38 (With M)

彼の髪が白く染められたのは、数年前のことだった。
奇抜な色を纏うスカル団ボス、というのは、スカしたことを好む団員にとってはとても受けがよく、誰も彼の奇行を否定などしなかった。真似をして髪を白く染める者まで現れた。
髪が伸びる度に、グズマは自らの髪色を隠すように白を振りかけていた。何年もそうしたことを続けているうちに、彼の本当の髪色を知る者は殆どいなくなった。

その「白」は、グズマ自身の意向で為されたものでは決してなかった。
それは彼が生き残るための色であり、彼の強さを認めてくれた唯一の人に、見限られないように見捨てられないように、纏わざるを得なかった色であった。
その色を纏った別の生き物に、どこまでも彼は似せられた。そうした彼をその「唯一の人」は慈しみ、愛した。
愛されていたのは彼自身ではなかった。解っていながら彼は縋った。子供のまま大人になってしまった彼の、拙く悲壮な処世術は、そうして何年も続いた。
すなわちそうしたところ、生き残るために髪を白くしなければならなかったところまで、あまりにも男と「少女」は似通っていたのだ。

……もっとも、マリエ庭園でグズマと顔を合わせた時、この少女は既に髪の白い染色を落としていたため、グズマは彼女の髪が「白かった」ことを全く知らないのだけれど。
そうした白の共有を互いが認識しておらずとも、他の点においても二人は十分に似ていたのだから、今更、その色の意味を知る必要などまるでなかったのだけれど。

「おいお前、こんなところで何してやがる!」

「あ、グズマさん!こんにちは!」

さて、そんな少女とグズマは、やはり似通ったものの宿命であるのか、思わぬところで顔を合わせることとなってしまった。
先にグズマの方が少女を見つけたのであり、彼は見て見ぬふりをしてそこから立ち去ることだってできた筈なのに、そうしなかった。できなかったのだ。
何故ならその「思わぬところ」がハイナ砂漠であり、この砂漠に迷い込んだその先にどんな爆弾が眠っているのかを、彼は痛い程によく解っていたからだ。

夜、砂嵐の吹き荒れる砂漠の、人の気配が完全に失われた場所に彼女はいた。
貧相なサボテンの傍に立ち、砂嵐を免れるようにして小さく屈んで、俯いていた彼女は、
けれど男に声を掛けられるや否や、勢いよく顔を上げて、目や口に砂が入ることも厭わず、満面の笑みを浮かべてみせたのだ。

「ちょっとだけ、遊ぶつもりだったんです。砂漠なんてカントーにはなかったから、一度入って見たくて。……でも入ったら、今度は出られなくなっちゃいました」

グズマは青ざめた。この幼く知性に欠ける子供には、全く悪意というものが感じられなかったからだ。悪気のない侵入だったからこそ、恐ろしかったのだ。
こいつは無自覚に「神」の怒りを買ってしまうかもしれない。そう思えばいよいよ焦らざるを得なかった。ぐい、とその細い腕を乱暴に掴めば、少女は驚いたように目を見開いた。

夜の闇より遥かに明るい色をしたその目は、果たして、何色と言うのだったか。
黒曜石のようなはっきりとした黒でも、金属のような灰色でもない、煤のような暗さの瞳だと思った。
墨色ではない、煤色だ。この無礼で馬鹿な子供には、それくらいくすんだ表現がきっと相応しい。

「此処は神様の場所だ、お前みてえなガキが入っていいところじゃねえんだよ」

「神様……?」

「いいから行くぞ。お前も罰を食らいたいってんなら、話は別だがな」

このアローラは陽気だ。それでいて気紛れでもある。その不気味な揺らぎを呈しているのは神も同じだ。
この子供はアローラの外からやって来た、所謂、余所者だ。故にアローラの守り神がどれほど神聖なものであるのかを知らない。
怒りに触れた神の罰がどれほど強大な恐ろしいものであるのかを、この少女は知らない。知りようがない。知らないことが罪であることさえ、この子供はきっと理解しない。

ああ、なんてか弱い存在だろう。それでいてポケモントレーナーの腕前は本物であるのだからどうしようもない。
頼むから余計なことをしてくれるな。そんな気持ちを込めて腕を掴み直せば、彼女はこの夜の砂漠に相応しくない、素っ頓狂な声音で口を開いた。

「グズマさん、神様のことが怖いんですか?」

「……はあ?」

「だっていつもの貴方なら、神様だってぶっ壊してしまいそうなのに。貴方はそういう人だって、思っていたのに」

馬鹿言ってんじゃねえ、そんな訳があるか。相手は神様だぞ、なめるのも大概にしろ。
喉まで出かかったそれらの言葉は、「違うんですか?」と真っ直ぐに彼を見上げる少女の煤色によって瞬時に凍った。
夜の砂漠に吹き付ける冷たい風が、凍り付いた彼の言葉をあっという間に押し流していった。

