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ポータウンが以前の賑わいを取り戻すまでの時間は、あまりにも短かった。ほんの数日で、解散前のメンバーが全員、揃ったのだ。
スカル団の再結成、グズマの帰還、そして新チャンピオンの後ろ盾……これらを耳にした団員が、再びポータウンに足を向けるのは当然のことであったのだろう。
けれどそんな彼等は「集まっているだけでよかった」のであり、この組織に何か解決策を求めて集っていた訳では決してなかった。
そして事実、以前のスカル団は何も救えなかった。誰の何も解決してなどいなかった。意味のない力を束ねたところで、何も変えられる筈がなかったのだ。

けれどそうした力が、意味のあるものへと変わろうとしている。

『君が来なくとも、わたしが直々にポータウンへ赴きますよ。』
ザオボーはその言葉に違わず、ビッケと数名のエーテル職員を連れてポータウンへとやって来た。
「差し入れ」と称して、新品の掃除用具を大量に差し出すことも忘れなかった。
ポータウンのお掃除をしたい、と唱えた少女の意向を、彼女に特別目をかけているこの男が無視する筈もなく、
「はいはい」などと適当な相槌を打ちながらも、ザオボーはしっかりと彼女の願いを叶えるために手を回していたのだ。

「ブラシ、箒、雑巾、ごみ袋、洗剤に作業着にロープ。言われたものは全て持ってきましたよ」

「わあ、ありがとうございます!でもこんなに沢山、いいんですか?」

「どんなことをするにも初期投資は必要でしょう?その分、スカル団の皆さんにはしっかり働いていただきますので、そのつもりで」

ザオボーは皮肉めいた笑みを浮かべる。少女は至極楽しそうに笑いながら「任せてください!」と胸を張る。
丁度その時、ポータウンに降り注いでいた霧雨が止み、分厚い雲の隙間から陽の光が差し込み始めた。プルメリのラランテスが「にほんばれ」の技を繰り出したのだ。
常に薄暗い場所であったこの町は、アローラの眩しい日の下に曝け出されると、より一層、その荒れ具合が目立って見えた。
エーテル財団の職員は一様に眉をひそめていた。スカル団の団員はその汚れ具合にお腹を抱えて笑っていた。少女は眩しそうに目を細めて、少しだけ悲しそうに微笑んだ。

「すげえ、こんな新しい箒を持つの、初めてだ!」

「随分と綺麗な作業着だけど……これ、本当にあたしが着てもいいの?後でお金を取ったりしないよね?大丈夫よね?」

新しいブラシや作業着を手渡され、スカル団員は子供のようにはしゃいでいた。
放っておけばそのまま、箒でチャンバラごっこを始めてしまいそうな、そうした幼い歓喜の様相が見て取れた。
プルメリがそんな彼等を一喝し、掃除分担の割り振りを始めた。意外にも素直にブラシや箒を構えた彼等を、ザオボーは少しばかり驚いたような表情で眺めていた。

集まって、いきがって、悪いことをして、強くなった気分になって……。
そうして自らの矜持を保っていたスカル団員が、今回のスカル団の「方針転換」に抵抗を覚えるのも無理のない話であるように思われた。
けれど「掃除なんかやってられねえ」「もっとスカしたことをさせろ」と口にする人間は、不思議なことに目立たなかった。
皆無でこそなかったものの、そうした輩はすぐさま、他の団員にしっかりと窘められていた。
何故なら彼等の代表としてそうした声を上げて然るべきである筈のプルメリとグズマが、文句一つ言わずに彼等へと指示を出し、自らも率先して動き始めていたからであった。

スカル団は人情を重んじる組織であり、彼等はプルメリやグズマのことを心から尊敬していた。彼等の結束力は強く深く、容易には切れないものであった。
「ボスが掃除をしている」「姐御が真面目に仕事をしている」彼等がブラシや箒を手に取る理由など、それだけで十分だった。

スカル団の人間は一様に若く、幼く、それ故に心根はどこまでも純粋であった。彼等は大きく変わろうとしている今という時間を思い、まるで少年のように心を躍らせていた。
どう変わっていくのか解らずとも、そこに自分の居場所があるという、ただそれだけでよかったのだ。
子供のまま大人になってしまった彼等のボス、グズマという男には、そうした力があった。人を集める力、人に縋られる力、人を一人にしない力だ。

彼はその力を「彼女」にも振るった。その結果、彼の率いた組織の輪の中に少女の姿がある。救われなかったかもしれないが、笑っている。

「さあ、何もかもすっきりさっぱり落としちまおう!サボったりしたら承知しないからね!」

プルメリのそうした号令に、団員たちは一斉に拳を上げて同意を示し、指示された場所へと散らばっていった。

町の通りを担当する者はブラシを構えて、アスファルトや街灯にこびり付いたペンキを少しずつ落としていった。
プルメリは自らの手持ちであるドヒドイデと共に町中を練り歩き、ブラシで擦ったところを念入りに洗い流していった。
勿論、磨きの甘いところを見つけては、近くの団員を叱咤することも忘れなかった。

