11

ライドギアでリザードンを呼び出して、1番道路へと飛んだ。
ご機嫌な鼻歌が、ドアを開ける前から聞こえてきた。バルコニーでお日様の光を浴びて、楽しい気分になっているのだろう。ママはカントーにいた頃から、日光浴が大好きだったから。
くるりと庭からそちらへ回り込んで「ただいま!」と声を上げれば、ママは大袈裟に驚いてから、いつもの笑顔で「おかえりなさい!」と、私の突然の帰宅を許してくれた。

「ママの作ったご飯が食べたくなって、戻って来ちゃった!」

肩を竦めてそう告げれば、彼女は「あらあら」と嬉しそうに頷いて、冷蔵庫の中を確認するために足早に家へと入っていった。
私も家に入り、ニャースを抱き上げて頬擦りしながらソファに勢いよくダイブした。
カラン、と氷がグラスに落ちる音がしたので嬉々として顔を上げれば、ガラスのコップに注がれたパイルジュースをママが運んでくれているところだった。
ありがとう!とお礼を言って、ストローを咥えて、一気に半分までずいっと飲んでしまった。
「そんなに慌てて飲むとお腹を壊すわよ」と、子供への常套句を紡いで困ったようにママは笑った。そんなママに私は、これまでの旅の話を沢山、沢山した。

黄色いお花畑で、透き通った綺麗な羽を持つ小さなポケモンを捕まえたこと。
洞窟を抜けた先に広がる海で、まだ進化していなかったアシマリと一緒に、指先がふやける程に長く泳いだこと。
大きな魚群を為したヨワシと戦ったこと。火山の上で楽しい踊りをガラガラと一緒に楽しんだこと。ジャングルの中でムーランドと一緒に木の実やきのこを探したこと。
エーテルパラダイスという人工島に連れて行ってもらったこと。不思議な、軟らかい硝子のような生き物に出会ったこと。
お洒落な庭園でスカル団のボスと戦ったこと。アローラで2番目に高い山のてっぺんで、パソコンの預かりボックスを管理している男性と出会ったこと。
砂漠を抜けた先に不思議な遺跡があったこと。黒い砂浜に足跡をいっぱいつけたこと。
あんなに小さかったアシマリが、今では2回も進化して、アシレーヌという頼もしくも美しいポケモンになったこと。いつも、私を助けてくれて、私を守ってくれること。
アローラの美しい土地が、そこに住む人が、ポケモン達が、今までもこれからもずっと大好きであること。私は、きっと誰よりも幸せであること。

そうしたことを私は、息を継ぐ暇さえ惜しむように、早口で饒舌に語り続けた。
きっとママには、その全ては伝わっていなかったのだろう。
私の楽しい話にも、危険な話にも、少し人徳に悖るような話にだって、彼女はニコニコと笑いながら「それはよかったわね」と繰り返すだけだったから。
ママは私が家に戻って来て、ママの前でこうして楽しそうに話をしている私にこそ喜びを見出しているのであって、旅の中身には、あまり興味を示していなかったのだろうから。
私が大好きなママに伝えるべきは、私の旅の情報などではなく、「アローラに来て、旅をして、私はとっても楽しいし、幸せだ」という、私の、心からの笑顔であったのだから。
きっとこの優しい女性には、私の大好きなママには、他には何も要らなかったのだろうから。

「私、アローラが大好き!」

そう告げて笑う私こそ、この女性の、最も望む姿であったのだろうから。

夕食は冷製のカボチャスープとチーズオムレツ、それに焼き立てのパンだった。
リリィタウンに家を持つハウのお母さんと、私のママは友達になっていたらしく、「ハウくんのお母さんに教えてもらったのよ」と、得意気にオーブンからパンを取り出していた。
中に甘いコーンが混ぜ込まれたそのパンはとても美味しかった。手の平サイズの小さなものだったから、次々にバスケットへと手が伸びた。
ママはそんな私をとても嬉しそうに見ていたけれど、ふと何かを思い出したように慌てて立ち上がり、ママの部屋へと駆け出して行った。
何か見せてくれるのかな、と思っていると、直ぐに彼女は1冊の本を携えて戻って来た。

