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ミュージカルが大好きだった。絵本も映画も大好きだった。物語の中でキラキラと輝く主人公を追いかける時、私の胸はいつだって高鳴った。
主人公は、明るく元気で皆の人気者であることもあったし、内気でおどおどした大人しい、けれどとても心の優しい子であることもあった。
誰もが誰もの思いのままに生きていて、そして皆から愛されていた。誰もが最後には笑うのだ。

年端もいかない私に差し出されたのは、そうした、悉く幸福な物語ばかりであった。
それが「理想」であることさえ弁えることのできなかった私は、「現実」との区別をつけることの叶わなかった私は、ただ純粋に物語への、そして主人公への憧れを深めていった。
彼等のように、彼女達のようになりたいと思った。そんなこと、誰だって経験することだ。ありふれた、つまらないことだ。

けれど「つまらなくない」と思っていたのだ。私はつまらない存在なんかじゃないと、思い上がっていたのだ。
物語と現実の区別をつけることのできなかった私は、誰もが物語の主人公になることが叶うのだと、
私はこれからもっと大きくなって、広い世界でキラキラと瞬くことが叶うのだと、本気でそう、思っていたのだ。
そのために才能と努力が必要であることなど、誰も教えてくれなかった。

そんな私の思い上がりを深めたのは、私の故郷に実家を持つ二人の男の子の存在だった。
私が生まれてすぐの頃にマサラタウンを旅立った二人の少年は、共にチャンピオンの栄光を勝ち取った。
ポケモンリーグと呼ばれるところの頂点に立った二人は、やがて「伝説」と謳われるようになった。

一人はとても饒舌で、明るくて元気で自信家で、とてもかっこいいお兄さんだった。彼に憧れている女の子は沢山いて、私もそのうちの一人だった。
何年か前から、彼はトキワシティでジムリーダーを務めているらしい。けれどマサラとトキワは隣町だから、彼はよくジムを留守にしてはマサラタウンに戻って来ていた。
子供達に自分のポケモンを自慢したり、ポケモンバトルの非公式戦を受けたりしていた。
彼がかっこいい技を次々に指示すれば、ポケモン達は数秒と経たずに彼の言葉を現実のものとした。鮮やかに炎が、水が、草が、風が舞った。
その姿はまるで、呪文を唱えて世界を救う、おとぎの国の魔法使いのようだった。

もう一人の男の子のことは、あまり知らない。
何年も前のリーグ戦を映したテレビの向こうで、赤い帽子を被った男の子がとても嬉しそうに笑っていた。だから私はその時の、11歳の時の彼しか知らない。
今もあの笑顔のままであるのか、それとも大きく変わってしまったのか、私には知る術がない。
けれど頻繁にマサラに返ってきている方のお兄さんの話では「無口になった」とのことだった。相変わらずバトルはとても強いらしい。
最強の座を誰にも譲り渡さないまま、もう9年が経とうとしている。そのお兄さんの姿はマサラタウンにないけれど、それでも皆が彼のことを覚えている。
高みに上がり過ぎた故に孤独となってしまった彼はまるで、一人で大きな怪物を倒すために険しい道を歩み続ける勇者のようだった。
それでも彼は主人公であるために、誰からも忘れ去られることなど在り得ないのだ。

それから2年前、とてもキラキラした女の子をテレビで見つけた。子供社長へのインタビュー番組で、イッシュ地方のプラズマ団という組織が紹介されていたのだ。
その小さな女の子は、大きな船の形をした会社のトップに立っていた。
誰よりも背の低い彼女が、大人たちの先陣を切って歩いているその様子は、とても眩しくて、胸が痛くなった。かっこいい、と思うに十分な凛々しさであったのだ。
解らないことがあれば、彼女は振り返って助けを求めていた。緑の髪の男性が、呆れたように、嬉しそうに、彼女の足りないところを補っていた。
それはまるで、どんな困難にもめげずに立ち向かう勇敢な騎士と、その騎士が携えた鋭い剣のようであった。剣がいなければ、騎士は力を振るえないのだ。

それからつい最近のこと、私はホウエン地方で行われた結婚式を見た。
たった一組の結婚式がテレビで放送されるなんて珍しいことだなあと、子供である私にも、それが異質なことであると解った。
けれどその花嫁さんも花婿さんも、とても有名な人であるようだったから、彼等の挙式を放映することは、この世界にとって意味のあることだったのだろう。
白いベールを被った花嫁さんは、撮影者に名前を呼ばれると、億劫そうに視線を向けた。まるでこちらを軽蔑するような尊大な顔つきのままに、にっと唇に弧を描いた。
けれど花婿さんが彼女の名前を呼ぶと、先程までの挑発的な表情を一瞬のうちに消して、至極幸福そうな笑みを湛えた。
花嫁さんはウエディングドレスをたくし上げて、駆け出した。花婿さんは困ったように笑いながら、彼女の肩に優しく手を置いて歩き出した。
彼女の一番美しい表情は、正しく彼一人にのみ向けられていた。王子様のキスで目覚めるお姫様のように、ただ一人の愛を一身に受けて幸福を噛み締めていた。

