エーテル財団の援助を失ったスカル団は、瞬く間に散り散りになってしまった。世知辛い話だが、先立つものがなければ組織を率いることなどできないのだ。
この男がエーテル財団の代表、ルザミーネに逆らえなかったのは、彼があの美しくも悲しい女性を慕っていたからという、その一点のみであった訳ではなかったのだ。
「ずっとグズマさんのところに居たかった。ボスは最後まで俺等を守ろうとしてくれたんだ。
でもグズマさん、オレにはもう力がないからって、無茶苦茶に喚いて暴れて、俺等をポータウンから追い出したんだ。どうすることもできなかった」
子供のままに大きくなってしまったこの男は、それでも自らを慕う団員を守らなければならなかった。
彼は良識のある人間だった。心優しく、義理堅い人間だった。約束を破ることをよしとせず、人の心を思いやる術を知っている男だった。
ただ、子供であった。彼は身体と心を同時に成長させることができなかった。そういうことだったのだ。
「馬鹿な奴だったよ。誰よりも強いくせに誰よりも弱いんだ。あいつはそうした自分の強さと弱さに気が付いていなかった。
盲目だったんだ、自分を真っ直ぐに見つめることができていなかった。そんなところまであの子によく似ているね」
そうした彼を、一人の女性が支えていた。
彼女もまた、自らを慕ってくれるスカル団の団員をこよなく愛し、可愛く思っていた。
彼女はそうした彼等の居場所を守るため、また、自らよりもずっと大きな力を持ちながら、自らよりもずっと小さく幼い心しか持ち合わせていない組織の長を支えるため、戦った。
どんなに団員が悪さをしても、暴れても、社会からどのような目で見られていたとしても、彼女は決して団員たちを見限らなかった。見限る訳にはいかなかったのだ。
彼等の暴力性はそのまま、彼等自身のところへ戻ってきており、それ故に彼等が、彼等の傷付けた分だけ傷付き、それ以上に苦しんでいる。
そんなこと、上に立つ者であったこの女性は痛い程によく解っていた。彼女は誰もを見限ることができなかった。
自らがこの土地の神様に、この土地の人々に見限られた側の人間であったからこそ、そうすることができなかった。自らが受けた苦痛を、跳ね返すことなどしたくなかったのだ。
社会に見限られた側のスカル団は、社会を見限った。神様に見放された彼等は、神様を見放さざるを得なかった。
攻撃されたことへの屈辱は、逆に相手を攻撃することでしか晴らせなかった。そうして彼等は疲れていった。彼等も、疲れていった。
そうしたスカル団を慕う、少女がいた。
彼等がどんなに彼女を見限っても、攻撃しても、行く手を阻んでも、傷付けたとしても、彼女はけろりとして、寧ろそうした攻撃性を喜んでいるかのように笑っていた。
誰よりもスカル団の被害を受けていた筈の彼女は、しかし彼等を敵視しようとはしなかったのだ。
ポケモンの身を守るための攻撃しか指示を出さず、自らが負った苦痛を彼女は「存在しないもの」としていた。
痛みなど感じていないかのように、砂をかけられても腕を捻り上げられても、笑って大丈夫だと、大好きだと繰り返していた。
敵意には敵意を、攻撃には攻撃を、排斥には排斥を。
そうした反発を続けることで自らの矜持を保っていた彼等が、この少女にそれらを向ける理由はもう、失われていた。
それは、スカル団を束ねる女性にとっても同じことであった。
彼女もまた、自らの可愛い下っ端を大事にしてくれていたこの少女を、「普通じゃない」という、彼女らしい尖った誉め言葉で賞賛し、認め、手厚く接した。
慕われれば、大好きだと告げられれば、美味しいジュースやマラサダを手渡してもらえれば、勿論、嬉しかった。
石ではなく、ミックスオレの缶が投げかけられたのは、初めてのことだったのだ。
何人かの団員は、少女が投げて寄越したミックスオレの缶を上手に受け止められず、頭にぶつけて小さなこぶを作っていたが、それすらも喜びの証だと、彼等は笑いながら語っていた。
「あたしさあ、あの子がくれたミックスオレの缶、まだ勿体なくて飲めていないんだよね。嬉しくて、中身が空になるのが嫌で、ずっとバッグの中に入れているんだよ。
それに、こいつを飲んじまったら、いよいよあの子が戻って来ないような気がしちゃってさあ。だからあの子がくれたものを捨てたくないんだ、あの子を忘れたくないんだ」
さて、そんな少女を、このスカル団のボスである「彼」が同じように見ていたのかと問われれば、……確かに、似たようなものであったのかもしれない。
しかしこの男は、彼等とはほんの少しばかり、彼女に対する見方が異なっているようであった。
勿論、彼にとっても、彼女と共に飲んだエネココアはかけがえがなかった。
なけなしの所持金で部下に食事を奢るばかりであった彼が、温かい飲み物を奢ってもらったのは初めてのことであったのだ。
彼女は真に特別であり、唯一であった。
スカル団は味方であり、それ以外は敵である。その二者しか彼の世界には存在していなかった。けれど「第三者」が現れたのだ。
たった一人であるにもかかわらず、その少女は誰よりも強烈な存在感をもっていた。少なくとも、男にとってはそうであったのだ。
その第三者は、男の閉じた世界に、嵐のような暴力性をもって吹き込んできていた。
*