「ママの晴れ舞台をハラさんが写真に撮ってくれたの、ほら、見て!」

嬉々としてこちらに差し出されたそれは、どうやらアルバムのようだった。パンの欠片が付いた手をパンパンと適当に払ってから、その表紙に手を掛けた。
開くと、そこにはカラフルなドレスを身に纏い、白や赤の花で作られたレイを頭に乗せて踊る華やかな女性達がいた。
場所はどうやら、ハウオリシティのショッピングモールのようだ。スポットライトの照らされたステージの上で、10人くらいが満面の笑顔で踊っていた。
誰もが心からそのステージを楽しんでいることが分かったから、私も嬉しくなってママを探した。

「……」

ママは、直ぐに見つかった。ステージの隅っこで、スポットライトの光さえ貰えないまま、一番貧相なレイを首に下げて、それでも笑顔で立っていた。
次の写真でも、別のページを捲っても、ママはやっぱりステージの左端で、ライトを貰えないままに笑っていた。
集合写真に至っては、前列の人のピースサインに顔が隠れているという有様だった。
あまりにも惨めな姿に頭がくらくらと痛んだ。こんなアルバム、嬉々として差し出すべきものではない筈だ。

それでもママは笑っていて、とても楽しそうにしていて、けれどスポットライトはただの一度も貰えていなくて、隣の明るいライトのせいでママの足元はとても暗くて、
……そうした何もかもに耐えられなくなって乱暴にアルバムを閉じようとしたその瞬間、ママが私の隣の席に座って、写真の中のそれと寸分違わない、満面の笑顔で口を開いた。

「素敵でしょう?私、アローラのダンスに一目惚れしちゃったから、どうしても舞台に出てみたかったの。皆が私の願いを叶えてくれたのよ」

あの白い床の冷たさが、今頃になって私の心に刺さり始めていた。私の周りだけ、空気が凍っていた。今、私が息を吐いたなら、それは白く染まるのではないかとさえ思われた。
私の心は冷え切っていた。ママの心は浮ついて、熱を持ったままだった。その強烈な乖離が恐ろしくて、私は叱るように、咎めるように口を開いた。

「みっともないよ、ママ」

「え……?」

「ダンスなんてやめた方がいいよ。こういうのはもっとキラキラした、宝石みたいな人が似合うんだよ。私もママも宝石じゃないんだよ。思い上がっちゃいけないんだよ。
ママも排斥されたいの?突き落とされることにびくびく怯えて、ピエロみたいに生きていたいの?違うよね?ママは私よりもずっと賢い筈だもの。私みたいなこと、しないよね?」

栓の外れた水道管のように、ざぶざぶと溢れて私とママの間を満たした、とんでもない言葉の数々は、しかしもうどうすることもできなかった。覆水は盆に返ったりしないのだ。

ミュージカルが大好きだった。絵本も映画も大好きだった。物語の中でキラキラと輝く主人公を追いかける時、私の胸はいつだって高鳴った。
誰もが誰もの思いのままに生きていて、そして皆から愛されていた。誰もが最後には笑うのだ。年端もいかない私に差し出されたのは、そうした、悉く幸福な物語ばかりであった。
そうした私をミュージカルや映画に連れて行き、素敵な絵本を沢山読み聞かせたのは、他でもないこのママであるのだから、
その彼女が私と同じように、みっともないピエロとしてニコニコ笑っていたとして、それはしかし、仕方のないことであったのかもしれなかった。

私達は、同じような夢を見て、同じように生きていたのだ。ママはやっぱり私のママで、私はこのママの娘なのだ。
小石から宝石は生まれたりしない。小石は宝石を育てる術など知らない。ママも私もこうして、この美しいアローラの土地から、静かに、穏やかに排斥されていくしかない。
ママはこうして、排斥されても笑っていられる。けれど私はもう、笑っている振りをすることにいよいよ疲れ始めている。

だって私が宝石だったなら、こんな苦汁を舐めずとも舞台の真ん中に立てるのでしょう?

