13

スカル団が根城にしているポータウンは、海の向こう真っ赤な花畑の先に佇んでいた。その町は天高く伸びる白い壁で、部外者である私をそっと拒んだ。
けれど赤い目をしたおじさんが、何故か私を通してくれた。ポータウンに通じる扉の鍵を開けてくれた。冷たい、射るような、どこか寂しそうな目で私を見送ってくれた。
私は笑って、お礼を言って、手を振って、駆け出した。

バリケードの向こうで私をせせら笑う二人組に、嬉々として駆け寄って、挨拶をした。
彼等はスカル団の衣服を身に纏っていない人物の歩みに警戒するようにびくりと肩を跳ねさせたけれど、その相手が私であると気付くや否や、肩と眉をくたりと下げて笑った。

「なあんだ、侵入者がいるって聞いて慌てて飛んできたんだが、お前かよ」

「こんにちは!元気にしていましたか?……あ、そうだ!二人に差し入れがあるんです。おおきなマラサダ、アローラの人は皆、大好きですよね」

私の食べられないものを渡せば、彼等はとても喜んでくれた。
「うめえなあ」「世界一うまいぜ!」だなんて、霧のような雨に降られて湿った衣服のままに、二つに分けたマラサダを頬張りながらそんなことを言うのだ。
私のプレゼントを心から喜んでくれていることが分かったから、本当に嬉しかったから、何故だか泣きそうになってしまった。
他者からの真心は、宝石からのものであれ小石からのものであれ、嬉しいものだ。

「でもお前、ボスのところに行くなら気を付けろよ」

「あれ、私を心配してくれるんですか?今から私、貴方達のボスを倒しに行こうとしているのに?」

「はっ!オレ達ならともかく、ボスがお前に負ける訳ねえよ!せいぜいぶっ壊されないように、逃げる準備をしておくんだな!」

心配してくれてありがとう、と告げて、大きく手を振って、駆け出した。
小石達の作ったささやかなバリケードは、まるで他者を拒み切れない彼等のように脆くて、隙だらけで、それが少しばかり悲しかった。

インク塗れの、あちこちに綻びを見せている薄暗い町を駆け抜けた。
ポケモンセンターは既にその機能を失っていたけれど、散らかったフロアの奥で、スカル団の二人が10円でポケモンを回復してくれた。
たった10円じゃ、ジュースも買えない。私でも分かるような、不利を極めた交渉を、しかし彼等は得意気な顔で為すのだ。あんたもあたしらもハッピーだと、本気で笑うのだ。
なんだか悲しくなったから、鞄からサイコソーダを取り出してお姉さんとお兄さんに渡した。やはり彼等は心から喜んでくれた。それが嬉しくて私は笑った。

割れた窓ガラス、消えた電気、穴の開いた植え込み、光を灯すことを忘れた街灯。
寂しい町を占拠したスカル団の人達は、やはりどこか悲しそうで、寂しそうで、何かに怯えているようで、息苦しかった。
視線を合わせれば、彼等は驚いたように私の名前を呼んだ。誰もが私のことを知っていた。私はそれがとても嬉しかった。悲しかったけれど、嬉しかったのだ。

町の最奥、大きなお屋敷の中も、倒れたテーブル、インク塗れのカーペット、床に割られたワイングラス、そうした酷い有様だった。
けれどそこに生きる彼等はこの屋敷の有様を全く恥じておらず、寧ろこの酷い有様こそがスカル団のスカル団たる所以なのだとでも言うように、堂々としていた。
痛々しい、と思った。誰よりも貧相なレイを首に下げて、ステージの隅っこで薄気味悪い笑みを浮かべていたママの姿に彼等が重なりそうになって、思わず目を逸らした。

2階の寝室らしき部屋には、乱雑にベッドが置き捨てられていた。
もっと綺麗に並べれば、もう一つくらいベッドを置くことが叶いそうなものだけれど、
あくまでもこうして散らかしていることに彼等の価値があるのか、それとも綺麗に並べるという発想ができない程に彼等は小石であったのか、私には判断する術がなかった。
だから何も言わずにその部屋を出た。今はただ、私を呼んでくれた人に会いたかった。

