<ミヅキ>
本当に来てくれるなんて思っていなかった!とても、とても嬉しかったです。
あなたはとても忙しい人だから、こんなところにはもう来ないんじゃないかって、あれが最後だったんじゃないかなって、お別れの言葉を書いておけばよかったなって、
そんなこと、色々と考えていたのに、あなたがまた来てくれたから、そうした私の考えていたこと全部、無駄になってしまいました。
私、あなたのことが好きです。好きになったんです。なれていたんです。
大好きっていう気持ちは、強迫的に奮い立たせて組み立てていくものなんかじゃなくて、自然と、いつの間にかそうなっている、胸の奥から湧き出てくるものなんですね。
そんな当たり前のことに私は気が付かなかった。私にとってはそんな幸せな「大好き」は、ちっとも当たり前のことなんかじゃなかった。
あなたは、私を笑いますか?
あなたに大切だって、君を見限ったりしないって言ってもらえたことが本当に嬉しかった。
私もあなたのことが好きです。きっと大好きです。もしこれからあなたが私を嫌いになったとしても、きっと私はあなたのことが好きなままだと思います。
だって私は、あなたに大切だと言ってもらえたからあなたを好きになれた訳じゃないんです。
あなたとぶつけ合った沢山の言葉が、私に、大好きだって気持ちを沸き立たせてくれたんです。
船の上であなたと話をしているとき、私も、私が小石であることを忘れていました。私も、あなたと同じでした。
私はそれがとても嬉しいから、私も、あなたに嘘を吐きたくないから、私のこと、話します。
私はカントー地方の人間です。数か月前にアローラに引っ越してきました。
カントーでの私はとても地味で、でも毎日が楽しかった、幸せでした。
けれどそんな幸福なんか、この広い世界や周りの人にとっては本当にちっぽけな、どうでもいいことでしかないんだということが解ったんです。
だから私、アローラではもっと上手くやろうと思いました。でも、できませんでした。
私、お蕎麦が好きなんです。お味噌汁やわらび餅が好きです。アスファルトに揺らめく蜃気楼が好きです。高いビルの隙間からちょっとだけ覗く青い空が、好きです。
マラサダは食べられないし、カラフルな色の甘いだけのゼリーは苦手です。地面や木の匂い、潮風がとても怖いんです。暑い日差しが辛くて、溶けてしまいそうでした。
アローラのこと、大好きになりたかったんです。本当です。
でも思っていた以上に大変で、アローラを大好きになるには、カントーで生きてきた私の、大好きだったものを全部捨てなきゃいけなくなりました。
だって、お蕎麦やわらび餅を名残惜しく思ったままだと、やっぱり、マラサダを食べることができないんです。甘いだけのゼリーを美味しいって思えないんです。
でも、どれだけ捨ててもやっぱり私、いつまでも余所者なんです。
どれだけ媚びを売っても、輝かしいところに立つことを許されても、私はやっぱりアローラの人じゃないんです。アローラに溶け込んだ振りをすることさえできないんです。
アローラの旅はとても楽しかった。面白いこと、わくわくすること、アローラには沢山、沢山ありました。とても幸せでした。
でも、それが本当に楽しいことで、本当に幸せなことだったのか、私にはもう自信がありません。
楽しい、幸せ、大好きって、数え切れない程に言い聞かせてしまったから、私は今、私の心が何処にあるのか分かりません。
この「大好き」と「楽しい」と「幸せ」が、本当のものかどうか分かりません。
カントーでの私はとても幸せでした。幸せだったと思っていました。愛されているって、キラキラしていられているって、思っていました。
でも、他の人にとっては全くそんなことはなかったんです。私の幸せなんか、とても小さくて頼りないものでしかなかったんです。
そんなこと、知らなければよかったって思います。そうすれば、私がどんなにちっぽけな存在だったかを知らないまま、小さな幸せが、かけがえがないものであると信じていられたのに。
でもきっと、いずれ知ることになったんですよね。大人になるってもしかしたら、そういうことなのかもしれないですね。
でも、ここからどうすればいいのか、解らない。
私はちっぽけでつまらない、何の取り柄もない人間です。たとえ輝いていたとしても、私の肩書きが素晴らしいものだったとしても、やっぱり余所者だから溶け込めないんです。
そんな私がこれからどうやって生きていけばいいのか、どうやって、そっちの世界で笑えばいいのか、解らないんです。考えても、馬鹿な私じゃ答えを見つけられないんです。
ザオボーさん、私、まだ頑張って生きなきゃいけないんですか?
<S>
おや、偶然ですね。わたしもソバは好きですよ。
わさびという香辛料もなかなかに面白いものでした。君はお子様ですから、ソバのつゆにわさびを混ぜるといったことはまだ、しないのでしょう?