王子様に手を引かれる綺麗なお姫様になりたかった。伝説の剣を振るう、勇敢な騎士になりたかった。険しい道を歩き続ける勇者になりたかった。魔法使いになりたかった。
私は、運命に呼ばれる存在になりたかった。

アローラへの引っ越しが決まったのは、その年の春のことだった。

明るく楽しい人気者でも、心優しい女の子でもなかった私を、マサラタウンの人間は誰も見送りに来てくれなかった。当然のことだと解っていたから、悲しまないようにしていた。
だってマサラタウンにはもう主人公が二人もいるのだ。私はマサラタウンの物語に入れない。あの小さな町を彩る主役の枠はもう埋まっていたのだから、当然のことだ。
だから私は、誰にも見送られることなく船に足を掛けたその瞬間、とても、とてもわくわくしていたのだ。少しも、悲しくなどなかったのだ。

あの小さな町で、私は主人公になれなかった。それは私よりもずっと素敵な人がいたからだ。あの二人の方が、主人公にずっと相応しかったからだ。
けれどアローラ地方でなら、私はきっと輝ける。私は主人公になれる。海の綺麗な素敵な土地で、私は誰よりも素敵な女の子になれるのだ。
そのための才が私には備わっているのだと思い上がっていた。私は、主人公になることしか考えていなかった。

けれどそこには既に、主人公がいた。

「助けて……」

鈴を鳴らすような、空気を浄化するような美しい声音で紡がれたその言葉は、私の役をあっという間に奪い取っていった。

とても綺麗な女の子、心の優しい女の子、不思議なポケモンを連れた特別な女の子。
何の力も持たないから、手を差し伸べられ続けている女の子。内気で大人しくて、宝石みたいにキラキラしていて、愛されるための何もかもをその身に備えた女の子。
私とは何もかもが違う、その宝石の名前はリーリエといった。宝石は、名前さえ美しかった。

私は綺麗ではない。私は優しい心など持っていない。中途半端に強い力を持つ私を、誰も助けてなどくれない。愛されないから、足掻くしかない。
とてもみっともない私、どうしようもなく「主人公」に相応しくない私。スポットライトはいつだって彼女に当たっていた。私はいつだって影にいた。光の傍が最も暗いのだ。

この宝石のような女の子のことが、私も大好きだった。だからこそ、怖くなった。

私は主人公になどなれない。それだけならまだ、いい。けれど私は排斥されてしまうのではないか?お前はこの物語に要らないと、誰かにいつか言われてしまうのではないか?
このアローラという美しい舞台に、カントーから来た私は相応しくないのではないか?
端役など、幾らでも替えの利く存在なのではなかったか?端役は、いとも容易く排斥されてしまうのではないか?
そうして私はカントーでの私のように、忘れ去られていくのではないか?

私がカントーで輝けなかったのは、伝説と謳われたあの二人がいたからではなく、私にその素質が皆無であったからなのではなかったか?

恐ろしくなった。そして焦った。私は排斥されたくなかった。
私は、私が宝石でないことを認めたくなかった。

ハウオリシティのブティックで、赤や緑やピンクといった、カラフルな色の服をまとめて購入した。ママから貰ったお小遣いは、あっという間になくなってしまった。
髪を真っ白に染めて背中に流した。青いリップを唇に置いた。毎日、服や髪やリップの色を奇抜な何もかもに変えては、驚く皆を見て楽しんだ。
私は排斥されたくなかったから、舞台の隅で忘れ去られたくなかったから、思いっきりおかしな恰好をした。

皆がしないことをした。皆が困れば私は笑った。
大人の「ダメ」は何だってやった。ペンキを塗ったばかりのフェンスに手形をぺたぺたと付けたし、大人さえも怖がるスカル団の人をこの上なく慕った。
私は排斥されたくなかったから、物語から追い出されたくなかったから、思いっきりおかしな行動をした。

「私だけ」を沢山、沢山作った。「私を見て」と大人に、子供に、ポケモンに、全てに訴えた。焦っていた。必死だった。
だってそうしないとこの美しい世界に「役」を貰えない。
私はただ、私がずっと焦がれ続けた物語の中にいたかった。魔法使いに、勇者に、騎士に、お姫様になりたかった。
そのどれもが叶わなかったから、私は媚びを売るように生きるしかなかったのだ。

私は、私にしかできないことが欲しかった。私なしでも回っていく、この綺麗なアローラの世界がとても恐ろしかった。
いつ排斥されてしまうのかと、怯えながら生きていた。
けれど怯えや恐れを顔に出すことなど誰にだってできるから、私は怯えれば怯える程に朗らかに笑った。いつだって笑って、誰もに「大好き」を振り撒いた。

私はそうやって生きてきた。
そうした私の滑稽な暴走が、いつか報われる筈だと信じていた。


2016.12.9

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