虚勢を張る相手は選ばなければならない。グズマとて、それくらいのことは解っていたのだ。
カプはポケモンの形をしているが、神なのだ。永く祀り上げられた存在はひどく傲慢で、人間に天罰を下すことに微塵の躊躇いも抱かない。
アローラの神を、アローラの人間は「畏れなければならない」のだ。陽気で気紛れな連中も、それくらいの認識は持ち合わせていた。グズマとて勿論、例外ではない。
そうしたアローラでの「良識」を、目の前で不思議そうに首を傾げるこの子供に説くことは、ひどく骨の折れる作業であるように思えた。彼女が余所者であるなら、尚更だ。

男にとっての装甲は「壊すこと」であった。少女にとっての装甲は「笑うこと」であった。
男は壊すことさえ躊躇う程に、神様を恐れていた。それが当然のことであったから、彼はその畏怖に対する理解をこの少女に上手く求めることができなかった。
少女は笑うことさえ忘れる程に、男を慕い過ぎていた。それは当然のことではなかったからこそ、男はこの少女を忘れることができなかった。

「神の御膝元」とでも呼ぶべき場所に、ぽつんと佇んていたのがこの少女でなければ、グズマは、見て見ぬふりさえしたのかもしれなかった。

「悪いかよ」

長い沈黙の後で、グズマは自らの心理を少女に説明すること、その畏怖がアローラの人間にとっては至極当然のものなのだと説くこと、それらをすっかり諦めて、そう零した。
呆れられるだろうな、と思った。大柄な体躯をしていながら、その心はどこまでも子供の形をしていたのだ。
どんな評価にも心を揺らさずどっしりと身構えるだけの自尊心など、彼が持ち合わせている筈もなかった。だから彼のそうした危惧と恐れは、当然のものだったのだ。
けれど少女はぱっと目を輝かせて、ふるふると大きく首を振った。
煤色の瞳は、変わる筈のないその色は、けれど歓喜に染まることで僅かに銀色を呈し、子供らしくキラキラと瞬いた。煩い目だ、と思った。

「やっぱり怖いものってありますよね。壊せなくなることだって、笑えなくなることだって、ありますよね。そういうものですよね」

「ああ……まあ、そうなんじゃねえの?」

彼の至極適当に放たれた相槌に、少女はまるで泣き出しそうな笑顔で何度も何度も頷いた。そうですよね、そうですよねと、飽きる程に繰り返して笑った。
こいつにとって「怖いものがある」ということは、そんなにも喜ばしいものなのだろうか。何度も噛み締めて確かめたくなる程に、幸福な事象であったのだろうか。
それとも彼女はこちらが恐怖する対象を見つけて取り上げて、彼の弱みとしようとしているのかもしれない。
そんなことも一瞬だけ危惧したが、そうした邪心の欠片も見つけられないような、悉く馬鹿を極めた眩しい笑みに圧倒されて、グズマは疑うことをあっという間に忘れてしまった。

『滑稽でしょう?』
エネココアの甘い香りが思い出された。数日前、ポケモンセンターのカフェブースで、彼女はぽつりとそんな風に零したのだ。
まるで大人が発するような自虐の言葉を、グズマは忘れることができなかった。

強すぎる力を持ったこいつは、果たして何を恐れていたのだったか。
いつも笑っていた彼女は、笑っていないことなど一瞬たりともなかった彼女は、果たして、何になろうとしていたのだったか。

『私は、私にしかできないことが欲しい!』
こいつは、何を求めていたのだったか。

「でも、グズマさんも怖いところにわざわざ顔を出すんですね。怖くなるために、恐れるために、この砂漠に来ていたんですよね。だから私を見つけてくれたんですよね」

「……」

「私も怖いところが好きなんです!だから砂漠も、アローラの海も、強いポケモンも、神様のことだって、好きですよ」

ねえグズマさん、お揃いですね。
ポケモンセンターのカフェではただ喜びを極めて発されたように思われたその同じ響きに、今は何故か弱さを見てしまう。縋っているように、思われてしまう。
不気味だと思った。愛されるべき素質を持ち合わせているように見えるこの子供が、無条件に愛されて然るべきである筈のこの存在が、
その実、こうして縋って祈って恐れて、媚びを売るように生きているのだという「事実」が、グズマにはどうしても信じられなかったのだ。

『舞台から降ろされないように、排斥されないように、怯えながら頑張っているんです。滑稽でしょう?』
ポケモンセンターのカフェで彼女が発したあの言葉を、信じ切ることができずにいたのだ。

あれは、どこまでも幼く拙い彼女の、ちょっとした冗談であったのだと考えていた。
本当に「怯えながら頑張る他にない」人間への、軽い侮蔑とさえ受け取ることのできそうな、どこまでも生きることを馬鹿にしたささやきのように思われてしまったのだ。

だってお前は、頑張らずとも生きていけるのだろう?

そう、声に出す代わりにグズマは少女の手首を取った。手を握る、などという優しいことは決してしなかった。
少しでも抗えばこの手首を追ってやる、だから黙って付いてこい、という、強迫的な力の込め方をして射るように少女を睨み下ろした。
けれどそうした威嚇は何の役にも立たなかったようで、彼女は微塵の恐れも抱いていないかのような、いつもの笑顔を決して崩さないのだ。

この子供がただ強いだけの存在ではないということに、グズマは気が付き始めていた。
彼女が笑顔で紡いだ「お揃い」は、もっと致命的なところで彼と共鳴していたのかもしれなかった。


2017.1.23

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