジを受け取り、フスベシティの南にある道をひたすらに真っ直ぐ進むと、見慣れ過ぎたワカバタウンに続く29番道路へと辿り着く。
折角だから、皆に顔を見せて来よう。そう思いワカバタウンへと足を運んだ。

その自宅前で私を待っていたのは、真っ黒なスーツに身を包んだお姉ちゃんだった。
「そろそろコトネが来ることかなと思って、待っていたの」そう答える彼女は、エスパーの才能まで持っているのかもしれない。
そんなことを考えていると、彼女は私の右手を取り、小さな2つの鈴を握らせた。どちらも淡い銀色をしていて、その内の1つは光にかざすと少しだけ景色が透けて見えた。
海鳴の鈴と透明な鈴というのだと説明してくれた後で、お姉ちゃんは楽しそうに肩を竦めて微笑む。

「それを持って、スズの塔と渦巻き島にいっておいで。きっと私のお友達に会えるから」

「お友達……?」

「あ、でも先に、エンジュシティのまいこさんに会いに行ってね。
今は彼女達が、お友達を呼ぶ儀式を担当しているらしいから。最初はそれがないと、出てきてくれないと思うの」

彼女の語る「お友達」に、私は心当たりがあった。
エンジュシティのジムリーダー、マツバさんが追い求めている伝説のポケモン。彼がひたすらに焦がれているホウオウと、お姉ちゃんはとっくの昔に心を通わせていたのだ。
それは私や、弟のヒビキにしか知らされなかった、私の小さな世界の人間だけが知る秘密だった。
同様に、スイクンを彼女が捕まえていることもまた、家族だけの秘密だった。……こちらは私の失態のせいでミナキさんに知られてしまい、今では過去形になってしまったけれど。

「私も久し振りにお友達に会いたかったんだけど、これから初仕事なの。コトネが作ってくれた、私の一番大切なお仕事」

お姉ちゃんは歌うようにそう紡いで笑った。私は慌てて彼女の背中を押す。

「こんなところで私を待っていてよかったの?初仕事、遅刻しちゃ駄目だよ」

「あら、大丈夫よ。あの子に来てもらえばあっという間に着くから」

そう言って、彼女は親指と人差し指を少しだけ口にくわえ、鋭い口笛を鳴らした。
ワカバタウンに吹く風は、その音を遠くまで運んだらしい。暫くして、何処からともなく現れたスイクンに彼女は飛び乗る。
今にも走り出しそうなスイクンに、しかし彼女は「待って」と指示し、ポケットから紫色のボールを出して私に投げた。
私は落とさないようにと慌てて駆け寄り、それを受け取る。変わったモンスターボールだ。「M」と小さく書かれている。

「それはおまけ。お気に入りのポケモンを見つけたら、使ってあげてね」

彼女はそう言い残し、スイクンと共に、風のように走り去っていった。
私もボールからトゲキッスを出して、背中に乗った。ヒビキやお母さんに挨拶をすることができなかったのが少しだけ残念だけれど、今は一刻も早くエンジュへと向かいたかった。

エンジュシティの踊り場には、5人のまいこさんが揃っていた。
彼女達は珍しいポケモンであるイーブイの進化系をそれぞれ連れていた。チコリータで辛くも勝利を収め、お姉ちゃんが預けてくれた2つの鈴を見せる。
そして私は、スズの塔と渦巻き島に入る資格を得た。

スズの塔へと続く鈴音の小道には、真っ赤な紅葉が「咲き乱れて」いた。
葉っぱが咲く、という表現は適切ではないけれど、まるで満開の桜が散るように、真っ赤な落ち葉は風が吹く度にひらひらと降ってきたのだ。
お姉ちゃんが好きそうな場所だ、と思った。読書家で静かな場所を好んだ彼女なら、きっと気に入るだろう。
まさにこの場所でお姉ちゃんとアポロさんが邂逅を果たしたことを、私はもっと、ずっと後になって知るのだけれど。

スズの塔、最上階でのまいこさんの演舞と共に、私の持っていた透明な鈴が眩しく光り始める。
空高くから舞い降りてきた虹色の翼を持つ大きなポケモンは、私の目の前に降り立ち、私をじっと見つめた。
私は息をすることすら忘れて、ホウオウと対峙していた。

とても長い時間を使って、私は考えていた。
ただ必死にこの塔を上ったけれど、私はホウオウに会って何をしたかったのかしら、と。
もしお姉ちゃんがこのホウオウを捕まえていて、スイクンのように普段はボールから出しているだけだとしたら、私がホウオウを捕まえようとすることは犯罪になってしまう。
あるいは、お姉ちゃんがホウオウを捕まえず、あくまでもこの存在を伝説のものとしておくことを選んだのなら、私がその意志を踏みにじる行為を選択することは許されない。
いずれにせよ、私はきっと、この存在に会いたかっただけなのだろう。

伝説のポケモン、ホウオウを前にして私がしたことは、戦うことでもなく捕まえることでもなく、ポケモン図鑑を取り出して、登録することだった。
ピコン、という認識音が鳴ってから、私は口を開いた。

「私は、クリスの妹です。会いに来てくれてありがとう。……お姉ちゃんに、よろしくね」

ホウオウは暫く私を見下ろしていたが、やがて鋭い一鳴きをすると、大きな翼を羽ばたかせて飛んで行ってしまった。

「!」

私は空を見上げ、息を飲んだ。
雨が降った訳でもないのに、空には眩しい虹が掛かっていたのだ。アーチを描くようなよく見る虹ではなく、天へと伸びる、梯子のような虹だった。
ホウオウが飛び去った後には不思議な虹が見えるのよ、というお姉ちゃんの言葉を思い出した。

そして私は、渦巻き島でも同じようにルギアとの邂逅を遂げる。
しかし、またしても私は、戦うことも捕まえることもしなかった。
そしてまいこさんには「私がホウオウやルギアと会ったこと、誰にも言わないでください」とだけ告げた。
伝説は伝説のままの方が素敵だと思ったし、それを破っていい人物がいるとすれば、それは私ではないことを知っていたからだ。

彼女は私よりもずっと強い力を持っている。きっと、ホウオウやルギアだって、捕まえようと思えばボールの中に収められる位の、十分な力を持っている。
しかし、彼女は敢えて捕まえることをしなかった。伝説を伝説のまま生かし、彼等を「お友達」とすることを選んだのだ。
奔放でマイペースなお姉ちゃんらしいと思ったが、得られる筈の力をいとも容易く手放してしまえる、その果断は、私には到底できそうになかった。
それは私が初めて抱いた、限りなく強い尊敬の感情だった。

それからワカバタウンに戻った私は、ヒビキに2つの鈴を預けた。
ジョウトでの旅の話を一通り話した後で、私は私の小さな世界を飛び出す。
東の海を少し渡れば、カントー地方が私を迎えてくれた。チャンピオンロードまで、もうすぐだ。

2014.10.27
「感服」

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