エーテル財団はこれまで通り、ポケモンの保護や生態研究を続けていた。
アローラの生態系は美しくも残酷であり、ポケモンを愛する彼等はその「自然な形」に介入し、全てのポケモンを平等に救うため、尽力していた。
財団の職員はこれまでと何も変わらず、ただ白く穏やかな人工島でポケモンを守り続けていた。多くの職員にとって、それが当然のことだった。
しかし一部の研究員や幹部は、エーテル財団の「裏の仕事」の始末に追われていた。
ウルトラホールの研究はほぼ白紙に戻り、国際警察の出動によって、UBは研究対象ではなく「保護」の対象となった。
保護の権利はエーテル財団の研究員ではなく、エーテル財団に属さない、たった11歳の子供に与えられた。
「彼女」は拒絶も躊躇いも示さず、ただ小さく頷くだけであまりにも迅速に、鮮やかに、アローラ各地に出現したUBの保護を成し遂げた。
「彼女は本当によくやってくれました。これでUBも救われるでしょう。……勿論、これで我々の罪が償われたとは、微塵も思っていませんが」
決して表に出すことの許されない、エーテル財団の負の遺産を知るものはごく僅かであり、その遺産はこれからも、世間に公表されることはないだろう。
卑怯だ、狡いと咎められようと、彼等は生きていかねばならなかった。この白く大きな人工島が揺らげば、何百人という職員が路頭に迷うのだ。
数年かけて積み上げてきたエーテル財団の洗練されたブランドを、全てを開示することで砕きたくはなかったのだ。
ポケモンのため、と表では謳いながら、裏ではそうした倫理を呆気なく手放し、人工ポケモンの研究やUBの捕獲に勤しんでいた。
人間の欲を手放し、ポケモンに尽くすことをよしとする職員が「組織の鑑」として畏れ敬っていた、財団の美しき代表は、
けれどそうした彼等のあずかり知らぬところで自らの欲を暴力的に振り回し、ポケモンを凍らせ、ポケモンを痛めつけ、欲しいものを手に入れようと足掻いていた。
その歪みきった、極端な執着こそ、彼等が研究対象としてしまったUBのささやかな反逆によるものであったのだと、……しかしそうした真実を知る者は、殆どいない。
財団の表に生きる者は、ただ純粋にポケモンの暮らしを想い、ポケモンのために働いていた。
裏に生きる者は、地価の研究施設で倫理性を欠いた仕事に尽力し、それを倫理に悖る研究であるのだと、解っていながらあらゆる理由でこの人工島に留まり続けた。
給料を貰って家族を養うため、美しき代表を恐れたため、単純かつ残酷な知的好奇心のため、空虚な自己を埋める肩書きを欲するため、この島に生きる二人の子供を見守るため……。
そうした個々の動機は彼等にしか分からなかった。そうしたことは誰彼構わず話すべきものではなかったからだ。
複雑な事情を抱えたそれぞれの職員の心は閉じており、そう容易く開かれるようなものでは決してなかった。
「ええ知っていますよ、代表はいつだっておかしかった。けれどわたしに何ができたというのです?
わたしはただ、わたしのことを考えることしかしませんでした。それがわたしの身の丈に合っていることを、解っていたからです。どうです、合理的でしょう?」
職員だけではない。その島に生きる子供達も、その子供を見守る女性も、ナンバー2として働く壮年の男も、そうした全てを束ねる代表も、全て、全て閉じていた。
白は閉鎖の色であり、彼等の拒絶と苦悩の色であったのかもしれなかった。
白い島はいつだって来客を迎え入れていたけれど、彼等の扉はいつだって閉じていた。そうした、白だったのだ。
けれど彼等はとある少女に対して、あまりにも呆気なくその白い扉を開いた。
子供達、職員、ナンバー2、そうした何もかもを一気に跳び越えて、彼女はこの組織の代表までも、この上なく慕い、愛した。
美しき代表がその少女を気に入り、娘のように可愛がるようになるまでの時間は驚く程に短く、数日もすればこの人工島を歩く二人の姿はまるで親子のようになっていた。
財団の外の人間でありながら代表の傍に在ることを許されているその少女を、財団の人間は一目置いていた。
もっともそこに、代表に抱いていたような、ある種の畏れがあったことは否定できない。
大人であり、個々に閉じた世界を持つ彼等は、この少女が「普通ではない」ことに気が付いていた。
畏れを抱かせる程の美しさを持つ代表、その心に共鳴できるのは、やはりどこか常軌を逸したところのある人間に限られていたのだ。
彼等はそれを、代表の傍を歩く少女の存在によってまざまざと思い知らされることとなった。
「でも、あの子がとても幸せそうに笑うから、どうしても追い返すことができなかったんです。
お嬢様や坊ちゃまの少しぎこちない笑い方を忘れてしまいそうになるくらい、あの子の笑顔はとても、とても眩しいものだったんですよ」
エーテル財団、スカル団、そしてこのアローラに嵐の如くやって来た少女は、彼等の心に痛烈な何かを確かに残していった、あの11歳の少女は、
しかしアローラの一番高い山に、「台風の目」とでも呼べそうなウルトラホールを開け、その中に消えて以来、二度と姿を現していなかった。
誰もを愛し、誰もに愛されていた筈の彼女が、何故そのような奇行に出たのか?
これはその理由を知るために、彼女を理解するために、再び歩き出した「彼」の記録である。
2017.1.18