グズマさんはエネココアが好き。ふくろだたきという技が好き。マリエ庭園でのバトルで繰り出してきたグソクムシャが、彼の最愛のパートナー。
それらの事実が何故かくすぐったいもののように思われて私は笑った。大きな身体をしているけれど、彼はまるで子供みたいだ。私みたいだ。
バルコニーへの通路を塞ぐ男性に「NO!」と告げて、満面の笑顔で彼とハイタッチをしてから、雨の強まった外へと飛び出した。
そこで私は、私を特別たらしめてくれた彼女に出会うことができた。

「プルメリさん!」と名前を叫ぶように呼んで、屋根に腰掛けていた彼女に駆け寄った。
雨に濡れた屋根は滑りやすくなっていたようで、転びそうになった私を見て、彼女は慌てて立ち上がった。おそらく私に、手を伸べてくれようとしたのだと思う。
けれど私が笑顔で立ち上がった頃には、茫然と立ち尽くしたまま、呆れ顔で「気を付けなよ……」と、吐き捨てるように告げるのみだった。そうした距離だったのだ。

「ここから、あんたのことを見ていたよ。かわいいあいつらに、ジュースやマラサダを差し入れてくれていたね。馬鹿に代わって礼を言っておくよ。ありがと」

「あはは、私にお礼なんて言わないでください。寧ろありがとうって言わなきゃいけないのは私の方です。貴方が私を呼んでくれたから、私、今こうして輝けているんですよ」

そう告げれば、彼女は怪訝そうに眉をひそめたけれど、やがて長い沈黙の後で困ったように笑ってみせた。
紡ぐ言葉を悩みに悩んだ挙句、結局紡ぐことを諦めてしまった、そうした、悉く優しい笑顔だと思った。私達には馴染み過ぎた笑顔だ。宝石には読み解くことの叶わない笑顔だ。

「プルメリさんにはもっと素敵なプレゼントがあるんです。受け取ってくれますか?」

「馬鹿言うんじゃないよ、敵からのプレゼントなんて受け取りたくないね。
……でもまあ、かわいいあいつらを大事にしてくれた礼として、今回だけ、貰ってやるよ」

その言葉に、私は嬉々として白い小箱を取り出した。
彼女は驚いたように目を見開いてから、困ったように首を傾げて「いいのかい?こんなに立派なもの」と躊躇うように尋ねてくれた。
遠慮なんかしなくてもいいのに、と思いながら私は大きく頷いて、彼女がお礼の言葉を紡ごうとするのを強引に遮って、受け取ってくれてありがとう、と何度も何度も言った。
「はいはい、分かった分かった!」と、うんざりしたように手をひらひらとさせて私を追い払う素振りを見せたので、私はポケットからハンカチを取り出して、その手に握らせた。
不思議そうに顔をしかめる彼女の、カラフルなピンク色の髪の先からは雨の雫がぽたぽたと滴っていた。私は手を振って、踵を返して、駆け出した。

スカル団の皆は、こんなにも寂しく冷たい霧の雨に打たれているのに、寒くないのかしら?どうして、雨を拭おうと思わないのかしら?
もしかしたら、この雨は彼等の化粧であるのかもしれなかった。宝石は濡れたところでその輝きに何の変化もないけれど、小石は水を吸えば色が変わる。重くなる。
少しでも自らを大きく見せるために、彼等は雨に濡れるのかもしれなかった。止む気配を見せないこの町の寂しい雨は、彼等にとっては寧ろ祝福であったのかもしれなかった。

そんな雨を免れた扉の向こうに、私を呼んでくれたその人はいた。
紫色の大きな椅子に尊大に腰掛けて、この空間に足を踏み入れた私を、面白いものを見るかのような歪な笑顔で、斜めに見ていた。
この人だ。この人が私を呼んだ。この人が私でなければいけないと言った。他の誰でもない私でなければ、この部屋に来ることは叶わなかった。

