3つ目の島で、とても楽しい人を見つけた。白い髪に壊れたサングラスをかけた、目つきの悪い男の人。私を「壊し甲斐のある奴」と称した、少しおかしな、少年みたいな大人。
マリエ庭園でのバトルを終えて、彼は周りの全てを憎むかのように睨み付けながら、緩慢な足取りで私の真横を通り過ぎていった。
ククイ博士の言葉に従って、このおかしな大人と戦うこと。そして勝利すること。彼をこの庭園から追い出すこと、後からやってきたリーリエやハプウに笑いかけること。
そんなことは当然のことで、ありふれたことだ。相当の実力を持つポケモントレーナーなら誰だってできること。
そう解っていたから私は、彼女達への挨拶もそこそこに庭園を飛び出した。
和風の景観の中に消えゆく白い髪を見つけた瞬間、私の足は翼のように大きく羽ばたき、アスファルトを滑走した。
私がこっそりと彼の後を付けたのは、当然のことであったのかもしれなかった。だって私は皆と違うことがしたいのだ。
あのマリエ庭園で、ククイ博士とこの人の言い争いを怯えながら遠巻きに見ていた人たちの、その中の一人にはなりたくなかった。私はいつだって、おかしな子でいたかった。
だから私は彼の名前を呼んだ。このおかしな大人を恐れ、嫌うことなど誰にだってできることだから、私は私にしかできないことをするために、彼を呼んで、笑いかけた。
「グズマさん、こんにちは!」
彼は振り返り、私の目ではなく、私の左手をじっと見つめた。射るような目を益々鋭くさせて、私の方へと歩み寄ってきたのだ。
私はいつものように笑みを崩さず、「どうしたんですか?」と問いかけてみた。
私の左腕が、彼の、爪を切ることを忘れた、他者を傷付けることに特化し過ぎた指にぐいと掴まれた。彼の白い爪が私の手首に刺さって、少しばかり痛かった。
「お前、これを何処で手に入れた?」
「Zリングですか?メレメレ島で私、守り神って呼ばれているポケモンに出会ったんです。それで、」
「そうじゃねえ、この指輪だ!」
ああ、彼は私の手首ではなく私の小指を見ていたのだと、理解して私は益々笑顔になった。
「大好きな人からのプレゼントです」と得意気に告げれば、彼はそのまま私の手首を掴んで、くるりと捻った。まるで小枝を手折ろうとしているかのようだった。
悲鳴を上げることすら忘れていた。激痛に全身の力がふわっと抜けて、ぺたりとその場に膝を折った。
痛い、とようやく声にすることの叶った私は、もしかしたらこの人に殺されてしまうのではないかと思った。
「ああそうかい、そうかよ!結局オレも利用されていただけだったってことかよ!オレでもお前でも、強けりゃ誰でもよかったのかよ!」
「待って、グズマさん、何のこと?」
素っ頓狂な声音でそう尋ねれば、彼は毒気を殺がれたようにぱっと私の腕を離した。
掴まれていた方の腕に力を込めれば、痛んでいたものの特に問題なく動いてくれて、よかった、折れてはいないらしいと安心することができた。
まだ子供の、少女の様相を呈した私の腕を、折れてしまいそうな程に強い力で捻り上げたこの男性は、やはりどこかおかしいのだろう。
彼はぶっ壊すことが大好きであるようだったけれど、彼自身もぶっ壊れているようだった。この人もおかしいのだ。この人もきっと、自身にしかできないことが欲しいのだ。
そう認めれば、ふわふわと温かい心地が胸を満たした。図体の大きなこの男性が、まるでハウよりもずっと年下の子供のように思われたのだ。
「大丈夫ですよ」
「はあ?」
「貴方がどれだけ私を憎んでも、嫌っても、八つ当たりをしても、私、貴方のこと大好きになってみせますから!」
小さな子供をあやすようにそう告げれば、彼は何故か泣きそうに顔を歪めた。
「それに、貴方じゃ私を壊せませんよ。だって貴方、私よりずっと弱いんだもの」と、極めつけにそうした挑発の文句を告げて立ち上がり、右手で彼の腕をぐいと引いた。
おい待て、と私を恐れるかのように声を震わせる彼に振り向き、私はいつものように笑ってみせた。
この人は人を恐れさせることには随分と慣れている癖に、自分が恐れることには慣れていないのだ。
おかしな人、少年みたいな幼い人。だからきっと好きになれると思った。この人を好きになることだって、きっと「普通」ではできないことなのだ。
*
「グズマさん、甘いものが好きだったんですね」
「悪いかよ」
「いいえ、私とお揃いだから嬉しくなったんです。エネココア、とっても美味しいですよね!」
ポケモンセンターのカフェスペースで、丸いテーブルを挟んで座った。同じ飲み物の入った白いカップが2つ並んでいる姿は、ひどく愛らしいもののように私の目には映った。
その突発的な癇癪も、意味もなく喚き散らすところも、泣きそうに顔を歪めるところも、甘党なところも、悉く普通の大人から外れすぎた様相を呈していた。
だから私は嬉しくなって、いつもより饒舌に言葉を紡いだ。
彼はうんざりした様子で向かいの椅子に座っていたけれど、エネココアを飲み残して席を立つことはしたくなかったのか、それとも自身より強い実力を持つ私を恐れているのか、
