ミルクパズル

10

チョウジタウンの土産物屋さんは、ロケット団に乗っ取られていた。
隠し扉を見つけて、地下へと進むと、そこはロケット団のアジトになっていて、ワタルさんと私は手分けして中を調査することにした。
チコリータは相変わらずの活躍ぶりを見せている。ひかりの石で進化したトゲキッスも、新しい技を豊富に覚えて、相手の弱点を簡単に突けるようになった。
ロケット団員のあまりの数の多さに圧倒されながら、戦った人数を数えきれなくなってきた頃に、私はシルバーと再会することになる。

ロケット団のアジトで彼と再会する意味を、私は正しく理解すべきだった。
つまり、彼も私やワタルさんと同じように、ロケット団が行使する理不尽が許せなくて、こんなところまでやって来たのだろう。
ロケット団が嫌いだ、としか彼は口には出さないが、その底にあるものは同じだと信じられた。

「またお前か。……また会うだろうとは思っていたが」

「それって、私がロケット団と戦うことが分かっていた、ってこと?」

「とぼけるなよ。「おかしな世界を変える」だとかいう大きな戯言を、お前が言ったんじゃないか」

呆れたようにそう言った彼に、私は肩を竦めて笑った。
私の決意の一言を、彼が覚えていてくれたことが単純に嬉しかったのだ。

「そうだ、シルバーもジョウトを旅しているんだよね」

「ああ、そうだが」

それは本当に唐突な思い付きだった。こんなことを彼に尋ねたのが良くなかったのだ。
何故この時に彼女のその言葉を思い出したのかは分からない。
ついさっき、彼女と会話をしたからかもしれない。もう直ぐコトネは気付いてしまう、という言葉が気に掛かっていたのかもしれない。
いずれにせよ、彼女の珍しい私への「お願い」を、私は叶えてあげなければいけなかった。だから私は、その為なら彼の力をも借りようと思ったのだ。

「私、お姉ちゃんに頼まれて、ある人に手紙を渡さないといけないの。お姉ちゃんにとても似ている人だって言っていたんだけど、シルバー、こんな人を何処かで見なかった?」

私はポケギアの裏に貼ってある小さな写真を見せた。私と弟のヒビキ、それにお姉ちゃんが映っている。これがお姉ちゃんなんだけど、と彼女を指差してシルバーに尋ねた。

「私が旅を続ければ、きっと出会うって言われたの。でも今まで挑戦したジムリーダーにも、戦ったトレーナーにも、こんな人は居なくて。
お姉ちゃんにそっくりな人なんて、絶対に私が見逃す筈がないんだけどなあ。……あ、お姉ちゃんは女性だけど、私が探しているのは男の人だからね」

面倒そうに視線を写真に落とした彼の表情が、一瞬にして固まったのを私は見逃さなかった。間違いなく、それは心当たりのある顔だった。
会ったことがあるの?何処で?と、私は彼に詰め寄る。しかし彼は口を閉ざし、すぐには答えてくれなかった。
写真と私とを交互に見比べるようにして、眉をひそめ、彼らしくない、探るような控えめな声を紡いだ。

「お前の姉は、「お前が旅をしていればきっと出会う」と言ったのか?」

「うん、そうだよ」

「お前がヤドンの井戸でロケット団を倒したことを知っているのか?」

「知っているけど……」

答えてから私は「あれ?」と思った。どうして今、ロケット団が出てくるのだろう。今は私のお姉ちゃんが探している人の話をしているのに。
そこまで考えて私は気付いた。気付いてしまった。

コトネはこれからの旅で、私にそっくりなお兄さんに出会う筈だから、彼に渡してほしいの。』
コトネは強いね。私も、コトネみたいな真っ直ぐな正義感が欲しかった。だから、時々、コトネのことが少しだけ羨ましいなって、思うことがあるの。』
『もう直ぐ、コトネは気付いてしまうと思うの。きっと私は軽蔑されてしまうね。』

そういうことだったのだ。彼女が「その人に出会う筈だ」と確信していたのも、私の正義感を羨ましいと言って悲しそうに笑ったのも、「私を軽蔑するだろう」と言ったその意味も。
彼女は全て知っていたのだ。知っていて、敢えて私には黙っていたのだ。