現地のものには劣ってしまうと思いますが、茹でて食べられるソバを取り寄せておきました。
どうしてもカントーが恋しくなったなら、エーテルパラダイスに来るといいでしょう。きっとビッケが上手に茹でてくれるでしょうから。
しかし、君が生きることから逃げようとしていたとは、流石のわたしも気が付きませんでした。
わたしはてっきり、君が-38℃の水銀と一緒に眠ったのは、同じく水銀のように冷たく孤独を極めた彼女と同じ温度になるためなのだと思っていました。
あの水銀は代表そのものであり、君は代表にとてもよく似たあの宝石と共に眠ることで、彼女の孤独を埋めようとしていたのだと、
あれは真に、彼女のための行為であり、幸せそうに微笑んでいた君は、あまりにも残酷な献身を為していたのだと。
けれどミヅキ、君はあの氷の中で二度と目覚めないつもりだったのですね。あれは君の逃避であり、君のための行為でもあったのですね。君にも割のある眠りだったのですね。
いやはや、してやられましたよ。君はわたしの思っている以上に強かで、脆い子供だったのですね。
ええ、そういうところも嫌いじゃありませんよ。お子様らしくはないかもしれませんが、とても君らしいじゃないですか。
けれど、やはり頂けないですねえ。
休んだっていいじゃないですか。怠けたってよかったじゃないですか。
君は欲張り過ぎた。だから今は好きなだけそこで休んでいるといい。君はそれだけのことをしたのです。君には十分に休む権利があるのです。
勿論、君が頑張っていなかったとしても、誰にだって休む権利はあるのです。
何処にだって逃げればいいじゃないですか、君は最高の避難場所を手にしている。だから今は思う存分逃げていなさい。
ただし、一つだけ逃げてはいけないものがあるのですよ。君は馬鹿だけれども聡い子だ。それが何か、ちゃんと解っているでしょう?
死にたいなら死にたいと喚きなさい。生きたくないならそう吐き出して駄々を捏ねなさい。しっかりしろと叱咤する連中を殴り飛ばして、傲慢に粗暴に生きなさい。構いません。
でも本当に死ぬことだけは許しません。わたしよりも先に死なれてはわたしが許せません。
君に、わたしの生きている世界が見限られたなどということがあってたまるものですか。
世界を、幸福を、生きることを見限るには、君はまだ幼すぎる。
君にはこれから楽しいことが沢山あります。今は信じられないかもしれませんが、そうしたこと、これからの君の物語の先で、沢山、君を待っているんです。
それは少なくとも、君がずっとそこにいるだけでは手に入りようのないものです。
今の苦痛だけを見て、何もかもから逃げて、逃げられる筈のないものから逃げようとして、本当に君自身の首が締まってしまうなんて、
そんなこと、あまりにも馬鹿げているとは思いませんか?
けれどよかった、と思います。君の本意ではなかったにせよ、情に絆された愚かなわたしはあの時、君の氷を溶かすことができたのですから。
君が、生きていてくれたのですから。
……ああ、そうだ。カントーに住んでいた君なら「抹茶」は当然知っていますよね?
わたしはつい先日、ソバをネット経由で注文したのですが、その時に偶然、抹茶プリンというものを見つけてしまいましてね。
いい緑色をしているじゃありませんか。君も知っているかもしれませんが、わたしは緑が好きなのですよ。落ち着きのある、いい色でしょう?
残念なことにわたしの目は緑ではありませんから、大きな緑のサングラスで誤魔化しているのですよ。
わたしは別に、今のわたしの目を嫌っている訳ではないのですが、誰だって好きなものに囲まれて生きていたいと思うものでしょう?
君も、代表も、わたしもそうです。誰もが歪で、誰もがおかしかった。おかしいことは個性です。君のそれだって、かけがえのないおかしさなのですよ。
おや、少し逸れてしまいましたね、話を戻しましょう。その抹茶プリンを先日、試しに5つ購入しました。
流石に一人で全てを食べようとする程、わたしは食い意地が張っている訳ではありませんでしたので、グラジオ様とビッケに1つずつ渡しておいたのです。
……わたしが渡したのは1つずつでしたから、わたしの手元には3つのプリンが残る筈でした。けれど先日、冷蔵庫を開けると、もうそこにわたしの分のプリンはなかったのです。
グラジオ様が追加で1つ、ビッケに至っては2つも多く食べてしまったようです。なかなかどうしてはしたないことじゃありませんか。
グラジオ様もビッケも良識のある人間だった筈なのですが、そんな二人にそこまでさせる程の抹茶プリンとやらに、どうにも興味が湧いてきましたよ。
是非、カントーの話をもっとしてください。カントーには美味しいものが他にも沢山あるのでしょう?
君はお子様ですが、美味しいものはよく知っているようですから、わたしも君から学ばせていただくことにしましょう。
急かす意図はありませんが、できれば君の下手な文字ではなく、君自身の煩い声で、君の本当に大好きなものの話を、してほしいですね。
君が最後に書いた質問に答えましょう。君は頑張らなくてもいい、けれど生きなければならない。
……この答えに納得がいかないのであれば、君自身で答えを探しなさい。生きなくてもいい理由を探すために、生きなさい。
君の足掻きを、見せてください。勿論、足掻かないまま、生温く生きてくださってもわたしは一向に構わないのですよ。
わたしが憎いならそう言いなさい。嫌いになったのならそれでも構いません。
けれど、君の言葉を絶やさないでください。君から返事を貰えないと、わたしはとても苛々してしまうものですから。苛々して、憤って、そして、悲しくなってしまうでしょうから。
2017.1.20