19

周りの視線を振り払うかのようなより鋭い目つきで、彼女……プルメリさんはポケモンセンターの空間を一睨みしました。
その後でわたしの方を振り返り、「ほら、来なよ」と優しく告げるものですから、わたしは怖くなってしまいました。
わたしが、スカル団の人と一緒にいる姿を、周りの人はどう思っているのかしらと少しだけ不安になったのです。
そんな「スカル団の人」に縋ったのはわたしなのに。「彼女」に去られて、どうしようもなく悲しくなって、だからその苦痛を誤魔化すように人肌に縋った筈なのに。
わたしは身勝手な理由で、この人に縋ったことを悔い始めていました。
そんなこと、決して許されなかったのに。何の力も持たないわたしは、こうやって、誰かに縋らなければ、草むらさえ歩けないのに。

「悪いね、あたいと一緒じゃ気が休まらないだろう?」

そんなわたしの身勝手なところを彼女は読みます。読んで、それなのに申し訳なさそうに肩を竦めて笑うのです。
わたしは恥ずかしくなって、顔を赤くして俯きました。けれどそんなわたしを、彼女は決して責めませんでした。

「おや、もう顔が赤いじゃないか。やっぱり雨に濡れるなんてこと、あんたみたいな上品な人間がしちゃいけなかったんだよ。あたいらは慣れているけどね」

そう言いながら、わたしをカフェブースの席に座らせて、彼女はポケモンセンターのスタッフさんにタオルを借りに行ってくれました。
「さっさと寄越しな、あそこで女の子が寒さに震えているのが見えないのかい!」という、ともすれば怒号とも取れそうな声音がわたしの耳にも届きました。
わたしは申し訳なくて、恥ずかしくて、そちらを振り向くことさえできずに俯いていました。

彼女はタオルの他に、エネココアとモーモーミルクを持ってきてくれました。
そちらの怒号が聞こえなかったところを見ると、あのカフェのマスターさんは、スカル団の人であるプルメリさんにも、動じることなくドリンクを用意してくださったのでしょう。
どっちが好きだい、と尋ねられ、わたしは顔の赤さをなくすことのできないままに、そっとモーモーミルクを指差しました。彼女はふわりと嬉しそうに笑いました。

「そうかい、そいつはよかった。あたいはこっちが飲みたかったんだよ」

嬉々としてエネココアの入ったカップを手に取る彼女は、けれどわたしがエネココアを指差したところで、同じことを言うのではないかと思えてしまいました。
湯気の立つカップに少しだけ口を付けました。ミルクの甘い香りが鼻先を掠めて、喉を通る温かなそれが身体の内側から温めてくれているようでした。
勿論、その温かさがミルクの温度によるものだけではないことを、わたしはちゃんと解っていました。解っていたつもり、だったのです。
スカル団の人は、誰かの心を冷やし、誰かを怯えさせることこそすれ、このように誰かの心を温めたり、誰かを安心させたりすることなど、決してないのだと思っていましたから。

「さて、本題に入ろう。ミヅキを知らないかい?」

わたしの手がぴたりと固まったことに気付いて、プルメリさんはその目を僅かに見開きました。
慌てて首を振るわたしに、彼女は「その様子じゃ、あんたも何か渡されたのかい?」と、不穏なことを告げます。
わたしは自身の驚愕と恐怖に嘘を吐いて、モーモーミルクの入ったカップをそっとソーサーに置いて、真っ直ぐに彼女を見て、頷きました。
重たくなったわたしの髪から、ぽたぽたと雨が滴り落ちて、テーブルの上に小さな水溜まりを作り始めていました。

「あたいらスカル団が、エーテルハウスのヤングースを奪って、ミヅキをポータウンに呼んだことはあんたも知っているね?」

「はい。わたし、止めたのですが、ミヅキさんは行くと言って聞かなくて……」

「……あいつはちゃんと一人で来た。可愛い部下にジュースやマラサダの差し入れまでして、その上ポケモンバトルであいつらをコテンパンにして、ボスのところまでやって来た。
あいつがヤング―スを連れて屋敷を出て、暫くしてからあたいはボスの部屋に入って、動けなくなっているボスを、……グズマを見つけた」

その時のことを思い出したのでしょう、プルメリさんは眉を険しく歪めました。わたしはプルメリさんの話が信じられなくて、大きく首を振りました。
まるで、彼女がスカル団のボスに危害を加えたかのような言い方でした。わたしは耐えられませんでした。彼女に限ってそんなことをする筈がないと、思っていたのです。
彼女はとても強くて勇敢で優しくて、……スカル団のような暴力的な手段に出ずとも、彼女ならポケモンバトルで道を切り開ける筈だったからです。
けれどプルメリさんは困ったように笑いながら「あたいもそう思っていたさ、あの子がそんな馬鹿なこと、する筈がないってね」と告げて、
わたしの頑なな否定を緩やかに禁じて、そして、続きを話すために重たげに口を開きました。

ミヅキはどうやら、「しびれごな」をグズマに浴びせたらしくてね。あいつ、一歩も動けなくなっていたよ。ただ、……その手に白い小箱が握られていたんだ。
あたいもそれと全く同じ小箱を、ミヅキから受け取っていたから、驚いてね。
ミヅキに「明日の朝まで開けちゃ駄目ですよ」って言われていたことも忘れて、慌てて開けちまったのさ。……馬鹿げたプレゼントだったよ」

彼女は白い小箱を二つ取り出しました。丁度、モンスターボールが1つだけ入るような、小さな、まるでエンゲージリングを収めるような上品な白い小箱でした。
開けるように促されたので、わたしはそっと箱に手を掛けました。