……本当に?
そんな言葉と共に、あの子の綺麗な指に嵌めた、銀色の指輪が脳裏を掠めた。
ぞわっと、足元から這いあがって来た不安は、私の手の温度を急激に冷やしていった。その冷たさでようやく、雨に濡れていたのは彼等だけではなかったのだと、気付いた。
呼ばれていたのは本当に私だったのかしら?私でなければいけないのではなく、私が最も手頃であったから呼ばれたに過ぎなかったのではないかしら?
彼が呼びたかった相手は、誰か他にいるのではないかしら?「彼女」にとっての、リーリエのように。

「よお、わざわざご苦労なこった!そんなにこのヤング―スが好きなのかよ?大事にするのは自分のポケモンだけでいいだろうに、お前もぶっ壊れているよなあ!」

へこんだ床を大きく蹴った。ぽこん、と、立派なお屋敷に似つかわしくない音がしたのは、きっとこの人が暴れて、壊してしまったからなのだろう。
一歩、二歩と大きく進んで、椅子から立ち上がろうとしている彼の、肘掛けに置かれた手をぐいと抑え込んだ。その膝にひょいと飛び乗ってから、彼の肩を掴んだ。
大きく目を見開き眉を吊り上げた彼が次の言葉を口にする前に、私は滝のように言葉の雨を降らせた。彼が窒息してしまうのではないかと思う程に、多く、長く、降らせた。

「グズマさん、私は誰の代わりなの?」

「……はあ?」

「貴方がヤング―スを必要としているようには思えないわ。あの子は私をおびき出すための罠だったんでしょう?そうまでして呼んだのが、どうして、私なの?
貴方は私の向こうに誰を見ているの?貴方が心から求めている本物は何処にいるの?
グズマさん、貴方は私がいなくなっても大丈夫?別の代わりを見つけられる?本物を手に入れられる?ぶっ壊すことをせずに、ちゃんと本物が大好きだって、言える?」

彼が私よりもずっと年上の大人であることも、丁寧な言葉で接するべき相手であることも忘れて、私はまくし立てた。止まらなかった。

ルザミーネさんにはリーリエがいる。あの指輪を彼女の元へと返したから、彼女はいずれ母のところへと戻るだろう。宝石には、やはり宝石が似合うのだ。
私は代わりであったのだから、その役目を終える前に本物への引き継ぎを行うのは当然のことだ。解っている、解っていた。
この人にも、もしかしたら引き継ぎが必要なのではないか。そうしないと、彼が、私にとてもよく似た彼が、迷ってしまうのではないか。
彼はきっと宝石ではない。それでも彼を想って不安になるのは、彼が私に似ているからだ。悉く歪な様相を呈した彼が、とても近しいもののように思われたからだ。
私は貴方にこれ以上、寂しくなってほしくない。私によく似た貴方に、私が押し殺したあの感情を拾い上げてほしくない。悲しい、なんて思ってほしくない。

けれど彼は、私のそうした不安を一笑に付し、あまりにも眩しい笑顔で、私の最も欲しかった言葉を、けれど今は最も聞きたくなかった言葉を、くれた。

「ばっかじゃねえの?お前みたいなぶっ壊れた奴の代わりなんざ誰もできねえよ!」

「!」

「でも、おかしな話だよなあ。お前はぶっ壊れなくたっていいんじゃねえの?
お前はそのままでも強いだろう?そのままでも欲しいもの、何だって手に入るんだろう?」

違う。違う!
私は強くなりたかった訳じゃない。私の欲しいものが手に入ったことなんか一度もない。
私はおかしくしていなければ生き残れなかった人間だ。壊れなければ排斥されてしまう、矮小でつまらない人間だ。貴方よりもずっと愚かで、貴方と同じくらい寂しい、人間だ。
だから私は生き残るために、このアローラで排斥されることなく留まるために、一つの大きな決断を下した。皆に渡して回った白い小箱は、そのための儀式だった。
私はそうしなければ輝けない。私は小石だ、貴方と同じだ。だからお願い、私に宝石のような輝きを見ないで。変な錯覚を起こさないで。私を、貴方から排斥しないで。

雨が降ってきた。強く目を瞑れば、目蓋の裏、クチバシティの船着き場で私が泣いていた。


2016.12.24

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