「名前はアポロ。お前の言う「おかしな世界」を束ねる人間だ」

知ってしまえば、私が躊躇うことを解っていたから。
彼女を軽蔑し、自分の行動を疑い、彼等と対峙することを恐れると知っていたから。

「そいつは、ロケット団の最高幹部だ」

私から目を逸らして、シルバーは淡々と紡いだ。
私はどんな顔をしていたのだろう。泣きそうな顔をしていたのだろうか。それとも叫び出しそうな、狂気に満ち溢れた表情だったのだろうか。
いずれにせよ、私は彼から与えられた情報と、私自身が気付いてしまった真実とを整理するので精一杯だった。
それは私が初めて抱いた、訳が分からなくて叫び出したくなりそうな、切羽詰まったギリギリの感情だった。

お姉ちゃんの探している人は、ロケット団の最高幹部だった。
そして彼女は、私がロケット団と戦い続ければ、いずれは最高幹部であるアポロさんという人と出会うだろうことを予測していた。
予測していながら、彼女は私の進む道を否定せず、寧ろ「コトネは間違ってない」と言って笑い、私の背中を押すような真似までしたのだ。

きっと彼女は、アポロさんという人のことが好きなのだろう。『きっと私は軽蔑されてしまうね』とは、そういうことだったのだ。
相手が悪いことをしている人だと知っていながら、好きになってしまった。それが私のような人間に受け入れられないことだと知っていながら、彼女は彼を探していた。
どういう経緯で二人が知り合い、手紙を送るような仲にまでなったのか、私には分からない。お姉ちゃんのことは、やはり私には難しすぎて、分からない。
私に分かるのはやはり、私のことだけであった。
ただ分かるのは、それまで私の中で「ロケット団を倒すこと」に歯止めをかける要素など一つもなかったのに、それが大きく揺れているということ、だけであった。

私はロケット団を倒してもいいのだろうか?

それまで私が貫いてきた、絶対的な価値観が大きく揺らぎ始めていた。
私はどうすればいいのだろう?
それは私が初めて抱いた、両腕を左右から引っ張られて引き千切られる、そんな痛みを伴う感情だった。
ロケット団のしていることは許せない、と思う。おかしな世界を利用して悪いことをする人を、警察が動かないからといってこのまま見過ごすわけにはいかない、と思う。
しかし、その最高幹部がお姉ちゃんの探している人で、しかもきっと、お姉ちゃんはその人のことが好きなのだ。

彼女の大切な人の組織を、私が壊してしまうかもしれない。
今まで考えてもみなかった、ロケット団の人達のことを思って私の心は揺れた。
もしロケット団が再び解散したら、今まで私が戦っていた団員達の居場所を奪ってしまうことになる。
居場所を失った団員達の、生きる場所は他にあるのだろうか?彼等の新しい居場所を、誰か作ってあげるのだろう?

『私も、コトネみたいな真っ直ぐな正義感が欲しかった。』
そう言った彼女は、きっと全て知っていたのだ。ロケット団を解散に追い込んでしまえば、多くの人が居場所を失うこと。
私の「真っ直ぐな正義感」は、それらを知らないことで初めて成り立つものだったのだ。
つまりはきっと、無知であることもまた、勇気を生むのだ。

それでも、全てを知っている筈のお姉ちゃんは、無知な私の幼稚な正義を止めない。

「お前はどうするんだ」

私の沈黙に付き合ってくれていたシルバーは、怪訝な顔をして口を開いた。

「俺はロケット団が嫌いだから倒すだけだ。そこに余計な気遣いは必要ないし、するつもりもない。
お前があいつらに同情したいなら、好きにすればいい。お前がいなくたって、俺は一人でもロケット団を倒せるからな」

「……」

「ただ、お前の姉がお前を止めなかった理由が何となく解るから、俺は「ロケット団と戦うのは止めておけ」とは言わない」

シルバーは信じられないことを言う。
お姉ちゃんのことをよく知っている私でさえ、彼女の意図がよく解っていないのに、シルバーは私からのほんの少しの又聞きで、彼女の本音が解るという。
それが本当だと信じたくなかった。しかし彼を疑うこともしたくなかった。

「じゃあな」

「ロケット団と戦わないの?」

「……ああ。今日は、気が変わった」

彼は踵を返して私から遠ざかる。引き留めることもできたかもしれない。
しかし、それを忘れる程に私は追い詰められていた。今は一人になりたかった。
それは私が初めて抱いた、苦しい現実に蓋をしてしまいたいと願う、少しだけ狡い感情だった。

2014.10.26
「混乱」「葛藤」「逃避」

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