私の制止を振り払ってポケモンセンターを出ていくことはせずに、至極適当な相槌を打ちながら私の話を聞いていてくれた。
無視を決め込むことのできない、そうした申し訳程度の慈悲を残しているところさえも、まるでぐらぐらと揺れる子供のようだと思った。
「あの人、……代表とは何処で知り合った?なんでお前は「代わり」なんかやろうと思ったんだ?」
そんな彼が初めて私に質問を投げた頃には、もう甘い飲み物の入ったカップは空っぽになってしまっていた。
何か他に甘いものはなかったかしら、と考えて、鞄の中からリンゴ味のキャンディを取り出して渡した。彼はお礼も言わず、乱暴な手つきで受け取った。爪が再び手の平を掠めた。
中身を取り出して口の中へと放り込むや否や、ぼりぼりと乱暴な音を立てて噛み砕き始める彼がおかしくて、
私も同じことをしようとキャンディに歯を立てたけれど、私の顎の力が弱すぎるのか、彼のように軽快に噛み砕くことができなかった。
途中で飴を「ぶっ壊す」ことを諦めた私を、彼は馬鹿にするように笑った。
けれどそんな余裕の表情は、「私がグズマさんを大好きになろうと思ったのと同じ理由ですよ」と壊しきれない飴を口に含んだままに告げるだけで、
まるで笑った事実などなかったかのように、さっと霧のように消え失せてしまった。
不安そうに、泣きそうに顔を歪めるこの人を、どうして皆は恐れているのかしら、と少しばかり疑問に思った。
けれど彼が皆に恐れられて孤独を深めている様というのは、私にとっては寧ろ都合がよかったのだ。彼と同じように、私だってきっと「ぶっ壊れている」のだから。
この破滅的な「お揃い」を、他の人にみすみす譲ったりするまいと、本気で思っていたのだから。
「貴方は自分が一番強いことを知らしめたいんですよね。それが貴方の信念なんですよね。そのために貴方は歪んだことをする。その気持ち、とてもよく解ります」
「……へえ、じゃあ聞いてやるよ。お前がぶっ壊れている理由は何だ?お前をぶっ壊している信念ってのは、どれだけ歪んでいやがるんだ?」
「え、聞いてくれるんですか?あはは、少し恥ずかしいなあ」
勿体ぶらずにさっさと言え、とその不機嫌そうな顔に書いてあったので、私はいつものように笑いながら口を開いた。
「私はお姫様になりたかった。騎士に、剣に、勇者に、魔法使いになりたかった。
でもなれなかった。だからせめて、舞台から降ろされないように、排斥されないように、怯えながら頑張っているんです。滑稽でしょう?」
彼は笑わなかった。泣きそうに顔を歪めることもしなかった。
この、歪みを呈した少年のような彼が、至極真面目に私の言葉に耳を傾けてくれていることが解ったから、私の言葉を覚えてくれようとしていることが解ったから、
今この瞬間、私は彼にとって「替えの利かない存在」になろうとしていることが解ったから、……それがどうしようもなく嬉しくて、私は更に続けた。
「異常なことをしなければ私の価値は手に入らない。危険なことをしなければ誰も私を覚えてくれない。私は、私にしかできないことが欲しい!」
私が「普通」に甘んじている限り、世界は私を置いて美しく回るだろう。私はそれがどうしても耐えられなかった。
私がいなくても、私が去ったカントー地方はあまりにも賑やかに、和やかに回っていた。まるで私など最初からいなかったかのように、あの世界は完璧なまま、私を忘れた。
今度は、そうなりたくなかったのだ。どんな形であれ、私はこのアローラという美しい場所に何かを刻みたかった。代わりの利く端役には、忘れ去られる小石には、なりたくなかった。
「貴方を嫌ったり恐れたりすることなんか誰にだってできる。だから私、貴方を大好きになることにしたんですよ」
そうした、悉く歪な様相を呈した私を、彼は豪快に笑って許した。
「お前をいつか壊してみてえなあ」と、一瞬だけ緩められた眼差しの奥で彼はそう呟いた。今度は私が豪快に笑って、「そんなことさせませんよ」とからかうように言い返した。
「オレにぶっ壊されることなんか「誰にだってできる」からだろう?」
「あれ?……ふふ、どうして私の考えていることが解るんですか?」
「オレだってぶっ壊れてるからな。ぶっ壊れてる奴のことは誰よりもよく解るんだよ」
ああ、この人ともお揃いなのだと、そう繰り返せばどうしようもなく嬉しくなった。だってどうにもこの人との「お揃い」は、特別であるような気がしたのだ。
ザオボーさんは各々の歪んだ個性の足並みが揃うことなど在り得ないと言っていたけれど、この人の歪みはとても、私に似た造りをしているのではないかと思ってしまったのだ。
彼は誰よりも強くなるために歪みを呈した。私は私にしかできないことを見つけるために歪みを呈した。
彼は誰もを憎んでいなければ泣きそうな顔になってしまう。私は誰もを大好きでいなければ喉がカラカラになってしまう。
悉く対極に在り、その実、とても近い位置に私達の歪みはあった。だから、彼と飲んだエネココアは、今まで飲んだどんなものよりも、甘くて苦くて、美味しかった。
2016.11.25