35 (Interlude)

宝石を守り抜き、彼女の願いを叶えてあげた。彼女のお母さんを連れ戻した。コスモッグは私の助けなど最早必要としていなかった。
全ての役目を終えた私は一人になった。宝石は、彼女を求める宝石の傍へと戻っていった。
私は所詮、宝石の代わりに過ぎなかったのだから、挨拶もなしに見限られたとして、忘れられたとして、当然のことなのだと言い聞かせた。悲しくなどなかった。

あの宝石、誰からも愛されて然るべきであったあの美しい宝石は、私を「代わり」として心から愛してくれた悲しい宝石は、けれどもう、一人で冷たい床に震えたりしないのだろう。
宝石の子供は、今まで離れていた時間を埋めるように、ずっと彼女と一緒にいるだろうから。
不条理に苛まれ続けてきた彼女は、ようやく、愛した存在の「本物」を抱き締めることが叶ったのだろうから。
彼女が、変わりゆく命を-38度で縫い止めることは、二度とないのだろうから。

主人公にハッピーエンドが訪れた。キラキラと輝く宝石はそうであるべきだし、きっとこれからもずっとそうなのだろう。
宝石はもう代わりを求めない。宝石の子供も、もう私の力を必要としない。もう要らない。

クチナシさんに促されたから、ラナキラマウンテンへと足を踏み入れた。グラジオに勝ち続けろと言われたから、山を登った。
ハウにチャンピオンになってと言われたから、ポケモンリーグに挑戦した。ククイ博士がとても楽しそうにボールを投げたから、私もポケモンを繰り出した。
何もかもが息苦しかった。輝くために無様な努力を重ねること、排斥されないように笑うこと、覚えてもらうために「大好き」を振り撒くこと。全て、全て億劫に思えた。
怖くて、疲れて、息苦しくて、だから逃げようとして眠ったのに、起こされてしまった。

ザオボーさんのことは嫌えない。嫌える筈がない。つまらない私の歪な心を読んでくれた唯一の人を、たとえ彼がそう望んでいたとしても、私は絶対に嫌えない。
でも、あれからずっと喉が渇く。私の四肢を凍えさせていた氷はもうすっかり溶けてしまったというのに、身体が鉛のように重い。頬が痺れて、上手く笑えない。
私はもう、ずっとこのままでいるしかないのだろうと諦めていた。
求められるままに動くだけの力さえも失った時、私はいよいよアローラから見限られてしまうのだろうと心得ていた。

でも、私が誰よりも「大好き」だった宝石が、私に、とても素敵な場所を教えてくれた。

今度は、上手くやろうと思った。

国際警察を名乗る二人組に出会った。ハンサムさんとリラさんという名前らしい。
凄腕のポケモントレーナーであり、かつてウツロイドと対峙しているという理由で、彼等は私に「UBの保護」を頼んできた。
頼まれたことを断ったり、笑顔でお仕事の内容に食いついたりするだけの元気はもう、残っていなかったから、私は黙って頷いた。
ウルトラボールと名付けられた、宝石のように綺麗なボールを受け取って、私はUBの待つ草むらへと足早に向かった。

宝石の世界からやって来たUBと戦い、彼等をウルトラボールに収めることは驚く程に簡単だった。
私を慕う素振りを見せてくれる、どこか妙に既視感のある彼等と打ち解けることは、誰かに「大好き」と告げることよりも遥かに簡単だった。

UBは、ウルトラホールを通過した存在に反応して近付いてくるらしい。
国際警察のリラさんは、かつてウルトラホールを通ったことがあるようで、彼女の故郷はどこか遠くの場所にあるのだと、ハンサムさんが教えてくれた。
ウルトラホールを通ったことのあるリラさんは、UBの攻撃の標的にされやすい。ハンサムさんは彼女の身を心から案じていた。彼女だって宝石なのだから、当然のことだった。
そこで彼は「ビーストの攻撃を分散させればいい」と考えた。勿論、ビーストの新たな標的となったのは、この私だった。
私は小石なのだから、そのように利用されることは至極当然のことだ。構わなかった。

頼まれること、助けを乞われること、利用されること、代わりに愛されること、全て受け入れた。声に応えて、役を演じて、何も考えずに踊り続けた。
私はもう、そうした全てに心を揺らすことに、疲れ果ててしまった。

全てのUBが私を慕ってくれるようになった頃、私の役目はようやく終わった。
私に残されたのは、謝礼として彼等が与えてくれた100万円の札束と、UBの宿る、宝石のようなボールだけだった。
ハンサムさんとリラさんはすぐに私を忘れるだろう。構わなかった。舞台は揃った。
私はパソコンから全てのモンスターボールを取り出し、その足で直ぐにラナキラマウンテンの頂上へと向かった。
あれ以来、一度も訪れたことのなかったポケモンリーグの門を、叩いた。

アシレーヌは何も言わずとも、最善のタイミングで最善の技を繰り出してくれた。
……そういえば、私が眠ろうとしていた時、この子だけは最後まで私の傍を離れなかった。聞き分けの悪い、強情な子だった。そんなところもきっと、私に似ていた。
鉱石とライトに照らされたフロアで四天王と戦い、全員に勝利した私は、チャンピオンの間へ続く階段にそっと足を掛けた。一段ずつ上りながら、ふと、考えた。

私はどうすればよかったのだろう。

カントーの小さな町で、ささやかな幸福に満たされていたあの頃に戻りたい。
お蕎麦が食べたい。アスファルトに揺らめく蜃気楼を見たい。ママにジュースをねだって、デパートの最上階の窓ガラスに貼り付いて、賑やかな町をずっと眺めていたい。
でもそんな幸せな日常は、本当は「幸せ」ではなかったのだ。私の幸福など、この広い世界からしてみれば、悉く些末で矮小なものでしかなかったのだ。