……まさか、本当にモンスターボールが入っているなんて、思いもしなかったのです。

「……グズマの小箱にはアブリボンが、あたいの小箱にはヤトウモリが入っていた。こいつらがミヅキの可愛がっていたポケモンだってこと、あんたも知っているだろう?」

知っていました。この子がアブリーだった頃から知っていました。彼女がアブリーを見つけた瞬間に上げた「可愛い!」という歓声を、わたしは今でも覚えています。
ヤトウモリのことだって知っています。強いポケモンでした。彼女の自慢のポケモンでした。
彼女の強さの象徴とも言えるポケモン達が、彼女の手を離れてこんなところにあるという事実に、わたしはただただ、愕然としていました。
「どうして、こんなこと……」と思わず呟いたわたしに、プルメリさんは溜め息を吐いて首を振りました。プルメリさんにも、解っていないようでした。
……いいえ、おそらく彼女のこのような、信じられないような行動の意味を汲み取れる人は、きっと誰もいないのでしょう。それ程の衝撃でした。それ程の、混乱でした。

「グズマの体の痺れが完全に取れるまで、もう暫くかかりそうだ。……だがあいつはまだ上手く回らない口で、『ミヅキがエーテルパラダイスに向かった』って教えてくれた。
そして、あたいに頼んだんだ。『あいつを代表に会わせるな』ってね」

「!」

「あたいはエーテル財団から、あんたとコスモッグを捕まえるよう指示されていた。あんたらを連れて、あの代表とやらのところに突き出すのがあたいの仕事だった」

でもね、と付け足してプルメリさんは大きく溜め息を吐きました。テーブルの上に並べられたボールの中、アブリボンが不安そうにわたしを見上げました。
わたしは、彼女のように笑ってあげることができませんでした。けれどたとえわたしが笑えたとして、この子を安心させてあげることなどできなかったでしょう。
わたしがどんなに微笑んでも、あの天使の笑顔には到底、敵わないのです。

「あんたは信じられないかもしれないが、スカル団は義務よりも、人情を重んじる組織でね。
あんたがポケモン泥棒であるとは思えないし、ミヅキの奇行が、ただの子供のおふざけじゃないってことだって薄々感じている。だからあんたのところに来たんだ」

「……わたしは、何をすればいいのですか?」

「知っていることを教えてほしい。コスモッグのこと、エーテル財団のこと、代表のこと、ミヅキのこと、全部だ」

マスカラに彩られた、鋭く射るような目が、真っ直ぐにわたしを見ていました。わたしにはできない表情でした。少しだけ、彼女に似た表情だと思いました。
だからわたしは、その目に吸い込まれるようにして口を開きました。

エーテル財団が、ウルトラビーストと呼ばれる生き物の研究をしていたこと。
彼等は此処とは異なる別の世界に住んでいて、その別世界への入り口を開けるために、コスモッグの力が必要であること。
けれどその力を使うと、コスモッグはひどく傷付いてしまうこと。わたしはそれを案じて、3か月前にコスモッグを連れ出して、……博士の助手として、身を潜めていたこと。

研究所を出てからは、いつだって彼女に守ってもらっていたこと。そんな強く優しい彼女の力に少しでもなりたくて、沢山、傷薬を用意していたこと。
奇抜な恰好をしていた彼女が、ある日突然、白地に金の刺繍とリボンの施された上品なワンピースを身に纏うようになったこと。
つい数時間前、彼女に銀色の指輪を渡されたこと。それはかつての母様がわたしに下さったプレゼントで、わたしはその指輪を置いてあの島を逃げ出してしまったのだということ。
彼女がエーテルパラダイスに向かい、頻繁に母様と会っていたのだと、気付いた頃には全てが遅すぎだのだということ。

「でも、どうしてミヅキさんが母様のところへ通っていたのか、全く分からないんです。わたし、ミヅキさんとずっと一緒にいたのに、何も……」

プルメリさんはわたしの話を最後まで聞いた後で、「悪いね、あんたも混乱していただろうに、更に困らせるようなことを訊いちまって」と、気遣う言葉を選んでくれました。
そして、カップに残っていたエネココアをぐいと飲み干して、やや乱暴な音でソーサーにカップを戻しました。
わたしのカップにもまだ半分ほど、モーモーミルクが残っていましたが、彼女は気にも留めずにそれを取り上げて、マスターに返却しにいきました。わたしも止めませんでした。

「解らないなら知りに行けばいいだけの話だ。あたいと一緒に、エーテルパラダイスに乗り込もうじゃないか」

「い、今からですか?」

「いや、明日にしよう。おそらく今から慌ててあの島へ向かったところで、もう手遅れだ。ミヅキはきっともう代表に会っているだろう。
……それならいっそ、万全の準備を整えていくべきだ。助っ人も呼んでおきたいからね」

まるでこれから楽しいことを始めるかのように、愉快そうに笑ってそう告げるものですから、わたしは少し、驚いてしまいました。
もしかしたらそれは、プルメリさんが自己を奮い立たせるために必要な笑顔であったのかもしれません。プルメリさんは笑うことで、自らを鼓舞したのかもしれません。
そう考えてわたしは、にわかに恐ろしくなってしまいました。プルメリさんへの恐れではなく、彼女への恐れでした。
彼女の、どんな時も決して絶えることのなかったあの笑顔は、もしかしたら。

ミヅキの代わりにあたいが、今だけ、お姫様を守る騎士になってやるよ」

そう言ってくださることはとても有難いことでした。一人では草むらのある道路を歩くことさえできないわたしにとって、プルメリさんの力は不可欠でした。
けれどわたしは、「ありがとうございます」と告げながら、首を振りたくなってしまったのです。彼女の代わりなど誰にもできない、と、言いたくなったのです。
だってこの親切な女性の背中には、金色の翼がありません。この人は、天使ではありません。


2016.12.29

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