「でも、みっともなくても楽しいわ。余所者でも、排斥されているのだとしても、それでもママは今がとっても楽しいのよ」

私がとっくの昔に認めてしまっていることを、ママは認めることが叶わない。
宝石のようになるには、彼等と同じ振る舞いをすればいいだけのことなのだと、ママはそんな風に思い上がっている。簡単なことだ、と高を括っている。
けれど違う。私達のような小石と、アローラに住む宝石とは、生まれつき持っているものが全く違うのだ。彼等と同じことをしたって彼等と同じ輝きは手に入らない。
ママは思い上がっている。ママは、小石が舐めるべき苦汁から目を逸らしている。
私はそれがどうしても耐えられなかった。ふざけないで、甘えたことを考えないでと、怒鳴りたくなったのだ。

「それにママは、自分が輝いていないなんてこと、思わないわ。私は、誰にも見つけられずに埋もれていく、小石のような存在じゃないのよ」

「どうしてそんなことが言えるの?だってママ、一度もスポットライトを当ててもらっていないじゃない」

「だってライトなんかなくても、ミヅキはママを見つけてくれたでしょう?」

当たり前のことだ。私は、ママにスポットライトが当たる前からママのことを知っていたのだから。そんなものに価値などない。狭い世界で完結された喜びなんか私は望まない。
けれどママは、たったそれだけのことに喜びを見出そうと努めている。私よりもずっと賢くて立派な筈のママが、私ですら認めていることを認められないままに笑っている。
痛々しい。私は、耐えられない。

「たとえステージの上で輝けなかったとしても、構わないわ。ママの幸せは、ママを本当に知っている人だけに伝わっていればいいんだもの。
だからミヅキも、無理して頑張り過ぎなくてもいいのよ?ミヅキがたとえ輝いていなかったとしても、それでもママはミヅキのことが大好きだから。
ママにとってはいつだってミヅキが一番なんだから。貴方はいつだってキラキラしているんだから、」

「やめてよ!!」

嘘吐き!嘘吐き!ママの夢物語にはもううんざりだ。この美しいアローラは、ママや私の望むような優しい世界じゃない。誰もが主人公になれる世界なんか何処にもない!
これ以上、私に夢を与えないでほしい。私に希望を見せないでほしい。
そんな優しい幻想、何の意味もない。誰もがミュージカルや絵本の中に飛び込める訳じゃない。少なくとも私達は入れない!ただ笑っているだけでは、宝石になんて敵いっこない!

「もうやめて、私はそんなの絶対に嫌!ママに褒められたってちっとも嬉しくなんかないわ!私はもう忘れ去られたくないの!私をなかったことにされたくないの!
私はママみたいに諦めたりしない!自分のところに一度も光が当たらないまま、ステージの一番暗いところで薄ら笑いを浮かべているだけの存在になんか、なりたくない!」

私達は排斥される側なのだ。貴方はそんなことも解らないの?

ママはひどく傷付いた顔をしていたけれど、それでも私のように喚き返すことも、少女のようにわっと泣き出すこともしなかった。
ただ、開かれたままのアルバムに視線を落として深く俯き、叱られた子供のように、深く影を落としていたのだ。
こんな悲しく、苛立った気持ちのままに家を出たくはなかった。けれど今のママに私の歩みを止めることなどできないと解っていたから、私はそのまま、駆け出した。
ドアを閉める直前、私は震えそうになっていた喉のずっと奥から、凛とした声を絞り出した。

「このアローラで生き残るためにはどうすればいいか、私がママに教えてあげる」


2016.12.21

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