屋敷の中の掃除もビッケの指揮の下、順調に進んでいた。瓦礫の処理は男性が、掃き掃除と拭き掃除は女性が中心となり行っていた。
掃除の要領を掴み切れていないような人物が団員の多くを占めていたため、キッチンスペースの掃除では皿やコップの割れる音が相次いで聞こえた。
ビッケはその度に「あらあら」と笑いながら、特に動じることなく団員に指示を出していた。困ったように眉を下げながらも、彼女は決して団員を叱らなかった。

寝具やテーブルクロス、カーテンといった布類に関しては、グズマとグソクムシャが手分けして剥ぎ取っていった。
屋敷の東にあるプールの苔を、少女のアシレーヌが「ハイドロポンプ」で一気に洗い流した。
綺麗になったプールに水と洗剤を満たして、中に大量の洗濯物を次から次へと放り込み、一気に洗ってしまおうという算段であった。

「ほら、皆も手伝って!」

少女の繰り出したキテルグマと、グズマのハッサムが、揃ってプールの中に勢いよく飛び込み、洗濯物をゴシゴシと擦り始めた。
もう何年も洗っていないようなものまで混ざっていたらしく、あっという間に水は黒く濁り、幾度かプールの水を入れ替えなければならなくなってしまった。
1枚ずつ引き上げて水で洗い流す仕事は、少女のアシレーヌとグズマのアメモースが請け負った。
洗い終えたものを絞るのは、ウルトラボールから飛び出してきたウツロイドとマッシブーンの役目だ。

彼女は自らの「友達」への理解を乞うために、UBがもう人やポケモンに危害を加えないことを、スカル団やエーテル財団の人間に予め説明していた。
その必死な声は、同じく自らのパートナーであるポケモンを大切にする彼等の心にしっかりと届いていた。
別の世界からやって来た彼等は、けれど排斥されることなく、この町でポケモンと同じように生活している。

彼等との共生を拒めるほど、スカル団もエーテル財団も非情ではない。同じように「生きている」存在をおいそれと排斥できるほど、アローラは寒い土地ではない。

ウツロイドがその硝子のような手で1枚をなんとか絞り終える間に、マッシブーンは5枚をあっという間に絞ってしまう。強く絞り過ぎてシーツが既に2枚、破れた。
彼等は絞り終えたシーツやカーテンを次々と少女に手渡していく。彼女は洗剤の香りのする布を勢いよく広げる。
すかさずその背中からふわりと金色のリボンが浮かび上がり、洗濯物の隅をくいとつまんで浮かび上がる。
グズマのアリアドスが長く幾重にも張り巡らせた「糸」に、カミツルギは洗濯物を軽々と引っ掛ける。青や白のシーツと真っ赤なカーペットが、屋敷の屋根を、庭を彩る。

下で「ありがとう!」と彼女が叫べば、カミツルギはひゅっと宙を切るように舞い戻り、少女の背中に、まるでリボンをあしらうかのようにぴたりと貼り付く。
白地に金色のリボンが施されたそのワンピースと一体化するかの如く、その小さなUBはいつも少女の傍にいた。
紙のように軽いその命は、けれど彼女の確かな剣であった。

時計が12を指した頃、グラジオとハウが昼食の差し入れを持って現れた。
少女は歓声を上げて二人の方へと駆け寄り、お礼の言葉を笑顔で告げて、二人の手を取りぶんぶんと大きく振った。
ハウは「ごめんね」などと謝ったりはしなかった。少女もあの日の言葉を忘れた振りをして、何度も感謝の言葉を紡いだ。
彼等はまだ11歳の子供であったのだから、それくらいが丁度良かったのだ。

子供は、互いのわだかまりを時の流れに溶かして和らげるのがいっとう得意なのだ。
けれど、そうできなかった存在も確かにいたことを、少女はしっかりと覚えている。小石の喜劇が残した爪痕を、小石は確かに覚えている。
忘れていない。忘れたふりなどできやしない。

「リーリエはきっと私を許さないね」

独り言であったかもしれないその言葉を、けれど隣でマラサダを頬張るグズマは拾い上げてしまう。
「あいつに会いたいのか?」と問いかければ、彼女はサンドイッチの包みを開けながら首を振る。首を振って、空を見上げて、眩しそうに目を細める。

「また会いたくない。傷付きたくないし、傷付けたくもないから、まだ会わなくていい。……どう?私、悪い子でしょう?」

身を焦がす程の屈辱と絶望を経て、住み慣れたカントーを離れて、潮風とマラサダの蔓延る土地に投げ出されて、笑顔と博愛を貫いて、眠って、逃げて、泣いて縋って……。
そうしてようやく得ることの叶った、確かな役が、よりにもよって「悪役」であるというのだから、いよいよおかしい。笑うしかない。
だからグズマは豪快に笑って「そうだな、最高にスカしていやがるぜ」と同意する。
たった11歳の子供のささやかな喜劇は、少なくともたった一人をこうして笑顔にすることが叶っている。

「太陽はやっぱり眩しいね」

悲しそうにそう紡いだ彼女は、けれどその眩しさを受け入れるように、目を細めて大きく伸びをする。

少女はもう、一人で舞台に立たなくていい。
悉く不器用で一途な彼等の物語はまだ、終わらない。


2017.2.12

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