だから私は、この広い世界に私の存在を響かせようとして、厳しい世界で生き残ろうとして、……けれど、足掻けば足掻く程に私の愚行は私の首を絞めた。
私は多くを求めすぎた。欲張り過ぎたのだ。小石は、欲張ってはいけなかったのだ。たったそれだけのことを認めるのに、あまりにも長い時間を費やした。
そんな私はもう、あの小さな世界の幸福に甘んじていた、何も知らない頃の私には戻れない。

陽が沈みかけていた。真っ赤に染まったチャンピオンの間はとても綺麗で、最奥にぽつんと佇む椅子も、とても綺麗で立派だった。
私はその椅子の背後に立って、アローラの大地を見下ろした。

アローラの潮風は何も悪くない。土や草の匂いも、マラサダも、ママも、リーリエも、ルザミーネさんも、ザオボーさんも、ハンサムさんも、誰も、何も悪くない。
船着き場で私が忘れ去られたことさえも、きっとただのきっかけに過ぎない。
遅かれ早かれ、頭の悪い私は、私が描いていた生易しい夢物語と、厳しい現実との乖離に苦しんだだろう。
このままじゃいけない、どうしよう。そんな風に焦って、パニックになって、思い悩んだ挙句、馬鹿みたいな暴走を繰り返して、自分の首を自分で締めて……。

どうすることもできなかった。厳しい現実に放り出された、夢見がちで愚かな小石の運命は、きっと「此処」で袋小路になっていたのだ。
だから私は、この現実の向こう側で夢を見ることにした。

小石は宝石になれない。けれど、宝石の夢を見ることならできる。

ソルガレオはチャンピオンの間の最奥に、ウルトラスペースへと繋がる穴をいとも容易く開けてくれた。
キラキラと煌めく宝石の世界に、私はもう一度来ることが叶ったのだ。

鞄の中から全てのウルトラボールを取り出して、太陽も月も星も見えない、真っ暗な空へと勢いよく放り投げた。
ボールから現れた皆は、此処が自らの故郷であることに気付くと、とても嬉しそうに駆け回り始めた。……もしかしたらUBにも、故郷を懐かしむ気持ちがあるのかもしれない。
そうした喜びを示すように、ウツロイドやカミツルギが高い鳴き声を上げるものだから、私も嬉しくなって、思わず笑ってしまった。
ずっと痺れていた私の頬は、ぎこちなく、弱々しくしか笑えなくなっていた筈の頬は、けれど昔のように満面の笑みを作ることが叶っていた。私も、嬉しかった。

「ねえ、私も此処にいていい?」

ウツロイドは嬉しそうに鳴いて、硝子のような手で私の頭を撫でてくれた。他のUBも、それぞれの楽しい反応を見せてくれた。
誰も、私を追い出そうとはしなかった。だから私は、この宝石の世界が見せてくれる夢に甘えることにした。

ウツロイドはリーリエにとてもよく似ている。デンジュモクはグズマさんに似ている。ネクロズマには、……少しだけ、グラジオの面影があるようにも思える。
ルザミーネさんが私に贈ってくれた、白地に金のリボンが施された綺麗なワンピースは、カミツルギと呼ばれるUBを模したものであったのだと、つい最近、気付いた。
「お揃いだね」と背中の金色のリボンを摘まんで笑えば、カミツルギは空中でくるくると喜ぶように舞った。
沢山のUBが私と遊んでくれた。まるで昔に戻ったかのようだった。此処は息苦しくなかった。誰かに忘れ去られることを怯える必要もなかった。

私はアシレーヌやキテルグマをボールから出して、UBに紹介した。
アシレーヌ達は最初こそ、この不思議な生き物を警戒していたけれど、数日後にはもうすっかり打ち解けて、友達のようにじゃれ合うまでになった。
そんな彼等を眺めながら、私はただ静かに時を流していた。戯れに昔を思い出しては、馬鹿だったなあと笑った。私が笑えば、UBやアシレーヌも笑ってくれた。

人の言葉を操る生き物は私しかいないにもかかわらず、賢いポケモンやUBは、私の言葉を意味のあるものとして受け取ってくれた。
彼等は時に笑い、時に悲しみ、怒ったり拗ねたり怖がったりした。彼等の言葉を理解することができずとも、彼等との時間はかけがえがなかった。

この宝石の世界で紡がれるささやかな幸福が、私の全てだった。

皆のことを大好きになるまで、そう時間は掛からなかった。
大好き、という感情は、急いて吐き出すものではなく、自ずから沸いてくるものなのだと、私は気付いた。気付くのが、遅すぎた。
……いや、そこまで遅くもなかったのだろうか。それとも早かった?よく解らない。此処へ来てからどれ程の時間が経ったのか、私には知る術がない。

チャンピオンの椅子には、私の代わりにピッピ人形が座っている。私の留守を、あの小さな人形が守っている。
時々、誰かがチャンピオンの間にやって来る。けれど私は出て行かない。私はウルトラホールの向こうへと、アシレーヌの入ったボールを投げるだけでいい。
30分もすれば、彼は無傷で戻ってくる。彼はこうして私のささやかな幸福を守ってくれる。

ハウが、ククイ博士が、マーレインさんが、プルメリさんが、何かを叫んでいる。私を呼んでいる。でも、もう誰も私を起こせない。私の夢は終わらない。
この宝石の世界で、大好きな彼等が与えてくれた、ささやかな幸福が私の全てだ。
ようやく手にすることの叶った幸福を、平穏を、笑顔を、……お願い、誰も奪わないで。

私が泣いている。あの船着き場で泣いている。
私は泣いている。銀色がぽろぽろと零れている。


2017.1.5

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